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Writer-野次馬さん

2009年12月15日 (火)

「桜島の分身」が届きました

森敦の『月山』が読みたくなったので「古書ネット」を検索していたら鹿児島市の古書店にあるのを見つけました。もっとも芥川賞受賞作なので「初版本、著者サイン入り」の数万円のものから文庫本までさまざま。帯、月報付きで値段が手ごろだったので選んだわけですが、早速注文しようとしたら「お買い上げいただいた方にはご希望で桜島の火山灰を差し上げます」と書かれています。野次馬の私、当然ながら「希望します」と。ユーモアいっぱいの店主とのメールで「何なら桜島ごと差し上げます」などとあったのですが「いや、今回は<分身>だけで結構です」というやりとりもありました。早速届いたのがこれです。

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ビニール袋入りの<分身>は「2009年 夏 噴火」とあり、納品書の下にカラー写真も添えられていました。左が車のワイパーに積もった写真、右が路上に積もったのを箒で掃き寄せているところ。今年はすでに噴火が400回を越えたといいますから鹿児島の皆さんは大変です。「桜島ごと差し上げます」というお気持ちよくわかります。 (記入者:野次馬)

2009年12月 7日 (月)

湖北逍遥(おまけ)

では最後に恒例の(おまけ)を。先ほどの石標がある上丹生集落から反対(東側)側の山間部へ登っていく県道284号線を1.5キロほど進むと林道ツーリングマニアなどから注目を集めている人気スポット「杉本隧道」があります。県道自体が車一台がやっと、ガードレールなどは一切ありません。

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杉本隧道は別名「上丹生隧道」とも呼ばれ、滋賀県初の「山越えの本格隧道」として大正6年着工、2年がかりで完成しました。工事に使われたレンガや資材、労力すべてを地元の土倉鉱山が負担した民間(資本)トンネルでした。扁額も旧式に右から書かれているでしょう。下の県道分岐点の看板にも「高さ2.5m、幅2.0m以下」と書かれ、隧道入口にも両側とも頑丈な鋼鉄製ガードがあります。ここにも泥だらけになっていますが同じように高さ、横幅制限の標識が。もちろん中はすれ違い<絶対>不可、全長は310m、「先に入った車優先」です。やって来る車がないのを確かめて恐る恐る進入しました。隧道の手前もその先も対向車がなくて本当によかった。どんなところなのかはマニア投稿の動画がいくつもありますので「杉本隧道」で検索してご覧ください。 (記入者:野次馬)

湖北逍遥(その4)

もう一カ所行きたかったのは同じ余呉町の摺墨集落です。「するすみ」と読みます。あああの、という方はよほどの歴史好きでしょうか。「平家物語」に登場する<宇治川先陣争い>では源氏=義経軍の梶原景季(かげすえ)と同じく佐々木高綱がどちらが先に対岸の敵陣に渡りつくかを競います。この時に景季が騎乗したのが源頼朝から賜った名馬「摺墨」でその産地という伝承があります。余談ながら高綱のも同じく賜った名馬「生月(いけづき)」です。高綱が景季に「(鞍を結ぶ)腹帯が緩んでいますぞ」とわざわざ注意、その間にちゃっかり馬を進めます。

もっともそれぞれの馬産地については諸説あり、わが故郷の広島説もあります。摺墨は町役場のある中心部から20分ほど入った山間部にあります。旧道との分かれ道に「左摺墨」と彫られた石標があり、さらに約2キロ、集会所の前に置かれた「摺墨区」と書かれた除雪用のショベルカーでようやく確認できました。

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集落は約20軒ほど、「伊勢神宮にあるのよりも一回り以上太い」と地元の方が自慢する大杉が何本もそびえる水上神社にもお参りしてきました。

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左が水上神社、ここから眺めた摺墨集落です。名馬誕生の雰囲気は十分でしたが。 (記入者:野次馬)

湖北逍遥(その3)

こちらは「廃校の活用アイデア求む」という話題を先月のブログ*で紹介した旧・余呉小学校です。新しい車の初ツーリングを兼ね、この校舎を見たくて出かけました。

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『石山文也の「きょうのB玉」』(11.11)

