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経済・政治・国際

2009年10月 3日 (土)

かすみがせき保育園

   ―某省に設置、10月1日オープン―091002011_2

昨日、仕事で、某省に行きました。裏玄関から入ってすぐのところに、今まで見慣れないものがあります。そこから幼児を抱っこした若い女性が出てきます。

“何だろう?”と思って見ると、保育園のようです。入口には、「小学館アカデミー かすみがせき保育園」と書かれています。

尋ねてみると、“某省の会議室約150平方メートルを改修し、教育関連会社「小学館集英社プロダクション」が都から補助を受けられる認証保育所として、生後57日~5歳児を対象に17人(定員30人)で10月1日からスタートした”ようです。自公政権の大臣の発案ですが、民主党政権の大臣はオープン当日視察に来られたようです。

なお、霞が関官庁街の保育園としては、文部科学省内の共済組合運営の保育園に次いで2箇所目になるようですが、某省職員以外の他省庁や民間の会社員にも開放されるそうです。

昔から中央官庁の若い女性官僚は深夜までよく働きましたというか、男性と同じように働かざるを得ませんでした(注)そのため、子どもが生まれると、育児をその人のお母さんに任せられる場合を除いて、出世を諦めて深夜労働のない部署に移るか、育児との両立ができず、退職する人が多かったのです。

その点から言えば、“少子化”対策として、また、女性の社会進出の推進策として、時宜を得たものだと思います。

また、文科省の保育園の際には、“庶民では保育所探しが大変なのに、役人天国ではないか”との批判がありました。その点、職員以外にも開放したのは、評価できます。

さらに、某省のこのような少子化対策を“役所として行なった”というよりは、女性官僚の“雇用主として行なった”と理解すべきだろうと思います。

その観点からは、民間企業も従業員のための保育園の設置を考える必要があるかもしれませんね。(記入者:亀さん)091002022_3

追記:開園時間が「7:30~22:00」というのは“毎日の残業が3~4時間は可能”ということで、また、「生後57日」というのは“産休期間(産後8週間)の後はすぐに預かります”ということです。このようなきめ細かい対応になっていることには、驚くばかりです。

(参考1)かすみがせき保育園のポスター:http://www.mlit.go.jp/common/000047533.pdf#search='かすみがせき保育園'

(参考2)関連の報道:http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20091001-00000026-maip-polhttp://sankei.jp.msn.com/life/education/091001/edc0910010834000-n1.htm

(注)公務員には労基法の深夜労働の制限の規定が適用されていなかった。

2009年9月 8日 (火)

これが政権交代!

   ―民主党本部前は大混雑!―09090701 09090704 09090702 09090703

昨日、所用があり永田町付近に行きました。

その時、今度の衆議院選挙で300を超える議席を確保し、政権交代を実現した「民主党」の本部前を通りました。

民主党本部は、自民党本部の裏の雑居ビルにあり、小沢自由党が合流したときから手狭まだったのですが、一挙に議員が倍増したので、大変です。

一方、自民党や社民党(旧社会党)の本部は、写真のように、大きな自前のビルです。これは、自社による55年体制の頃の名残りでしょうか・・・。

自民党本部も、議員数が一挙に減ったので、民主党本部とは逆に広すぎるでしょう。また、その前を通ったときには、静かなものでしたが、これも政権を失ったせいでしょうかね。

社民党はピークの頃の10分の1程度の議員数なので、以前から広すぎるようで、ホールなどは民間の講習会に貸し出したりしているようです。亀さんは、“民主党本部に貸すといいのに!”と思いますが、そうはいかないのでしょうね。90907051 90907062

しかも、自民党や社民党の本部は、敷地も広く、ビルにロビーもあるのですが、民主党の本部にはいずれもなく、新聞記者やカメラマンが歩道に溢れ、警備の都合もあって、歩道は通行禁止になっています。

こんな違いを見ると、“「政権交代」ということは、こんなところにもはっきりと表れるんだなあ~!”と感じました。

今回の総選挙で政権交代は必然とは思っていたものの、その結果は“少し極端過ぎるのでは…”とは感じており、また、こども手当の創設・高校無償化と配偶者控除の廃止などで、“(子育てが終わった)亀さんにとっては増税だなあ…”と思いつつも、国民にとって幸せな政治が行なわれることを切に願う、今日この頃です。(記入者:亀さん)

2009年8月 7日 (金)

8月6日は原爆の日

   ―被爆2世の亀さんのつぶやき―090806011 090806033 090806044 

今年も、原爆の日がきました。原爆が世界で初めて落とされ、多くの犠牲者・被爆者を出して、今年で64年になります。

そして、昨朝も、亀さんはテレビで放映する「広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式」(追記参照)にあわせて、黙祷をしました。(この日は、毎年、勤務に遅刻しても自宅で式典にあわせて黙祷するのが亀さんの習慣です。)

式典では、広島市長が核廃絶を宣言したオバマ米国大統領を過大に評価していましたが、亀さんは疑問です。

アメリカは、広島への原爆投下を謝罪したのでしょうか?(追記参照)また、アメリカはこの式典に政府代表を参加させているのでしょうか?

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

話は変わりますが、亀さんは、戦後生れで、被爆者ではありません。(同級生の中には胎児のときに被爆した「胎内被曝者」もいました。)

ただ、亀さんの父親は被爆者(注)で、原爆手帳を持っていましたので、亀さんは「被爆2世」ということになります。

また、亀さんの近親者には、他にも被爆者がいます。祖母や伯母さんは爆心地の近くの路面電車の中で被爆し、一時期、原爆症で苦しんでいました。

亀さんは、この人たちや他の被爆者から、原爆被害の惨状や原爆症の苦しさをよく聞きました。ところが、この人たちは高齢者であったり、既に亡くなっています。このままでいくと、原爆の記憶がどんどん薄れていきます。

したがって、亀さんは、最近になって、「被爆2世」の自分たちが被爆者から直接聞いた原爆の話を語り継ぐ義務があるんだろうと考えるようになりました。その意味からも、亀さんは、「被爆2世」であることを自称することにしました。(記入者:亀さん)

追記1:いわゆる「広島平和記念式典」の正式名。亀さんは、“平和は「記念」するものではなく、「祈念」するものと思っているので、このように記載します。

追記2:亀さんは、非戦闘員に対する無差別攻撃で戦争犯罪に該当すると考えていますが、アメリカでは“原爆の使用で戦争終結を早め、戦死者を削減した”との意見が大勢です。

(注)当日、原爆投下の時刻に広島に行く予定が遅れたために、直接には被爆せず、直後に被爆地に入ったために被爆者の認定を受けた。

(写真はすべてNHK-TVの映像より)090806022

2009年4月 3日 (金)

市ヶ谷台ツアー2

     -これがPAC3かな?-

昨日、「PAC3は残念ながら撮影できなかった」と書きました。

その事情は、PAC3の前を通過するときに、ツアーの世話係から「装備品の撮影は止めて下さい!」という声があり、撮影しなかったのです。“TV・新聞の記者に公開しているのに、なぜ禁止なんだろう?”と思いましたが、亀さんは自制しました。

09033109

ところが、写真整理の際、どうもPAC3らしきものが写った写真が見つかったので、紹介します。

この写真は、世話係の方からの撮影自粛の声が掛かる前に、市ヶ谷台の桜を撮るために写したものです。桜の木の手前の喫煙所で、タバコを吸っている人がいます。その向うの桜の木の間に、広報展示・ビデオで見たPAC3らしきものが写っています。

ブログに載せるか迷ったのですが、①TV・新聞に公開された情報であること(注)、②写真の解像度もあまり高くないこと、③周辺に喫煙所があるし、周辺の民間ビルからも丸見えであること、④見学コースから離れて写したものではないこと等から、秘密の暴露にはならないと判断し、ブログに載せることにしました。

でも、“そんな大切な装備をこんな雑な取扱いをする防衛意識って、大丈夫なんですかね…”と心配になった亀さんでした。

明日にも、ある国が人工衛星=ミサイルを発射するようですが、日本に落ちてきませんように!(記入者:亀さん)

(注)3月29日のYOMIURI ONLINE:http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20090329-OYT1T00650.htm

2009年4月 2日 (木)

花見転じて、市ヶ谷台ツアー

      ―さくらはまだ5分咲き―090331011 090331022 090331033 090331044

3月31日は、花見をしてから、退職者の送別会をすることになっており、その会場に近い市ヶ谷堀の桜を見ることにしていました。と同時に、「市ヶ谷台(防衛省)の桜もきれいだ」と聞いていたので、市ヶ谷台の桜も見物する予定でした。

しかし、さくらは21日の開花以来の寒さで満開が遅れ、市ヶ谷堀の桜はまだ全体的には3分咲きくらいで、一部が5~6分咲きでした。市ヶ谷台の桜も期待出来ません。090331051090331062 090331063

そこで、亀さんは、気持ちを切り替えて、市ヶ谷台ツアーの目的を、、市ヶ谷記念館といま話題のPAC3(地対空誘導弾パトリオット3)の見学にしました。

市ヶ谷記念館は、戦前の陸軍士官学校、陸軍省等のあった建物で、戦後は、極東国際軍事裁判(東京裁判)の法廷にも使用されました。その後、陸上自衛隊東部方面統監部時代の1970年には、作家・三島由紀夫がそのバルコニーから檄文を撒き、自衛隊の決起・クーデターを促す演説をした後割腹自殺した、三島事件の舞台となったところです。亀さんが社会人になったばかりの頃の事件で、当時としてはショッキングな大事件でした。09033107 09033108

その市ヶ谷記念館の見学の後、厚生棟で、広報ビデオの視聴と広報展示の見学をしました。ビデオではいま話題になっている、隣国のミサイルからの防衛のためのPAC3の配備やテロ防止のための国際貢献が紹介され、広報展示では「新中距離地対空誘導弾」の模型などもありました。

亀さんは、広島出身で、身内に原爆の被害を受けた者がいたので、戦争に対する抵抗感が強いが、最近の近隣の国家のミサイル開発の状況を考えると、国家としての自衛力の整備は不可欠でしょう!もっとも、ミサイル攻撃に対して、PAC3で十分に防衛できるかという点には疑問が残りますが…。

ツアーの最後に、庁舎の裏のグランドに配備されているPAC3を眺めることができました。ただ、PAC3は残念ながら撮影できませんでした。

花見のつもりが、結構勉強になった市ヶ谷台ツアーでした。皆さんも平和や国防というもの考えるために、機会を見て市ヶ谷台ツアー(注)をされたらいかがですか。(記入者:亀さん)

(注)防衛省・市ヶ谷台ツアー(入場料無料、インターネット予約も可):http://www.mod.go.jp/j/events/ichigaya/tour/index.html

2009年2月24日 (火)

オバマ米国大統領について

   ―面白い記事を見つけたよ!―

亀さんは、日本のマスコミ報道がオバマ米国大統領の礼賛記事一辺倒ということが気になっています。

もちろん、彼がアフリカ系初の大統領であること、苦労した生い立ちの中で少数派にも耳を傾けようとしていることや就任演説でアメリカの活力を復活させるために国民の協力と責任(「新たな責任の時代」)をしっかりと強調した点などは評価できます。

ただ、就任演説について、亀さんは、劇場政治的な言葉の羅列に終始しており、“今後の実績を見ないと判断できないな!”と感じました。

しかし、日本のTV等は、冷静な分析はほとんどせず、また、亀さんが特に重要と感じた部分(例えば、「新たな責任の時代」など)もあまり強調していません。耳障りのいい言葉を流し続けるだけです。

これによって、日本の国民は、「政治の主人公という立場」から「政治の観客の立場」にドンドン誘導されているのでは…とも感じました。

こんなモヤモヤした気分の折に、オバマ大統領の演説について、面白い論評を見つけました。

23日付で配信された「SAPIO’S EYE 特別版」SAPIO 2009年2月18日号掲載) に“「オバマの言葉」に熱狂する人々は「レトリック政治」に騙される”という論評です。

一見の価値があると思いますので、参考にそのURLを載せておきます。

http://news.nifty.com/cs/magazine/detail/sapio-20090223-01/1.htm

これも一つの考え方では…と思います。(記入者:亀さん)

2009年2月23日 (月)

世相を映す「サラリーマン川柳」

  軽い憂さ晴らしから厳しい現実に090220101 090220112

先日、「マッカーサー記念室」を見に行ったときに、第一生命館のロビーに今年22回目となる「サラリーマン川柳コンクール」で選ばれた100句が展示してありました。

この100句を投票で絞り込み、5月中旬に「サラ川ベスト10」として発表するそうです。

亀さんは、これらのサラリーマン川柳を読みながら、ニヤリと苦笑したり、身につまされたりしました。その時代の世相や家庭内・会社内の亭主たちの環境を反映しています。

ただ、今までのように経済や社会に余裕があったときは、軽い感じの「哀しい憂さ晴らし」的な作品が多く、微笑ましさを感じたのですが、100年に一度の不況下の今年の作品には、何か現実の厳しさを反映したものが多く、「もの悲しさ」を感じるものも多かったような感じがしました。

に亀さんの目を引いたものを並べておきます。ただ、自分の奥さんをイメージして選んだわけではありませんので、念のため(記入者:亀さん)090220121 090220132 090220143 090220165 0902202514 0902202312 090220198 090220187 0902201760902202413   090220154 0902202090902202615  09022021100902202211

2009年2月22日 (日)

マッカーサー記念室に行きました!(改訂版)

  ―連合国軍総司令官の使った部屋―

信じがたいことですが、若者の中には、日本が半世紀以上前にアメリカと戦争したことや日本が敗戦し約7年間アメリカなどの連合国に占領されていたことも知らない人がいるようです。 

亀さんは、旧軍港の呉市に育ち、小さい頃、占領軍(連合国軍)の兵隊さんや海水浴場の接収などを記憶しています。その時代の学校給食では、アメリカの援助物資の脱脂粉乳(いわゆる「くさいミルク」)が出され、みんな鼻をつまんで飲んでいました。それを飲まないとお腹が空くのです。3649c3ed98857f12 300pxmacarthur_hirohito

また、教科書で、厚木基地に降り立つマッカーサー元帥の写真や同元帥を訪ね、直立されている昭和天皇の写真を何度も見ました。

みんなは、敗戦国の悔しさと貧困の真っ只中にあって、日本の復興を願ってガムシャラに頑張っていました。

その時代に日本を実質的に支配していたのは、アメリカを中心とする連合国軍でした。その最高司令官総司令部(GHQ)は、現在の第一生命館に置かれていました。その連合国軍の総司令官がダグラス・マッカーサー元帥です(注1)09022005 0902200609022007

その執務室や会議室は現在も「マッカーサー記念室」として保存されています(注2)

先日、縁があって、その「マッカーサー記念室」を再訪することが出来ました。執務室の広さは約54㎡で、周囲の壁はすべてアメリカ産のクルミの木で出来ていて、床は寄木細工で出来ています。

印象的だったのは、机に引出しがないことです。何でも、マッカーサーは大変几帳面で、何事も即断即決するため、この机を愛用していたそうです。

亀さんは、この「マッカーサー記念室」を観覧しながら、①連合国の占領政策によってもたらされた“民主主義”が半世紀以上経った日本で定着しているだろうか?とか、②我々は当時の日本人が持っていたような復興への情熱を持っているだろうか?ということを、考えていました。

なお、下の写真は、第一生命館とそのひさしにとまっていたセグロカモメです。(皇居のセグロカモメについては、2月6日の「皇居のお堀は冬鳥の天国!」をご覧下さい。)(記入者:亀さん)09022008 09022009

(注1)ダグラス・マッカーサー:http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/makkasa.htm

(注2)亀さんは、20年ほど前に一度行ったことがあるのですが、現在は、一般公開されていません。なお、昭和天皇がマッカーサー元帥を訪ねられたのは、この最高司令官総司令部ではなく、アメリカ大使館だそうです。(亀さんは、記憶間違いをしていました。)

2009年1月 8日 (木)

あなたもふるさとの応援団!

    ―ふるさと納税のすすめ―090107011090107022

昨年末、ふるさとの呉市の方から届けられた書類の中に、“自分が生まれ育った「ふるさと」…へ、寄附という形で貢献や応援をすることができる「ふるさと納税」の仕組みができました。…”という内容の文章と写真のリーフレットが入っていました

亀さんは、「ふるさと納税」寄附金の制度ができたことは知っていたのですが、次の理由で躊躇していました。

①寄附の仕方がよく分からないし、また、その後の確定申告が必要であるなど、多少手続が面倒であること、

②いま住んでいる市の住民税が減ることになるので、いま住んでいる市に対しては不義理になること、

③大体、【(寄附金の金額)-5000円】は、所得税及びいま住んでいる市の住民税が軽減されるのですが、5000円分はかえってこない(亀さんの持ち出しになる)こと、など。

でも、ふるさとの呉市の財政状況は大変であること、この寄附金が“呉市を光(魅力)あるまちにする”ための財源として活用されることなどを聞いて、直ちに、「ふるさと納税」をすることにしました。

今回、ふるさとから離れて都会で暮らしている人たちは、「ふるさとは遠きにありて…」(注)というように、心でふるさとの繁栄を願っていますが、心だけでなく、財政面でもふるさとの魅力ある地域づくりを応援して行くことが大切かなあ!”と思いました。

皆さん方のふるさとの県・市町村にもこの「ふるさと納税」寄附金の制度がありますので、皆さん方も「ふるさと納税」を検討されてはいかがでしょうか?(記入者:亀さん)

(注) 室生犀星「ふるさとは遠きにありて」:http://homepage3.nifty.com/TAD/poems_1/poem_02.htm

2008年12月 1日 (月)

ガソリンの値下がり!

  ―本日116円/ℓ。107円も―08113012117 08113013116

石油情報センターの先週の発表によると、先月25日現在のレギュラーガソリンの全国平均小売価格は、127円90銭となり、1年7ヶ月ぶりに120円台になったそうだ。今年4月に揮発油税などの暫定税率が失効して一時的に大きく値下がりした際の130円台までも下回ったそうだ(注1)

そこで、亀さんは、昨日(30日)に近くのガソリンスタンドに給油に行きました。その日は、定価より1円引きなのです。

値段の表示を見ると、「117円」、「割引後116円」と書いてあります。一番高かったときが180円を超えていたと記憶しているので、当時より3~4割安くなっています。

さっそく満タンにして、いい気分になり、近所の人に話すと、「竹ノ塚(足立区)では107円のところもあり、岩槻(さいたま市)や和光市で108円のところもあるよ!と冷水を浴びせられました。

家に帰って、「ガソリン価格比較 gogo.gs」(注2)埼玉県内のガソリン価格を確認すると、同日現在全国3位の安さで116.7円(全国平均120.9円)ですから、「県内平均で買ったと思えば、いいや!」と思うことにしました。

ところが、「msn.自動車」(注3)で調べると、埼玉県内のガソリン価格は同日現在全国2位の安さで114.50円(全国平均116.70円)となっています。

結局、亀さんは、「まあ、全国平均より安く買ったからいいや!」と納得することにしました。

そもそも、今回の急激な原油やガソリンの価格上昇が需要の増大ではなく、外資を中心とした金融行動で引き起こされたので、景気が後退すれば、いずれは暴落するのは予想できたものの、ここまで安くなるとは…。

それにしても、あんなに大騒ぎしたのは何だったのでしょうか?(記入者:亀さん)

(注1)「ガソリン平均120円台 暫定税率の失効時を下回る」(MSN産経ニュース iZa):http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/natnews/199502/

(注2)「ガソリン価格比較 gogo.gs」:http://gogo.gs/rank/ave.html

(注3)「msn.自動車」全国ガソリン平均価格一覧:http://car.jp.msn.com/servicestation/gasaveragepricelist.aspx

2008年11月30日 (日)

つくばチャレンジ2008(自律ロボットが道路で競争)

先週の金曜日(11月21日)に、茨城県つくば市のつくばエクスポセンターで「つくばチャレンジ2008」が開催された。自律ロボットが公道(遊歩道)の決められたルート1kmを無事往復できるかを競うものである。筑波大学の油田教授が委員長となって、全国から50台のロボットが集まって盛大に競争した。

小生も、ロボットには大いに関心があるので、カメラを持って駆け付けて一日を楽しく?過ごした。しかし、自律ロボットが部屋を出て公道を走るのは、かなり過酷な競技であることを実感する結果となった。実は、完走できたのは、ヤマハ発動機のロボット1台だけであった。あとは、惜しくも500mの折り返し地点で、曲がる個所を間違えて失格になったロボットが数台ある。例えば、ロボットにとって、道路に立っている物が、木か人間か「折り返し地点のポスト」か、を判断するのは難しい。予め地図を覚えていても、突然の自転車や障害物の出現には、停止したり迂回しなければいけない。

逆に考えれば、1台でも完走出来たのは素晴らしいことであって、自律的に荷物を運ぶロボットや、半自動運転の車椅子/自動車などは、かなり実現性が高まっていると考えられる
(INO記す)

小生が撮影した「つくばチャレンジ」の風景やロボット達
  スタート地点、走行ルートの遊歩道、ロボット達、周辺の風景(ロケットH-Ⅱが見える)、最後から2枚目のTV取材されているのは完走したヤマハ発動機チーム。

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■「つくばチャレンジ」を報告するHP

公式HP   http://www.robomedia.org/challenge08/

レポート http://journal.mycom.co.jp/articles/2008/11/25/tsukuba/001.html

2008年11月10日 (月)

雑司が谷界隈を歩く・5

    ―雑司ヶ谷霊園と紅葉―08110644 08110645_2 08110636 

都電唯一の鉄橋から坂を登って行けば、すぐ雑司ヶ谷霊園(注1)に着きます。その坂の途中の大谷石の石垣の窪みに親指くらいのミニ地蔵がたくさん置かれていたのが印象的でした。

雑司ヶ谷霊園は、明治7年に開設された6箇所の公共の墓地の一つで、現在都区部にある4箇所の都立霊園(青山、雑司ヶ谷、谷中、染井)の一つです(注2)。

広さは10ヘクタールで、緑の樹木の中に、多くの有名人、無名人の墓が整然と並んでいて、ゆったりとした時間が流れています。霊園内の木々もようやく紅葉が始まったところですが、ケヤキやイチョウの一部が色づいていました。081106432_2 081106483_3 081106625 