滋賀県のいちばん北にある余呉町が廃校となった旧余呉小学校の校舎などの活用アイデアを募集している。約1万平方メートルの敷地には昭和初期(昭和2年=1927)に建てられた木造の講堂がそのまま残る。他にも二階建て校舎や管理棟、グラウンド、プールなどがあり、回りには山に囲まれたほのぼのとした農村風景が広がる。アイデアコンペの選考基準は施設全体を一体活用でき地域振興や活性化など地域への貢献が盛り込まれていること。かつ具体的で実現の可能性が高く持続性があることなどがポイントだ。締め切りは今月末、最優秀賞には副賞に新米10万円分、優秀賞には同5万円分を進呈、入選者5名を表彰するという。小学校はJR北陸本線の余呉駅から徒歩15分、1.5キロほど南には天女の羽衣伝説で知られる神秘の湖・余呉湖がある。アイデア、アイデア、廃校、天女、羽衣、新米、余呉湖・・・新米はこの際関係ないか。

写真はその講堂です。80年の歳月を経たとはいっても構造的にはまだまだ大丈夫そうです。なんか味がありますよね。この上に木造校舎などがあります。校歌を刻んだ石碑に「鏡の湖の波静か 平和の色をたたえつつ 秋こうこうと照る月の 光は清い余呉の里」とありました。はるかに余呉湖を望む絶好のロケーションでした。 (記入者:野次馬)

湖北逍遥(その2)

余呉湖にはもうひとつ「菊石姫伝説」というのがあります。都からこの土地に移り住んだ大夫にひとり娘=菊石姫=があり、乳母に大事に育てられていました。ある年の夏、これまでにない日照りが続き村人は大変苦しんでおりました。これを見かねた姫は湖に身を投げ、蛇身となって雨を降らせました。世話になった乳母には自分の目を差し出し、舐めれば万病に効く薬となり、祈ってくれれば雨を降らせると言いました。水中から投げた目が落ちたのがこの「蛇の目玉石」と伝えます。立てられた御幣がなんとも神秘的なイメージで、暗くなってからはちょっと遠慮したいスポットです。

Cimg1935 「蛇の目玉石」

すぐ先には芭蕉の門人だった路通の句碑もありました。路通は「奥の細道」から戻る芭蕉を敦賀まで迎え、美濃の大垣まで送りました。句碑には「ほそみあり」とほめられた代表作「鳥共も寝入りて居るや余呉の海」が刻まれています。水鳥の季語は冬、「ほそみ」とは虚無的な静かさと寂寥感があるという意味でしょうか。

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 (記入者:野次馬)

湖北逍遥(その1)

琵琶湖の北にあたる「湖北」を巡ってきました。暖冬のせいで最近は雪が降りませんが滋賀県ではいちばんの豪雪地帯です。久しぶりに訪ねたのが余呉湖、シベリアからの渡り鳥が多く羽を休めて中継点にしていることでも知られています。わが国最古といわれる「羽衣伝説」が有名です。

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その昔、この湖に降り立った天女が水浴びをしていた時に桐畑大夫という男が羽衣を隠しました。戻れなくなった天女は仕方なくこの男と所帯を持ち男児をもうけますがあるとき羽衣の隠し場所を知り、白鳥となって天に帰ります。残された子が母恋しさに泣き明かした場所にあるのが「夜泣き石」、修業したのがこの地にある菅山寺、やがて成人して都に上がり、あの菅原道真になったという伝承です。湖は周囲が1.8キロ、東側の道路わきに天女が羽衣を掛けたという「羽衣掛の柳」(写真下)があります。すぐ近くには真新しい天女の銅像もできていました。 (記入者:野次馬)

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2009年11月26日 (木)

初めての皇帝ダリアは「ちょっとしょぼい」の評価でした

亀さんの報告を読ませていただいて我が家の皇帝ダリアの様子を紹介しておきます。植えたのは2鉢、ひとつは高さが2.5メートルほどに伸びましたが台風で倒れたりして大変でした。現在3つの花をつけました。まだ蕾もありますので楽しみです。もうひとつは風の被害はなかったもののまだ1メートルほどで咲きそうにはありません。ポイントは「追い肥」だったんですね。「大事にする」とは言ってもつっかえ棒だけではだめだったということがようやくわかった次第です。こちらが咲いた方のダリアの写真です。
(記入者:野次馬)

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2009年11月 6日 (金)

むべなるかな(その2)

境内に作られた3カ所のムベ棚は皇室献上のために収穫されたようで、いくつかはなってはいましたが「食べごろ」と思われるのは見当たりませんでした。それに手の届かない所ばかりで。