亀さんは、さっそく著名人の墓めぐりをすることにしました。ところが、誰の墓かを示す案内板はなく、持っていた資料では探しようがありません。

そこで、管理事務所で、「雑司ヶ谷霊園マップ」を入手し、そこに掲載されている人を中心に著名人の墓の探訪を開始しました。(墓の写真は、冒頭に掲載した夏目漱石を除き、末尾に文章登場順に掲載。)

とはいえ、最初の小栗上野介(開明派の「最後の幕臣」)の墓はなかなか見つかりませんでしたし、偉大な言語学者の金田一京助の墓の発見にも時間が掛かりました。

しかし、次第に探すコツが分かり、後は順調でした。夏目漱石の墓は「明治の文豪」という品格でしたし、竹久夢二の墓は「大正ロマン」という雰囲気を醸し出していました。中濱(ジョン)万次郎の墓はその功績のせいか、非常に広大で、その隣りには、美人洋画家の東郷青児の墓がありました。

“秋の日は釣瓶落とし”と言いますが、ふと時計を見ると15時半を過ぎていたので、ピッチを上げて墓めぐりを続行しました。人気詩人のサトウハチー、戦後の大政治家の愛知揆一、自由学園創設者の羽仁もと子、ラフカディオ・ハーンの小泉八雲、耽美的な小説家の永井荷風の墓などを巡りました。

そのほか、印象的な墓の写真を撮り、家に帰って調べると、女医第1号の荻野吟子前衛的な劇作家の村山知義の墓でした。荻野吟子はなかなかの美人だったようですね。

全体的には、宗派も幅広く(キリスト教、仏教等)、墓の形・規模も色々でした。著名人でも小さな墓があるかと思えば、無名の人の大きな墓もありました。また、幾つかの墓に「名刺入れ」があったのには驚きました。

なお、いずみたく、江戸屋猫八、大川橋蔵、鬼あざみ清吉(江戸時代の大盗賊)、東条英機などの墓は見つけられませんでした。「雑司ヶ谷霊園に眠る著名人」 のリスト(注3)もあったようなので、事前準備をもっとしておけば…と思いました。

以下、冒頭に掲載した夏目漱石の墓以外の墓を文章登場順に掲載しておきます。(このシリーズ・終り)(記入者:亀さん)08110638  081106401 081106472_2   081106491 0811065108110659 08110653  08110654   08110655 08110656Lrg_10934523_2 08110658

(注1)雑司が谷霊園:http://www.tokyo-park.or.jp/park/format/index071.html

(注2)都立の霊園の沿革:http://www.tokyo-park.or.jp/search/detail_soul/history.html

(注3)雑司ヶ谷霊園に眠る著名人:http://www.kosho.ne.jp/~ouraiza/jousetsu/list.htm

2008年11月 2日 (日)

金持酒で金持ちに!?

    ―金運祈願の広島のお酒―

アメリカの金融不安を端緒にする不況の嵐が、日本丸などを襲い、誰が船長でも操船不能になりそうな状況になっています。このままだと、歴史的な世界大不況が私たちに降りかかることになりそうです。これに対しては、与野党・政府・財界が一致団結し、機動的な対策を樹立してほしいと思いますが…。08102809

こんな折、亀さんは、広島関係者のパーティーで、「金持酒」というお酒を発見しました。

聞くところによると、広島造幣局周辺のコイン通り商店街の街づくりの一環で、広島市内の蔵元(注1)が生産し、「金持本舗」(用品名酒センター)という酒屋さんが販売している金箔入りの純米酒のようです。

“「金持神社」開運祈願済”というラベルが貼ってあり、福を招く縁起の良い日本酒としての効果も絶大”としています。特に、この300ml瓶については、日頃頑張っている自分へのプレゼントや「不景気をふっ飛ばす」贈り物”として宣伝しています。

この「金持神社」は、鳥取県日野町にある西暦810年創建の神社(注2)、「かねもち」ではなく、「かもち」と読むようです。

亀さんは、この「金持酒」を2本貰って帰り、サイドボードに飾られているドングリ(注3)と一緒に飾りました。

でも、今回の不況に対しては、こんな神頼みではなく、ちゃんとした生活スタイルの変更や改善が亀さんたちに求められているんでしょうね。(記入者:亀さん)

(注1)元祖・金持本舗:http://www.kaisen-omakasebin.jp/kanemochi/index.htmlhttp://www.rakuten.co.jp/kanemochi/info.html

(注2)金運祈願・開運祈願「金持神社」のHP>神社の由来:http://www.kanemochi-jinja.net/modules/tinyd0/index.php?id=1/

(注3)昨日のブログのドングリを奥さんが秋の装飾として活用したものです。

2008年10月14日 (火)

ロボットの祭典「ROBO JAPAN 2008」を見て(その2)

(その1)では、ROBO JAPAN 2008に参加したロボットのほんの一部しか紹介できていないので、HPのロボット紹介から、私が知っている又は関心があるロボットを拾って、ズラリと写真を並べてみます。皆さんは、どのロボットが好きでしょうか?名前などの詳細はHPの方を参照下さい。

■HPの参加ロボット一覧 http://www.robo-japan.jp/robo/aportalparty/8

■参加ロボットの紹介(INOの独断で抽出)
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2008年10月12日 (日)

ロボットの祭典「ROBO_JAPAN 2008」を見て(その1)

<ニュース記事>
「ROBO_JAPAN 2008」(実行委主催)が10月11~13日、横浜市のパシフィコ横浜で開かれる。本田技研工業のヒューマノイドロボット「ASIMO」や三菱重工業の「wakamaru」など技術の粋を集めたものからトイロボットまで、約100体以上が集合。2足歩行ロボットによる格闘大会「ROBO-ONE」も開かれるなど、イベントのタグライン通りに「人とロボットの近未来を体感する3日間」になりそうだ081011sk_robo_01_2    

                        

                        

                          

                           

                          

                           

(以上、ITmediaNewsの記事から引用)

ロボット好きの私としては、早速、昨日10月11日に会場の横浜パシフィコに行ってきた。
著名な方々のセミナーも複数聞いたので、展示会場は見切れていない部分もあるが、大別すると「実用化を目指したサービスロボット」と「ホビー用ロボットあるいは玩具」に二分される。個人的には、人間の役に立つロボットへの興味が大きいが、ホビー用も技術的には実用化ロボットと連続性がある部分もあり、無視できないものがある。

ロボットは日本が生産高約7000億円で世界一と思われがちだが、最近はヨーロッパのロボット売り上げが日本に迫っており、お隣の韓国もロボットに熱心に取り組んでいる。特に生産現場で使われるFAロボットではなく、いわゆるサービスロボットは各国が横一線の感じもするので、負けないように頑張らないといけない。(INO記す)

■ROBO JAPAN 2008のHP
  http://www.robo-japan.jp/robo/aportalparty/1                                                                        
Robojapan2008                          

                                                         

                                       

                                         

                                       

                                        

                                         

                                        

  

■動画  http://www.gizmodo.jp/2008/10/robo_japan_2008.html

                                                         

■会場の写真スナップ(携帯電話カメラ)
写真は、順番に、会場入口、富士通研究所のHOPE君(ボールを見つめている。女の子が制御してボールを蹴る)、マノイ君に神奈川工科大学がソフトを追加してカメラで人間を観察しながら体操を指導、有名なお掃除ロボット「ルンバ」、綜合警備保障の警備ロボット(筑波大の移動ロボット技術を導入している)、慶應大学理工学部の搬送ロボット(安西塾長と今井先生の研究室)、各メーカーのホビーロボット達、セミナーの開会待ち風景)                                                                       

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2008年8月21日 (木)

霞ヶ関に子供が一杯!

    ―夏休みこども見学デーが実施―080821011 080821022 080821033 080821044

今週の水曜日と木曜日に、元の職場の会議に出席するために、霞ヶ関に行ったのですが、いつもと雰囲気が違います。いつもは見慣れない小さな子供とお母さん方の集団がたくさん、あちこちの役所の玄関先に集まっているのです。

その原因が分かったのは、元の職場に着いた時です。その日は、夏休みを利用した官庁の子供向けPRの「夏休みこども見学デー」で、各官庁が一斉に子供向けの広報行事をする日だったのです。官庁毎に趣向を凝らし、色々な企画をして、各官庁を回るとスタンプを押してもらえる「スタンプラリー」もされていました。子供の多くがリュックを担いでいて、1日がかりの様子です。

“官僚への風当たりが激しいこんな時期に、集まるんだろうか?”と、会議の合間に、その会場を覗いてみました。

各会場は、子供の興味を惹く企画で一杯のものから、広報側の自己満足に過ぎないと感じるものまで、色々ありました。そのため、人気には極端な差があり、ほとんど人のいないコーナーからたくさんの子供でごった返しているコーナーまでありました。

亀さんが廻った限りでは、人命救助・ロープ結びの講習(消防庁)や鉄道模型の走行(国交省)など、学校の勉強から離れたテーマに、子供の関心が集中していたようです。

どんな人たちが来ているのか”興味があったので尋ねてみると、“夏休みの自由研究を兼ねて子供の参加できる行事をインターネットで探して”とか“お父さんの仕事を子供に知ってもらうため”という答が返ってきました。

官僚の不祥事を発端とした官僚批判がありますが、このような行事を通じた、行政の役割の地道なPR・広報の必要性を感じました。(記入者:亀さん)

2008年8月17日 (日)

新宿の目玉

新宿西口方面のスバルビルの歩道に面した壁には、巨大な目玉がある。昔は、写真雑誌の題材になったこともあるが、最近は珍しさも無くなったのか、写真で取り上げたのは見かけない。

我々が、大学生になって広島から上京したころは、新宿の都庁あたりは何もなくて、現在のように高層ビルが林立しておらず、スバルビルの目玉は良く目立っていた。いまも、目玉をカメラに撮ってみると、結構インパクトがある。私が、携帯電話カメラで撮っていたら、隣で東南アジア系の若い男女が記念写真を撮っていた。(INO記す)

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2008年8月 6日 (水)

広島原爆の日、夾竹桃が咲く

  ―今年も8月6日がやってきました!―050814032 050814062 08080501 08080800

今日(8月6日)は、「広島原爆の日」です。米軍機により広島に原爆が落とされたあの日から、63年目になります。

昨年も、亀さんは、この日のことを記事にしましたが(注1)亀さんは、今日も例年通り8時15分に、原爆死没者慰霊碑の前で行われる「平和祈念式」にあわせて、黙祷をします。

慰霊碑の「安らかに眠ってください 過ちは繰り返しませぬから」という碑文(注2)については色々な論議がありますが、慰霊碑の石室には、被爆者であった亡き祖母や父などの名前も記帳された「原爆死没者名簿」が納められているのです。

そこで、亀さんとしては、原爆投下の責任が誰にあるのかを問うよりも、慰霊碑に向かって世界の平和を祈るのです。

また、夾竹桃の花が咲いていることで、戦後の日本の復興と平和を喜び、それが持続していくことを誓うのです。

夾竹桃の花は、原爆に被災し、「70年間草木も生えない」と言われた広島の焦土に、最初に咲いた花であり、広島県人にとって戦後復興の象徴なのです。また、原爆犠牲者への慰霊の意もこめて、広島市の花に選定されています(注3)

その紅白の花が今年も暑い夏の太陽の下で咲いています。

皆さんも、夾竹桃の花を見ながら、今日1日だけでも、世界の平和を祈ってください!

追記:NHKの平和祈念式中継を見ながら、夫婦で黙祷しました。広島は、あの日のように暑い日で、平和公園では夾竹桃が咲き、クマゼミがうるさく鳴いていました。(記入者:亀さん)

(注1)昨年8月7日の記事:http://dankai-hiroba.cocolog-nifty.com/blog/2007/08/post_9e4d.html

(注2)原爆死没者慰霊碑:http://www.pcf.city.hiroshima.jp/virtual/VirtualMuseum_j/tour/ireihi/tour_20.html

(注3)夾竹桃:http://www.kyouchikutou.jp/kyouchikutou.html

2008年7月13日 (日)

iPhone狂想曲とアップル社

7月11日(金)に「iPhone」が売り出された。買いたい人が長蛇の列で、あっという間に売り切れたらしい。実は、私も仕事を終えて買いに行こうと考えていたけれど、夕方にインターネットで確認すると、当日分はすでに完売と判明。あきらめて、皆と飲みに行った。

iPhoneは、いわば、「携帯電話+iPod+超小型PC」のような機能であるが、ボデイや操作画面の美しさと、指でページ捲りや写真拡大縮小が出来るなど、洒落た機能が人々を惹きつけている。

思えば、iPhoneを開発したアップル社は、30年くらい前のPC揺籃期に「Macintosh(1984年発売)」という先進的でお洒落なマシンを出した。計算機好きの人種には、憧れのマシンであった。たとえば、今では当たり前の機能である「アイコン」はMacintosh(1984年発売)が初めて本格的に使った。しかも、美術の専門家に頼んで美しいアイコンを作った。会社のロゴである「齧ったリンゴ」と社名アップルは、ビートルズに心酔していた創業者達が選んだ。「技術の天才、スティーブ・ウォズニアック」と「製品センスの天才、スティーブ・ジョブス」の連携で成功の歴史を開いた。

スティーブ・ジョブスは、今も健在であり、アップル製品の高性能、スマートさとお洒落さは、約30年前のMacintoshから現在のMac,iPod,iPhoneと脈々と続いているのは凄いことであるsign01

(INO記す)

写真の説明:Macintosh、iPhone、スティーブ・ジョブス、Mac

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2008年7月10日 (木)

愛煙家のオアシスは…。

 ―豪華な灰皿付の石のベンチのある広場―08042801 080709082

現在、タバコの増税が議論になっており、「欧米諸国のタバコの値段は日本の2倍以上(注1)で、国民の健康を考えると、止むを得ない。」という意見が相当あります。

しかし、この狙いが社会保障の安定財源確保にあり、消費税の値上げの議論を避けているのは、誰の目にも明らかです(注2)

ビールなど酒税の値上げには、酒を飲む主婦たちは多いためか?、国民の反対も強いのですが、タバコの増税については、今まで主婦たちが「この際、あなたもタバコを止めたら…」という反応で、国民の反対が少なく、いつも、関係も無いことに利用されるのです。

しかも、受動喫煙防止の観点から、家で禁煙ないしホタル族を強いられ、健康増進法制定以来、官公庁・飲食店や職場でも喫煙場所がなくなり、公園も禁煙のところが多いようです(注3、4)

そこで、最近では、事務所ビルの近くの広場がオアシス(避難場所)になっているのです。2月29日や3月28日付けの記事の金比羅神社の境内もその一つです(注5、上の写真左)

ところが、先週、その愛煙家のオアシスから灰皿が消えました。サミット警備のためにゴミ箱・灰皿が撤去されたのです。

しかし、さんは、サミット警備が最厳重である米国大使館の近くで、灰皿が設置されたままの広場を発見しました(上の写真左)

それは、どこでしょう?・・・・・・・・・・・・・・。

答は、JT(日本たばこ産業)本社ビル前の公開広場です。写真を見ればお分かりの通り、豪華な灰皿が石のベンチに取り付けてあり、外せないのです。さすがに、タバコの生産・販売の元締めだけのことはありますね(下の写真)

なお、亀さんは、1日20本程度の愛煙家で、家では孫の来ている日でない限り、居間でタバコを吸っていますが、1箱1,000円になれば止めるつもりですし、500円になると禁煙・節煙を検討するつもり…。(記入者:亀さん)

(注1)主要国のタバコ価格等:http://www2.ttcn.ne.jp/~honkawa/5150.html

(注2)過去にも、タバコ税の値上げは、タバコと無関係である国鉄再建や湾岸戦争戦費負担のためにされたこともあります。

(注3)健康増進法:http://law.e-gov.go.jp/htmldata/H14/H14HO103.html

(注4)職場は、最初は「分煙」ということで喫煙室や喫煙コーナーが設置されたりしましたが、今は、全館・全社禁煙のところがかなり多いようです。

(注5)2月29日付けの記事:http://dankai-hiroba.cocolog-nifty.com/blog/2008/02/post_60f2.html、3月28日付けの記事:http://dankai-hiroba.cocolog-nifty.com/blog/2008/03/post_917b.html08070906_2080709052080709092

   

2008年6月20日 (金)

今の社会風潮を考える

 ―「蟹工船」と「堂々たる政治」―08061501

亀さんは、最近、今まではあまり読まなかった分野の2冊の本を読みました。
亀さんの読書スタイルは、色々な分野の本を乱読するものの、従来、「読む前から主義・主張の分かるような本は読まない。」というものです。だから、そんな本がベストセラーになっても読まなかったのですが、最近は、そんな本も読んでみるようにしています。

そこで、昭和初期に書かれたプロレタリア文学・小林多喜二の「蟹工船」(新潮文庫)が、最近、ワーキングプアの共感を得て、ブームを呼んでいると言われ、一方、与謝野馨前官房長官の「堂々たる政治」(新潮新書)が話題になっているので、読んでみました。一方が共産主義賛美の小説、他方が名門の出の自民党の幹部の著書で、対照的な本です。

「蟹工船」については、某党の最高幹部は、この本がブームになっている現象を「(労働者が)無権利の状態に置かれた戦前の時代と今が重なりあっている」と分析するようです(5月27日付読売朝刊)が、読み終わっての亀さんの感想は、「??」です。
ワーキングプアを生む社会にも問題はあるんでしょうが、亀さんは、その人自身の今までの生き方や家庭教育にも問題があると感じています。当時と今は制度も時代背景も違うのに、自分の不幸を社会のせいだけにして、「蟹工船」に共感すると言うのは一種の逃避では…と思いました。
ましてや、秋葉原無差別通り魔事件の犯人がワーキングプアであったことにから、その最大の原因が社会の問題であるとする一部の意見については、ワーキングプアに対する甘やかしとしか感じられません。

「堂々たる政治」については、著者自身が現在の野党のみならず、与党の政治家に向けて(?)の次の言葉が印象的でした。
「本来、政治家の仕事は全人格と人生を賭けて大きな判断をすることである。その時々の流れに迎合することではない。だから、耳障りであっても、事実をきちんとお話しする。」
内容的には、一部に賛成しかねる点も見られましたが、書かれている事柄のほとんどは、政治的な駆け引きや欺瞞が感じられず、特に、第六章の「国家は割り勘である」以降については、マスコミ受けや時々の時流に迎合して、目先の議論に終始し、大切な議論を避けている現在の政治に対する警告として傾聴に値すると感じました。(記入者:亀さん)

2008年6月13日 (金)

この看板の意味は?

 ―洞爺湖サミットへの理解・協力とは?―08061301

北海道洞爺湖サミットまであと1か月を切りました(注)

最近、亀さんの埼玉高速鉄道の最寄り駅の改札口の近くに「北海道洞爺湖サミット 警備への理解と協力を」という警察の立て看板が置かれました。

善良な市民の亀さんとしては、喜んで「協力」もしますが、どんな協力をすればいいんでしょうか? この看板では、全く分かりません。
「市民警備隊でも作って北海道に行こう!」いうのか、「埼玉県警が北海道警に応援に行くので、地元の警察が手薄になるので、我慢してくれ!」というのか、それとも…。
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その疑問は昨日解決しました!

勤務先の東京メトロの最寄り駅に、「《北海道洞爺湖サミット》警備強化のお知らせとお願い」とポスターが貼られ、6月10日から1ヶ月間の①制服警備員等の配置、②ゴミ箱の撤去、③危険物持込みに対する警備強化・手荷物の点検へのお願い、④防犯カメラの監視強化の実施が謳われています。そして、この間の乗客の不便を詫び、理解と協力を求めています。

それなら分かりました! 多少の不便は市民として我慢します! 東京メトロでは、制服警備員等の配置やゴミ箱の撤去は既に実施されているのが、この目でも確認できます。
なお、埼玉高速では、警備員の姿もなく、ゴミ箱の昔のままです。(記入者:亀さん)
(注)北海道洞爺湖サミットのHP:http://www.g8summit.go.jp/index.html

2008年5月22日 (木)

中国・四川大地震と日本

  ―国際消防救急隊の解隊式に遭遇―08052101 08052103 08052104 08052105

亀さんは、昨日、昼ごはんをハンバーガーにしようと思い、霞ヶ関の某省の地下にある「Mドナルド」に行く途中、中国四川大地震の救助活動を終えて帰国したばかりの「国際緊急援助隊」救助活動チームの「国際消防救急隊」(注1)の解隊式をやっている場面に遭遇しました。

中国の四川大地震は、去る12日午後3時28分(日本時間)に起きたM8.0(注2)の地震で、死者・行方不明者は5万人を超えると言われています。

日本の「国際緊急援助隊」救助活動チームは、世界で最初に中国に入った国際救助隊で、中国でも大いに感謝され、評価されたようです。「国際消防救急隊」17名は、その中の消防関係者のようでした。

その式は、隊員の入場、団長の活動報告、総務大臣のねぎらいの言葉、隊旗の返還と続き、その後、記念撮影が行われていました。

隊員たちの顔は、受け入れが遅れ、生存者を救出できなかった悔しさを滲ませていましたが、国際的な貢献ができた誇りに満ちていました。(隊員たちの心は、きっと、昨日の夕陽(下の写真)のようにホットであったと思います。)

この大地震の被害の原因や中国政府の対応に色々な意見がありますが、亀さんが、この解隊式を見なが、感じたのは、“まず、我が国が今すべきことは、地震被害に遭っている人たちの救援や地域の復興に、地震国・日本の経験と技術を最大限に活用して、国際的な貢献をし、国際的な信頼を獲得することだ”ということでした。(記入者:亀さん)

(写真、順に)隊員の入場、総務大臣のねぎらいの言葉、記念撮影、昨日の夕陽

(注1)国際消防救急隊と国際緊急援助隊:http://www.m-kouiki119.jp/kyujotai/kokusai/main.html

(注2)阪神・淡路大震災(平成7年兵庫県南部地震)の約40~50倍のエネルギーであるという。

2008年5月17日 (土)

(喜歌劇の)日本オペレッタ協会の紹介

先日のオペレッタの紹介記事に関心を持って頂いた方が多かった。特に、「オペレッタというのは喜歌劇であり楽しくハッピーエンドが多い」ということを知って、機会があれば見てみたいとのコメントがあったのは嬉しかった。

私も、音楽や芝居は、楽しくあるべきという意見である。ただでさえ問題が多い世の中で、音楽や物語くらいは楽しいものを鑑賞したい。モーツアルトも、自身は悲惨な環境にあっても、天使のような曲を書いた。

日本オペレッタ協会のY村さん(大学、会社を通しての友人)が、オペレッタへの関心・反響に気を良くして、ホームページのアドレスを送ってきた。皆様も、楽しいオペレッタについて覗いてみたらどうでしょうか。 (INO記す)

HP: http://www.operettahouse.com/profile01.html

ニュース: http://www.operettahouse.com/index01.html

公演: http://www.operettahouse.com/stageimg/stage01.html

感想: http://www.operettahouse.com/la-vie-ph/la-vie01.html

オペレッタ鑑賞ツアー(ウィーン他):http://www.operettahouse.com/pdf/travel.pdf

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2008年4月25日 (金)

霞が関ビルは40周年!