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もちろん宮司さんが上京中で留守とはいえ、勝手に失敬するわけにはいきませんから、ちょうど通りかかった氏子の方に近くにムベの栽培農家があるかどうかを尋ねました。教えてもらったのは数キロ離れた場所です。午後4時の閉園ぎりぎりにようやく探し当て、譲っていただくことになりました。入園料一人1500円のところを「1キロ500円でよろしいわ」ということでしたが、実際にはそれ以上の十数個ほどと黄色で皮をてんぷらにしたらおいしいという「バナナアケビ」や野菜までいただきました。

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さすが「むべ(ムベ)狩り園」だけあってムベが鈴なりです。大きさはそう、小ぶりなマンゴーくらいかな。赤紫に色ずいたのが食べごろだそうです。それを数日置いたら熟れてさらに甘くなるというアドバイスでした。

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そうは言われてもこうして写真に収めたらちょっと味わいたくなるのが人情?というもの。右のを食べてみました。種の回りにあるゼラチン質のところを食べるとほんのり甘くてクセのない素朴な味でした。数日後、実が柔らかくなり黒っぽい青紫色になったのを味わい直しましたらさらに甘くなっていました。感想としては流通させてまではちょっと無理というところでしょうか。ま、珍しさというか話題にはなりますが。

ちなみにこの種を植えると結構な確率で発芽するそうです。実がなるのは10年先、家内は「楽しみだわ」と張り切っていますが・・・。 (記入者:野次馬)

むべなるかな(その1)

新聞の地方版に「皇室にムベ献上――大嶋・奥津嶋神社宮司ら上京」の記事を見つけたのでドライブがてら、琵琶湖の東岸、滋賀県近江八幡市に向かいました。実際に木になっているところを見てみたいし、どんな味なのかを知るいい機会と思ったものですから。ムベはアケビ科で別名をトキワアケビともいい漢字では「郁子」とも書きますが神社には「薁」=「草カンムリ」に「奥」=の一字を使っていました。

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こちらが大嶋・奥津嶋神社で境内にムベの棚があります。前の石碑は明治天皇巡行に際して当時の滋賀県令(知事)が詠んだ「大君=天皇にささげしむべは古き代のためしをしたふ(慕う)民のまごころ」を刻んだもので神社の絵馬にもなっています。右の柱に漢字が書かれた板を見つけました。

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さて「むべなるかな」の由来ですが、大津に都があったとき(大津京:667-672)天智天皇が狩りに出かけられた際にこの地に立ち寄られ、8人の子を持つ元気な老夫婦に「汝ら、いかに斯く長寿ぞ」と尋ねられました。老夫婦は「この地で採れるこの実を食べているためです」と説明したところ「むべなるかな=なるほど、それはもっともなことだ」と仰せになり、毎年献上することになったそうです。この話は古記録の「延喜式」に残されています。 (記入者:野次馬)

*大嶋・奥津嶋神社という名前は写真=上右の拝殿の奥に祭神の違う大嶋神社と奥津嶋神社の二社が祀られているところからです

2009年11月 3日 (火)

流れた「流れ橋」を見て来ました

先日の台風18号で木津川の「流れ橋」が流されたというので近くに行ったついでに見て来ました。全長356.5m、幅3.3メートルで日本でいちばん長い木橋です。正式な名前は上津屋橋(こうづやばし)といい府道の一部で歩行者と自転車の専用橋です。京都市の南隣り、八幡市と久御山町を結んでいますが周囲に高い建物などがないところから時代劇のロケ地としても有名です。名前の由来は大雨や台風などで川の水位が上がると橋げたが流れる構造になっているところからですが、橋の板がワイヤーで結ばれているため「流されても流れない構造」になっています。

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昭和28年3月に竣工しましたがすぐその年に流され、これまで20回ほど流されています。最近では2年前に流され、復旧までに10カ月かかったそうですから今回も当分はこのままでしょうか。今年8月には花火によるいたずらで中央部分の板が17枚ほど焦げるボヤ騒ぎまであったのでご難続きでした。河原に降りてみましたが橋げたのいくつかは写真にあるように折れたり流されているのでそちらも修復する必要があります。そうそう、橋板が何枚あるかですが朝日放送の「探偵ナイトスクープ」では1784枚という記録があるようです。しかし修理時に板を入れ替えたりするのでその数は微妙に変わるらしいです。こんど修理が完成したら板が何枚あるかを数えるのも橋を渡る楽しみかもしれませんね。 (記入者:野次馬)

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