 ―日本の高度経済成長のシンボル―080420151_3   080420162_2 080420173_2

先日、東京メトロ虎ノ門駅の出口に「霞が関ビルディング40周年。」の三枚のポスターが掲示してありました(上の写真)霞が関ビルは、先日、40歳の誕生日を迎えたのです。

これを知って、亀さんは、感慨深いものがありました。

霞が関ビルがオープンしたのは、亀さんが大学生であった1968年(昭和43年)4月18日でした。

思い起こすと、亀さんが高校生のとき(1964年)に東京オリンピックがあり、これにあわせて、首都高速道路が整備され、オリンピック直前に東海道新幹線が開業しました。

大学生になって東京に来て見ると、銀座こそきらびやかな「東京」でしたが、新宿、渋谷、池袋、新橋などは戦後の闇市の残滓を残していました。特に新宿西口は(淀橋)浄水場の跡地で何もありませんでしたし、国道246号(青山通り)にはほとんど車も走っておらず、一番大きなビルは輸入食材・スーパーの「紀ノ国屋」のビル(多分2階建?)だったのです。(因みに、1962年までは、日本では、建築物については高さ31m制限がありました。)

このように、「東京オリンピック」の成功で、日本は「先進国の仲間入り」と言われていましたが、都市整備という点では、まだまだ戦後からは脱し切れていませんでした。

その後、高速道路も、名神・東名の都市間高速道路の整備が進み、都市内でも、建築物の整備が進んで、ついに地上36階、地下3階、高さ147mの「霞が関ビル」が完成するのです。

翌年には、この「霞が関ビル」の建築をテーマにした映画「超高層のあけぼの」東映配給、出演:池部良、木村功、新珠三千代、佐久間良子、田村正和など。注1)も全国の劇場で公開されました。

亀さんは、苦学生でしたが、高い入場料を払って、「霞が関ビル」の36階にあった展望台に昇り、下を歩く人や車が蟻や模型のように小さいことに感動し(注2)、また、映画を見て、日本の技術力の素晴らしさに感激したことを今でもはっきりと覚えています。

今でこそ、多くの超高層ビルの1つにしか過ぎず、他のビル群の中に埋没しそうな「霞が関ビル」ですが(注3)当時は、日本の経済発展の象徴として仰ぎ見ていたことを今でも思い出し、このビルが日本の経済成長と共に歩んだ40年間に色々な感慨にひたる亀さんでした。(記入者:亀さん)0804201808042201

(注1)http://www.kajima.co.jp/news/digest/jan_2005/kajimakiko/kiko.htmhttp://home.f05.itscom.net/kota2/jmov/2002_03/020302.html

(注2)亀さんの記憶違いでなければ、今のように沢山の超高層ビルの時代では考えられないことですが、「その展望台から皇居を見下ろすのは失礼(不敬)である」との声があって、皇居側は見られないようにしてあったと記憶しています。

(注3)昨年10月9日付け「霞が関ビルが3本になったか?」:http://dankai-hiroba.cocolog-nifty.com/blog/2007/10/post_f7e4.html

2008年4月14日 (月)

音楽の都ザルツブルグの思い出

何年か前に、オーストリアに旅行して、音楽の都ザルツブルグ

ならびにウィーンを訪問した。何れも文化の香り高く、素晴らしい

都市で、忘れられない思い出となった。何時の日か、まだ元気な

うちに再び訪れたいと思っている。

そこで、モーツアルトの故郷ザルツブルグの写真をピックアップして、

写真集的に纏めてみた。なお、カメラは愛機NikonD70であるが、

一部場面(※印)は写真が無く、インターネットで検索した写真を

使っている。(INO記す)                       

                                                           

<ホーエンザルツブルグ城>※                                

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<お城から街を望む>   

明るく写っているが、かなり暗くなった夕暮れ。

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<お城から村や山を望む>

時々刻々と光と色が変わり、映画の一場面のようだった。                    

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Photo_4                                       

                                      

                                   

                                      

                                    

                                      

                                        

                                             

<城内の一室で室内楽演奏>

アイネクライネナハトムジーク演奏中                                 

Photo_5                                     

                                   

                                   

                                   

                                   

                                       

                                      

                                         

<ザルツブルグ大聖堂のオルガン>※

モーツアルトも弾いたかもしれない。                                        

Fh240017                                     

                                

                                      

                                           

                                         

                                      

                                      

                                                   

<ミラベル庭園>※                                                  

奥に見えるのはホーエンザルツブルグ城。

映画サウンドオブミュージックの舞台にもなった。

Fh220037                                    

                                       

                                      

                                       

                                       

                                      

                                           

                                        

<モーツアルトの生家>                             

Dscf0308_4                                       

                                          

                                        

                                      

                                           

                                      

                                      

 

<モーツアルト広場>                                      

2_1                                      

                                       

                                      

                                      

                                    

                                      

                                      

                                         

                                      

                                      

                                      

                                                                 

                                                           

                                 

<ザルツブルグの街に入る橋>                                    

Photo_6                                                                                                                              

                                                               

                                                                

                                         

※印の写真は以下のHPの写真を引用させて頂いた。面白いことに、お城からザルツブルグ市街を一望した写真は、私が撮ったのと全く同じ構図である。私の腕もプロ並みか??

<ロマンチック街道とザルツブルグ・ウィーン(写真集)>

http://www.ne.jp/asahi/sugiyama/sorcer/salzburg.      

                                                                                                                                                            

<ウイーン、ザルツブルグ、チロルのビデオ(JAL TV)>

http://www.jal.co.jp/jaltv/source/?s1=travel&s2=europe&s3=austria&id=austria-travel#                                

                                                                 

2008年3月29日 (土)

呉で世界最大のタンカーを見た

~小学校時代の思い出~

亀さんが広島県呉市の話をしていたが、呉と聞くと造船の話をしたい。実は、呉は母の実家があり、母の兄弟親戚も多く居るが、特に母の兄は造船技術者として大きな実績を残した。私が技術系に進んだのは、母の兄(以下、叔父さん)の影響が大きいかもしれない。

叔父さんは、戦争中は呉の海軍工廠で技術少尉であったが、戦後はそのまま呉の播磨造船所(後に⇒ナショナルバルクキャリヤNBC⇒石川島播磨重工業)に勤めた。思い出すのは、私が小学校3年生のときに、世界最大のタンカーを建造し進水式をするので見に来なさいと言われ、母と一緒に進水式に行った。そのとき叔父さんは技術部長で、所長はSさん(後にNTT総裁になる)であったが、Sさんから「坊や良く来たな」と頭をなでられた。タンカーの先頭から末尾まで走った時に、学校の運動場よりも大きいな、と思ったのを覚えている。

ところが、小学校に戻って「世界一大きなタンカーに乗った」と言っても、「日本が世界一の船を作れるはずが無い」と誰も信じてくれない。先生までもが信じてくれなかったのは悲しかった。戦艦大和を作った日本の力を忘れたのか 敗戦国の自信喪失か?

いささか記憶も薄れたので、インターネットで確認したら上記は間違いの無い事実であり、建造したタンカーの名前はユニバース・アポロであった。調査した資料を次に添付する。日本の造船技術を誇りにし、今後も大事に育てていこう

(INO記す)

※お詫び:この記事は2007年春に書いた記事ですが、評判が良くて、今でも毎週数件はアクセスがあるので再掲しました。(実は、亀さんが治療中のための、記事不足を補う面もありますが)

     

■以下は調査資料

<石川島播磨重工業の呉造船関係の歴史>

 旧呉造船所

  • 1945年 - 株式会社播磨造船所、旧呉海軍工廠跡に呉船渠開設。
  • 1952年 - 米ナショナル・バルクキャリア(NBC)、旧呉海軍工廠跡に呉造船部開設。
  • 1954年 - 株式会社呉造船所、播磨造船所から分離設立。
  • 1958年 - 世界初の10万トン級タンカー「ユニバース・アポロ」就航。
  • 1962年 - NBCから同社呉造船部の営業譲渡を受ける。

 石川島播磨重工業

  • 1960年 - 石川島重工業株式会社と株式会社播磨造船所が合併し石川島播磨重工業株式会社設立。
  • 1966年 - 世界初の20万トン級タンカー「出光丸」就航。
  • 1968年 - 石川島播磨重工業株式会社、株式会社呉造船所を合併。

<呉造船での世界最大級タンカー建造>

●海軍のハイテク技術を生かした世界最大級タンカー
 海軍工廠のハイテク技術を享受した呉では、造船分野において特にその技術の高さを発揮し、次々と世界最大級のタンカーを生み出した。昭和27年に進水式を行った「ペトロ・クレ」(3万8千重量トン)を皮切りに、昭和33年の世界初の10万トン級タンカー「ユニバース・アポロ」、昭和46年の「日石丸」、昭和47年の「グロブティック・トーキョー」、昭和49年の「日精丸」など、世界最大の記録を次々と塗り替えた。http://www.city.kure.hiroshima.jp/mitekure/mite01_04.html

造船船舶記念碑(戦艦大和関係) http://www.itsukushima.net/PROFILE/Memory/YAMATO/20060327/003.htm

56m

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2008年3月16日 (日)

さようなら、ブルートレイン銀河

~思い出の夜行寝台急行~

ブルートレイン銀河が3月14日を最後に廃止された。一抹の寂しさを覚える。

夜行寝台列車といえば、小生が大学に入って東京に出てきて以来、毎年、広島に帰郷の際に愛用していた思い出の列車である  Photo                                  

                          

                           

                           

                          

                          

                            

                         

                            

[写真:裏辺研究所のブルートレイン・夜行列車一覧より]

大学に入学してから、最初の夏と冬は寝台ではなくて、一番安価な夜行列車で帰郷したが、満員で椅子の柱に寄り掛かって、立ったまま寝る有様であった。そこで、2年生からは夜行寝台急行を利用することにした。

二等寝台は、昼間は向かい合ったボックス席(1列に3名)の状態であるが、夜は車掌さんがベッドを組み立ててくれて、狭いながらも三段ベッドになる。上段には階段を利用して上がるのである(写真参照)。朝は、またボックス席状態になる。狭いベッドに寝そべって、カーテンを閉めて、ライトをつけて週刊誌などを読むのも、なかなか楽しいものであった。

私が学生の頃は、どういうわけか女子大生も多く利用していて、何度か同じ椅子の隣に座った。すなわち、ベッドになったら上下の関係になるわけである。椅子に座っているときは楽しく会話して、寝るときになったら、目の高さに上段に寝る女の子の膝があって、少しドキドキしたものである。いまは懐かしい思い出になってしまった。(現在は、列車の構造が変わっているかも知れません?)

まだ、夜行寝台急行が全部なくなったわけではないが、銀河の廃止のニュースで昔を思い出した次第。以下に、銀河のラストランを巡る写真やニュースをご紹介する。

(INO記す)

■銀河廃止の日のTVニュース  http://www.youtube.com/watch?v=U7aPoWFB_Mk

■写真:「淳也のホームページ」 から引用

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2008年3月 2日 (日)

「明日への遺言」を見てきました!

―藤田まことの好演は光るものの…―01_1024

亀さんは、画「明日への遺言」を、全国ロードショー公開の初日の昨日(3月1日)、ワーナーマイカル浦和美園で見てきました。

この映画は、『雨あがる』などの、黒澤明門下の小泉堯史監督が、大岡昇平原作の「ながい旅」を映画化したもので、第二次大戦後にB級戦犯として絞首刑に処せられた元東海軍司令官・岡田資中将(藤田まこと)の横浜法廷(米国陸軍第8軍軍事委員会の軍事法廷)での姿を描いた映画です。

同法廷の争点は、名古屋空襲の際、撃墜された米軍機の乗員を略式手続で斬首刑に処したことについて、「名古屋の空襲が国際法違反の無差別爆撃か否か」、「爆撃機の乗員は国際法違反の無差別爆撃をした戦争犯罪人か、国際法上保護すべき捕虜か」という点であった。このような都市空襲の犯罪性は、広島・長崎の原爆投下の犯罪性などと同様、極東軍事裁判などの国際的な裁判において裁かれることが殆どなかったのですが、唯一、この横浜法廷では岡田中将が「法戦」との意識から強く主張したため、論議されました。このことは注目に値いします。

勿論、戦勝国の法廷でその論理が実ることはことはなく、結局、岡田中将がその責任を一人で負って、絞首刑になります。この映画は、その法廷のプロセスを叙事劇風に描いています。

巻頭の約10分で白黒の記録フィルムを活用して、法廷における国際法上の争点を明確にする手法には面白さがあり、岡田中将役の藤田まことの好演は光っていたものの、全体的な感想としては、映画作品的というよりはテレビ・ドキュメント的であったと感じました。それと、国際法という大きなテーマよりは、主人公の潔さが目立ってしまう結果となっていたのは、何となく中途半端な感じがしました。

しかしながら、戦争というもの(その不条理性、悲惨さなど)を考える上で意味ある映画であるとは感じ、一応見ておくべき映画ではあろうと思いました。(記入者:亀さん)

2008年2月23日 (土)

米国ロボット情報発信のGetRoboを紹介

~ニュースレター「GetRobo(ゲット・ロボ)」~

最近、WillowGarageという会社が米国のロボット業界で注目されていると聞いた。正直言って初めて聞く名前なので、さっそくインターネットで検索したら、GetRoboというブロッグが唯一マッチングした。クリックしてブログに飛んでみると、米国に住んでロボットのニュースレターを発行している「影木准子さんのブログ GetRobo(ゲット・ロボ)」であった。http://getrobo.typepad.com/getrobo_blog/2007/10/willow-garage.html

http://getrobo.typepad.com/getrobo_blog/cat17950998/index.html

影木准子さんは、昨年12月に、東京で開催された「今年のロボット大賞2007」のセミナーで、米国のロボット事情について講演されたのを興味深く聞かせてもらった方である。それっきりになっていたが、ロボット最新情報の検索をしたら、また影木さんに辿り着いたわけである。さすがに米国シリコンバレー在住で活躍されているので、生の情報がキャッチ出来るのだなと感心した。ロボットに興味がある方は、情報チャネルの一つにされると良いと思う。

影木准子さんのプロフィール>1989年北海道大学工学部応用物理学科を卒業後、日本経済新聞社入社。科学技術部、国際部などを経て、1997-2001年、同社シリコンバレー支局記者。2002年に日経を退社し、現在はシリコンバレー在住のフリーランス・ジャーナリスト。コンシューマー向けロボットの開発・市場動向に最大の関心があり、この分野にフォーカスしたニュースレター「GetRobo」を発行するほか、ブログ「GetRobo Blog」で情報発信している。

(INO記す)    

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                                                                                                                                         ★蛇足:ロボットに興味がある方は、小生のブログ(ロボット抜粋)も参照ください。http://dankai-hiroba.cocolog-nifty.com/blog/cat20035286/index.html

2008年2月13日 (水)

ロボット考(3)「産業ロボットとサービスロボット」

ロボットという言葉は最近良く目にするが、これはロボットへのニーズが高まっているとともに、知能と機能を持ったロボットの実現が可能になりつつあることが背景と思う。トヨタ自動車もロボットを将来の中核事業にすると宣言した。ところで、ロボットは大きく分けて2種類のロボットがある。「産業ロボット」と「サービスロボット(非産業ロボット)」である。

産業ロボットは、昔から工場で活躍しているロボットで、主に自動車の溶接や塗装、あるいは液晶ガラス基板搬送などである。全世界のロボットの大半が日本にあるそうで、自動車産業などの競争力のバックボーンの一つであろう。このロボットは7000億円市場に育っている。

ちなみに、産業ロボットの効果であるが、先ずは工場で働く方々を3K的な仕事から解放した点がある。さらに熟練工が少ない発展途上国では、ロボットは安定した作業で一定品質のものを製造する役割も持っている(凄いことと思う)。

 また、サービスロボットは、少子高齢化の時代の介護作業支援、掃除などの家事手伝い、荷物搬送や案内、あるいは癒し系ロボットなど多彩なものが現れ始めている⇒事例(日本ロボット工業会HPより) http://www.jara.jp/x3_jirei/index.html

最近、話題になっているロボットは、大部分が、このサービスロボットに分類されるものである。しかし、商品としては機能やコスト低減が未だ不十分で、今後の発展が期待されているのが現状である。このサービスロボットを高機能かつ廉価に実現する「次世代ロボット開発技術」の進展が待たれるところである。ある予測では、家庭へのロボット導入が進むことを前提にして、サービスロボットは、2025年には7兆円市場に拡大すると考えられている。

(INO記す)

※ロボット考(n)記事のバックナンバーは、カテゴリー「ロボット」をクリック下さい⇒ http://dankai-hiroba.cocolog-nifty.com/blog/cat20035286/index.html

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Asimo

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2008年1月 4日 (金)

正月の富士山の勇姿

  ―2008年の仕事始めは・・・。―08010401

東京の2008年の正月三が日は、すこぶる好天気で、本日(1月4日)の仕事始めの日も朝は寒かったものの、日差しは暖かく、いい天気でした。

富士山も、青い空を背景に、真っ白な雪を被った勇姿を見せていて、今年の日本の復活を予見させるようでした。

以前にも書いたと思いますが、亀さんは、毎朝、「富士山が見えるかな?」と、職場の窓から西の方向を見て、富士山が見えると何となく「今日1日はきっと良いことがあるぞ!」と自分に言い聞かせているのです。(見えないと、「今日は気を引き締めよう!」と言い聞かせる。)

しかし、富士山はよく見えた今日は、原油の急騰と急激な円高により、株価の大暴落があり、今年の日本の前途多難を予見させるような1日でした。

どうか、今朝見えた雄雄しい富士山のように、今年の日本が「どっしり」と安定していることを願うばかりです。(記入者:亀さん)

2007年12月29日 (土)

薬害肝炎訴訟、全面解決へ

   ―亀さんもC型肝炎―071229011_2 071229022

このブログを書くかどうか、少し悩みました。その理由は、①このブログにはあまり政治的な又は深刻な記事を書かないようにしていたこと、②C型肝炎に対する理解が不十分な状況で自分がC型肝炎患者であることを言うことにためらいがあること、③亀さんが言う意見が、役人(ただし、厚労省の役人ではありません。)であるために政府寄りであると考えられるのでは…と思うこと等からです。

しかし、亀さんは書くことにしました。

ただし、亀さんの感染の原因は、薬害ではなく、多分、政府の推奨した予防接種か、黙認した注射針・注射器の連続使用のようです(予防接種の政府の推奨等がなければ、感染しなかったはずです(注1)。)。

また、亀さんは、治療的には、インターフェロンによるウィルス除去は失敗しましたが、現状は、肝機能は正常値を維持し、月2回の登山をするほど、元気です。(亀さんの感染原因と現在の状態→「071229kameC.doc」をダウンロード )。

このような亀さんとしては、今回の薬害C型肝炎患者の救済方法として、立法的な解決を図ったのことは、最善の方法であったと感じています。

なぜ、「福田総理がもっと早く、和解交渉で一律救済を打ち出さなかったのか?」という意見を中心に、「行政的な解決が出来なかったのか?」とか、「対応が遅い!」との疑問や批判の声がマスコミや一部政党にありますが、亀さんは、解決のためには、今回のプロセス(行政的解決、司法的解決の限界を明快に国民に示す→国民の反応を見る→立法的な解決を図るというプロセス)が必要であったと思います。

なぜなら、①仮に亀さんのように、昔の予防接種等でC型肝炎に感染していた(が、発症していなかった)人がフィブリノゲン製剤等の投与を受けた後に発症した場合には、論理的には、亀さんと同様、政府の責任を問うことは多分出来ないと思います。しかし、予防接種で感染していたのかどうかについての立証は殆ど困難です。

また、②昔の予防接種でC型肝炎に感染していない人がフィブリノゲン製剤等の投与を受けた後に発症した場合には、政府に発生防止責任がいつの時期かに生じていたことは確かですが、各訴訟についての各裁判所の判断が異なり、しかも、その時期を異にしている状況下で、いずれの司法判断をも行政側が超えて、一律救済を打ち出すことことは、法律的に「行政による司法無視」に繋がる恐れがありますし、また、法律・予算によって税金を使うという行政の立場からは、問題があります。

(だからと言って、亀さんは、この薬害を漫然と見逃していた厚労省の姿勢が弁護されるべきものだとも、弁護の余地があるとも、決して考えてはいません。)

このような困難性の中で、「税金を使ってもこの訴訟の原告(被害者)の一律救済を!」という国民の声を考えるとき、立法的に、フィブリノゲン製剤等の投与の立証のある限り、一律で救済しようとする声が議会側(福田総理ではなく、福田自民党総裁から)から出たのは、当然なのです。

むしろ、野党は、行政的な解決や司法的な解決が困難になった時点で、そのような議員立法を志向すべきではなかったかと残念に思います。それをせず、与党に議員立法による解決の方針を決められるまで、政府攻撃に終始し、また、議員立法の方向が出てからも与党と訴訟の原告側(被害者)の合意が成立するまで、「洞ヶ峠」(日和見)を決め込んでいたのは、責任野党の姿勢として、亀さんは全く理解できないのです。

いずれにしても、今回の議員立法により、薬害C型患者の一律救済が可能になることを亀さんは喜んでいます。

最後に、この議員立法が成立しても、昔の予防接種等でC型肝炎に感染した人やカルテが無くてフィブリノゲン製剤等の投与の証明が出来ない人のように、その議員立法の救済を受けることが出来ないC型肝炎患者が多数おり、その人たちは高い治療費で支払いつつ(注2)、日常生活と奮闘していることを知っていて ほしいと思います。

(注1) 多くのC型肝炎患者は、亀さんのように、昔の予防接種等でC型肝炎に感染したものであり、その多くの人は、「敗戦後で、注射針・注射器の連続使用という時代であった」と、事態を甘受している。学問的には、注射器の連続使用は危険だと分かっていたが、伝染病予防と日本の経済的状況からはそれを中止し、現在のように一人に1本の注射針・注射器を使用することは困難であった。

(注2) 高い治療費については、負担軽減の立法が予定されているが、その対象にならない保険対象外のインターフェロン治療を受けている人もいますので、根本的な解決にはならないでしょう。

2007年12月 7日 (金)

変貌する東京駅八重洲口

 ―新たなランドマーク・グラントウキョウ―0712071f1000008_2 0712072f1000018 0712073f1000017 0712074f1000022

11月10日に東京駅の駅ナカ「グランスタ」について書きましたが、亀さんは、今日、八重洲のブックセンターに本を買いに行き、東京駅八重洲側の変貌を見てきました。

東京駅といえば、昔から丸の内側には三菱地所などのオフィスビル群が建ち並び、一大オフィス街を形成しているのに対して、八重洲側には大丸東京店が入っていた鉄道会館や国際観光会館があるくらいでした。

また、最近の再開発も丸ビル、新丸ビルの建て替え、旧国鉄本社ビルの再開発等、丸の内側が超高層ビル群に再開発されていくのに比べて、八重洲側は取り残されている感じでした。

ところが、三井不動産、JR東日本等が八重洲側の再開発に取り組み、10月末に「グラントウキョウ ノースタワー」(43階建)と「グラントウキョウ サウスタワー」(42階建)の超高層ビルが竣工し、八重洲側も大きく変貌しました。特に、ノースタワーには、大丸東京新店が入り、サウスタワーの地下には商店街の「グランアージュ」入っており、駅や八重洲地下街と直結しています(注)これらのビルは、隣の駅ビル「サピアタワー」と一体として、東京の新名所になっています。

このように、東京では、表参道ヒルズ、六本木ヒルズ、東京ミッドタウン、恵比須ガーデンプレイスなどの都市再開発や銀座へのブランドショップ立地が進んでおり、景気の低迷する地方に比べて、「東京の一人勝ち」という感があります。地方出身の亀さんとしては、なんとなく複雑な気分で、八重洲口の変貌ぶりを眺めました。(記入者:亀さん)

(注)これらのビルは、大丸東京店が入っていた鉄道会館を取り壊して出来る4階建ての歩行者デッキの「グランルーフ」で繋がる計画になっています。

(写真上順に)サウスタワー側から見たノースタワー、サウスタワー、ノースタワーと取り壊し予定の鉄道会館(手前)、ノースタワーの大丸東京新店。(写真下)八重洲から見た丸の内側のビル群、丸ビルと新丸ビル0712075f1000013 0712076f1000019

2007年10月26日 (金)

最近の公務員の怠慢・腐敗・不正に思う!

 ―旧二本松藩の戒石銘に学ぶ―

071025最近のKR省やSH庁の職務怠慢ぶりやB省事務次官の業者との癒着、警察官や教員をめぐる事件の多発などを見ると、公務員の怠慢・腐敗・不正には目に余るものがあります。

彼達も公務員になったばかりの若い頃には、きっと「国民・市民のために」という意欲に満ちていたことだろうと思いますが、初心忘れ、腐敗・不正に走ってしまったことは、腹立たしくもあり、残念だとも思います。

もちろん、ほとんどの公務員は、初心を忘れず、国民・市民のために頑張っていると信じますが、これほどの事実―それによって生じた行政不信―を見ると、官僚バッシングもやむをえないとさえ感じます。

ところで、亀さんは、職場の机の傍に、写真のような「旧二本松藩の戒石銘」の拓本を額に入れて飾っています。昔、福島県の二本松城(霞ヶ城)址の菊人形展を見に行ったときに、見つけたものです。そして、弱い自分が困難な課題から逃げ、安きに走ろうとするときに、自分を奮い立たせるために、座右の銘としてきました。

その内容は、下の写真の通り、「爾(なんじ)の俸、爾の禄は、民の膏(こう)、民の脂(し)なり。下民は虐げ易きも、上天は欺き難し」であり、その意味は、「お前たちの俸禄(給料)は、人民の汗と脂の結晶である。下々の人民は虐げやすいけれども、神(天)を欺くことはできないぞ。」というものです。この戒石銘は、5代目藩主・丹羽高寛が享保の藩政改革の際に、儒学者・岩井田昨非の進言で、藩庁の前の自然石(下の写真)に刻ませ、藩士の教訓としたものです。

初心を忘れず、私利私欲を捨て、困難もいとわず、国民のために尽力することが重要ですが、人間は弱いもので、その姿勢を常時維持することは大変です。その意味からも、このような座右の銘で、自らを鼓舞することも大切だと思う、今日この頃です。(記入者:亀さん)Photo Kaisekimei

2007年5月18日 (金)

石の博物館・国会議事堂

―亀さんの田舎の石もたくさん使われているよ!―

070519022070519044亀さんは仕事には関係ない「雑学」が大好きです先日、国会議事堂に行ったときその中にある本屋さんに寄ってみました。この本屋さんには、一般の書店に売っていない本がよく有り、亀さんの「雑学」の蓄積に役立つのです。

亀さんの目に留まったのは、「新版 議事堂の石」という本です。パラパラと見ると、国会議事堂は国産の石の博物館であるとして、地質学の知識を駆使して、議事堂に使われている石材の解説を行なっているのです。亀さんの「雑学」的関心にピッタリで、つい、衝動的に買いました。買った後で、著者は?と見ると、工藤晃さん(元衆議院議員)で、出版元もある政党系の出版社でした。しかし、政治家の著作や政党系の出版社の本としては珍しく、ほとんど政治的な主張がない、科学的な解説本です(注1)

この本によると、国会議事堂には、外装材として3種類の花崗岩が、内装材として33種類の大理石、2種類の蛇紋岩、各1種類の珊瑚石灰岩、橄欖岩、日華石が利用されており、1種類の大理石(韓国産の黄龍)(注2)を除いて、国産の石材を使用している。その意味から、著者は国会議事堂を「日本の石材の博物館」と称しています。

亀さんとして何よりも嬉しかったのは、議事堂の2階以上の外装材には「建築史上はじめて、石材日本一をきめるコンクールをくぐりぬけ」、倉橋島の尾立石が使われており(注3)量的にも1番たくさん使われている石材のようだということです。因みに、倉橋島は、亀さんの故郷の呉市にあります。

何だか、今後、国会議事堂を見るときには、おらが田舎の名産を見るような眼で見ることになりそうです。(記入者:亀さん)

(注1)政治家の著作は代作が多いし、内容も自慢やこじつけが多いので、亀さんは、ほとんど読みません。ましてや、政党系の出版社の本を読むこともほとんどありません。しかし、この本は、大学で地質学を学んだ工藤氏が国会議員になる直前に議員会館の一室の大理石の表面にわが国最古のサンゴの化石を見つけたことを契機に、国会議事堂の石材に関心を持ち、地質学の学者と一緒に調査してまとめた本でしたので、亀さんの「雑学」的な関心を満たすものでした。
(注2)著者は、「当時、日本の植民地を含んで「国産」とよんでいた」とする。
(注3)1階部分の外装材は、山口県の黒髪島産の黒髪石である。

2007年4月 7日 (土)

期日前投票に行ってきました!

―期日前投票した人が選挙期日までに死んだら―070407102_107040711

明日(8日)は統一地方選挙の前半で、亀さんの住んでいる地域では県会議員選挙があります。亀さんは、明日、登山に行くので、今日、期日前選挙に行ってきました。

昔、一度だけ不在者投票をしたことがありますが、そのときは、市役所の本庁(選挙管理委員会)に行って、不在理由を細かく聞かれたり、投票用紙を二重の封筒に入れ、外封筒に名前を書くという、面倒な手続きでした。

しかし、期日前投票は、簡単な手続きで、近くの市役所の支所に行き、宣誓書の用紙に、住所氏名を書き、例示してある理由の中で該当するものに○を付けて(亀さんは、「外出」に○)、投票入場券を出せば、すぐ投票できました。しかも、投票用紙に記入すると、昔のように封筒に入れず、そのまま投票箱に入れれば良いのです。

ただ、亀さんの頭に、投票してすぐ次の疑問が出てきました。「亀さんが今日死んだら、投票は有効なんだろうか?」「不在者投票のように、封筒にいれ名前を書いてないので、どれが死んだ人が入れた投票用紙か分からないし、どうするんだろう?」と。

亀さんは、生来、疑問を放っておくことが出来ない性分なので、家に帰ってすぐ調べると、総務省のHPに「期日前投票を行った後に、他市町村への移転、死亡等の事由が発生して選挙権を失ったとしても、有効な投票として取扱われる」と書いてありました。つまり、亀さんは今日死んでも期日前投票は有効なんです。《勉強になった!!ただ、期日前投票をしていないと投票権が無い人の投票が有効なのはチョット変だけど、仕方ないか。》

逆に、投票日に20歳になる人(亀さんの次男坊は20歳の誕生日の前日に選挙があり、正にこの状態だった)は、期日前投票の時に20歳でないので、期日前投票はできず、不在者投票をしなければならないそうです。《不在者投票はまだ有るんだ!》

期日前投票に行って、また、(世の中に大して役に立たない、)新しい知識を得て感激する亀さんでした。(記入者:亀さん)

(注)民法上、20歳になるのは、20歳の誕生日の前日です。

参考:http://www.soumu.go.jp/senkyo/kijitsu_gaiyo.htmlhttp://www.city.kyoto.jp/senkyo/kaisei/kijitsu.html

2007年4月 6日 (金)

戦犯合祀、旧厚生省が主導!

 ―国立国会図書館の役割と「靖国神社問題資料集」―

070329233070329263   先月末、ほとんどの全国紙朝刊の1面トップに、「戦犯合祀、旧厚生省が主導」という記事が載り、国会図書館が公表した「新編 靖国神社問題資料集」で初めて明らかになった旨を報道していました。

「戦犯合祀」の問題については、今まで政府は「靖国神社が自主的な判断で行った」と言っていたのが、国会図書館が収集した靖国神社側等の資料で、それが否定されたのです。この資料集は、亀さんの友人の春山さん(調査・立法考査局専門調査員)が中心になって作成されました。

国会図書館が所蔵の本で資料集を作ったのであれば、これほどのニュースになりません。なぜ、国会図書館が歴史的な事実を発見したのでしょうか?

実を言うと、国会図書館には、2つの異なる機能があります。1つは、国の中央図書館としての機能であり、もう一つが②国会や国会議員のための調査機関としての機能です。①の機能は、戦前の帝国図書館時代からのものですが、②の機能は、戦後GHQの指導などで、設けられたものです。科学的なデータで、国会審議を支えるために付与された機能であり、国会図書館が国会の付属機関となっているのはこのためです。

この機能のために、国会図書館には、調査・立法考査局が置かれ、10数人の局長級の専門調査員の下で、約170~180人の調査員が、国会や国会議員の依頼によって又は自ら、国会図書館所蔵の資料やその他の資料をもとに、各種の調査や研究をしています。いわば、国会議員のためのコンサルタントなのです。

アメリカでは、この機能が国会審議を支えていますが、日本の場合には、週刊誌や新聞の記事で質問するような恥ずかしい議員も多く(ガサネタを掴まされて失敗し辞職した議員もいましたネエ)、この機能が十分発揮できているとはいえないでしょう。

ただ、今回のように、重要な国政課題について重要な調査を行っていけば、活力ある国会審議のために役立つとともに、国会図書館調査・立法考査局の存在意義がより強く認識されるのでは・・・と思います。

ひとまず、今回のことについては、友人の春山さんに対して喝采の拍手をおくりたい!(記入者:亀さん)
(参考)国立国会図書館のHP:http://www.ndl.go.jp/

2007年3月31日 (土)

エース黒田の男気について

ーー 「黒田の男気」を知らない人のために ーー

昨年、広島カープのエース黒田はFAの権利を得て、他球団も熱い視線を寄せていた。黒田も真剣に悩んだが、ファンの熱い思いを知り、また自分を育ててくれたカープとファンへの感謝の気持ちもあり残留を決断した。

昨年の11月6日の記者会見での黒田の言葉は「カープとカープファンを相手に投げる自分の姿は想像できなかった」。まさに泣かせる言葉であり、私も胸にグッと来た。これ以来、「黒田の男気」が広島県人とカープファンの合言葉になったのである。

なお、広島カープは、戦後、経済的に破綻しかけた際に、市民が日本酒の酒樽にお金をカンパして球団を支援した文字通りの市民球団であり、その後は企業スポンサーがついたが、歴史的に広島県人にとって特別の球団なのである。(※広島は、日本酒の醸造元が多く、特に東広島市は「酒の都」と呼ばれている)

黒田の男気弁当を発見(2007.3)。広島に帰省した際に、広島駅で黒田の男気弁当を発見。なお、亀さん情報によれば、男気弁当の器は、我らS高校同期のT君の会社の製品らしい。 

  http://dankai-hiroba.cocolog-nifty.com/blog/2007/03/post_10f5.html

黒田の決断「FA行使せず、カープ残留」の会見ニュース(2006.11.7)。黒田の気持ちを聞いて感激の涙を流したファンは多いという。写真は、カープ残留を祈るカープファンの寄せ書きの旗を持った黒田選手。(中国新聞、カープ情報より引用)

  http://www.chugoku-np.co.jp/Carp/Cw200611070166.html

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2007年3月28日 (水)

頑張る、宮崎県!東国原知事!

-宮崎県の再生・復権に大活躍の東国原知事と
            春の選抜で活躍する都城泉ヶ丘高-

0703260222007032705124795jijpspoview0015124793 (写真)左:宮崎県のPRポスター、右の2枚:スクイズで勝利した都城泉ヶ丘高、完封勝利を喜ぶ諏訪投手(時事通信)

先日、亀さんと一緒に仕事をした昔の部下から亀さんに、宮崎県のPRポスターが送られてきた。
そのポスターは、縦130㎝、横73㎝の大きなもので、東国原知事が「きっくいやんせ 宮崎!!(どうぞ来てください 宮崎!!)」とお願いするものです。宮崎を去ってからも宮崎を愛し、心配する亀さんに、「最近の宮崎は、東国原知事を先頭に頑張っています。」との意味を込めて送ってきたものです。確かに、知事の不祥事等で自信を失っていた宮崎県の人たちが宮崎の良さをいきいきと語るようになっている。
現在、地方統一選のなかで、東国原知事の当選を「国民の無党派志向」と位置づけるむきがあり、東国原知事自身も自ら「無党派知事」と称していますが、宮崎県民は同氏が無党派であったから積極的に投票したというよりも、長年続いた保守どうしの根深い対立による政治的混乱に嫌気がさしたために、不安ながらも同氏に「賭けた」のではないかと思います。
この宮崎県民の「賭け」は今のところ成功しており、宮崎県の再生・復権に果たしている東国原知事の役割は極めて大きいものがあります。
それに加えて、同氏の出身校の県立都城泉ヶ丘高校が「二十一世紀枠」で春の甲子園に出場し、昨日の試合で桐生第一に2-0で完封勝利しました。この活躍で、東国原知事の注目度やテレビへの露出度もさらにアップし、そのことがまた都城泉ヶ丘高校の注目度を向上するという良い循環が生じています。
「頑張れ、宮崎県! フレ~、フレ~、都城泉ヶ丘高校(と広陵高校)!」
(おわび!:最後に「広陵高校」を加えたのは亀さんが広島県出身だからであり、文脈上は無視してお読み下さい。)(記入者:亀さん)

2007年3月24日 (土)

土地バブルではない!!

―全国平均で16年ぶりの上昇・地価は実物経済を反映―
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(地価上昇率1位の写真)左は住宅地:港区のハウス南青山、右は商業地:渋谷区神宮前の第21SYビル

3月23日、国土交通省は全国の地価を公示しました。
その概要は、「三大都市圏においては上昇。地方圏においては下落幅が縮小したものの引き続き下落。」、「全国平均でみると、住宅地・商業地とも16年ぶりにわずかな上昇。」、しかし、「過半数の地点は下落」というものでした。
つまり、三大都市圏・地方ブロック中心都市の高級住宅地やブランド力のある商業地のエリアでは、利便性・収益性、繁華性の向上、土地利用転換の進展等の経済的要因から地価の著しい上昇があった反面、多くの地域では人口の減少や地域経済の低迷で、地価の下落が継続しているようです。(因みに、亀さんの近所の地価公示は1%強上昇しました。)

言い換えると、東京の表参道・銀座、名古屋の駅前・栄、大阪の梅田・御堂筋、福岡の天神などの高度商業地や大都市の高級住宅地・マンション適地など高い地価上昇率のところは、それなりの理由があって上昇しているとし、土地バブル」の再来を否定している。
しかし、一方で、「地価上昇の著しい地域では、通常の利便性・利便性等では、その合理性を必ずしも説明することができない」土地取引の事例もみられると指摘しています。

分かりやすく言えば、「地価が上がるべきところは上がっているが、どこでも地価が上がるわけではない!でも、わけの分からない値段で取引する人もいる!」ということ!!

我々団塊の世代は、約20年前の「地価の高騰」・「土地バブル」の時代に住宅購入に走り、その後、住宅ローンの返済で苦労した世代ですが(被害者の立場)、同時に、土地神話に踊って住宅(地)を買い急ぎ「地価の高騰」を支えた世代でもあります(加害者の立場)。
そこで、いま団塊の世代に求められているのは、地価上昇のムードに駆り立てられて、住宅購入の中心層になっている自分たちの子供たち(=団塊ジュニア)をその住宅購入に走らせる(注)のではなく、自分たちの轍を踏まないよう、冷静な判断で住宅取得に当たらせることではないでしょうか。(「急いては事をし損じる」の喩え!)
(注)給料UPが見込めない団塊ジュニアの子供たちに住宅取得のための資金的援助をしようとする親心は理解できるが、それは地価の上昇を助長するだけ!!

また、変な不動産屋、マンション業者や不動産ファンドに踊らされ、貴重な退職金などを変な不動産に投資して、老後の資金を失わないようにしなければなりません。(「安易な儲け話はその辺に転がっている訳がない!」ということ!)(記入者:亀さん)
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(写真)左:地価公示関係の新聞記事、右:亀さんちに一番近い地価公示のポイント

2007年2月26日 (月)

団塊世代の同期会

―舟木一夫・高校三年生、大学紛争、企業戦士、そして還暦―

亀さんは、S高校の同期卒業生のうち関東在住者の同期会の幹事をしており、毎年、この時期にその同期会を開きます。

約470~480名の同期卒業生のうち、100名余りが関東地方に在住し、勤務しており、今年も、約40名が出席の予定です。亀さんは、その同期会の連絡の都度、みんなの顔を思い浮かべながら、中学校、高校の頃のこと、大学時代のこと、社会人になってからのことを考えます。

中学校、高校は同じ学校で、一緒で舟木一夫の「高校三年生」を歌い、楽しい学校生活を過ごしましたが、ほとんどの生徒が大学に進学する受験校であったため、厳しい受験戦争も経験しました。

その後、大学も学部もバラバラで、また、大学紛争などを経験して思想的にもそれぞれが異なる考えを持つようになった。また、職業的にも、学者・研究者・教員、弁護士、医者、マスコミ、官僚、会社員(銀行員、商社マン、営業マン、エンジニアなど)、企業経営者、店舗経営者等々、多方面にわたり、それぞれが、高度経済成長の下、多くの団塊の世代の集団の中で、それぞれの生き様で生きてきた。この時代には、各人の違いが強く感じられていました。

しかし、その大半が還暦を迎え、今年3月末までに全員が還暦を迎える。そして、そのほとんどが現役の第一線から引退する。そして、再就職をする人、新しい道を進む人、趣味に生きる人等々、多士済々である。

ただ、今までと異なり、各人の違いよりはみんなの同時代性(「同期の桜」的意識)が強く感じられるようになってきている。

同期会幹事の亀さんとしては、今後は、同時代を生きた者としての共通性を大切にして、引退後の人生の過ごし方についての情報交換の場として、あるいは、生活環境の変化に対応した心の安定の維持・回復のための語らいの場として、この同期会が大いに活用されるよう、同期会を盛り上げて生きたいと考えている。(記入者:亀さん)

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2007年2月23日 (金)

宮崎県は頑張っています!

 ―宮崎県のアンテナショップ KONNEに行こう!―

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亀さんは、今晩友人たちに会うために、新宿サザンテラス入口にある広島県のアンテナショップ「広島ゆめてらす」に行きました。

その隣りには、亀さんが応援する宮崎県のアンテナショップ「新宿みやざき館 KONNE」があります。(『こんね』は『おいで』という意味です。)亀さんは、「広島ゆめてらす」に行く前に、つい、「新宿みやざき館 KONNE」に入りました。口には、そのまんま東(東国原宮崎県知事)のポスターが客を迎えており、中では、鳥インフルエンザ騒ぎの中で奮闘する各種の「宮崎地鶏」の製品が展示即売されていました。

宮崎県出身者を中心に「宮崎地鶏」の製品を買い求める沢山の客で店内は賑わっていました。「これがそのまんま東で有名な宮崎地鶏なのね。」と言って買って行く若者もいました。亀さんも、友人たちへの手土産にするため、地鶏の炭火焼を買いました。

皆さんも、奮闘する宮崎県、東国原知事を応援するためにでも、話のネタにするためでもいいので、宮崎県のアンテナショップ KONNEに行ってみませんか。

ついでに、隣りの広島県のアンテナショップにも寄ってください(広島県人としてはこれも言っておかないと、マズイ!)(記入者:亀さん)

(参考)「新宿みやざき館 KONNE」:http://www.konne.jp/

    「広島ゆめてらす」:http://www.pref.hiroshima.jp/tokyo/

2007年2月15日 (木)

再び、東国原宮崎県知事

   ―県議会初日、好感触!

          頑張れ、宮崎!改革に前進!―

Chiji_photo_1東国原宮崎県知事については、2月4日に書いたが、今日の宮崎県議会2月定例会初日に、所信表明を行い、その直後の全員協議会では、入札改革の方針を打ち出した。内容的に、県政の改革に意欲的であり、真面目に県勢の発展に取り組む姿勢には好感が持てた。

宮崎県は、亀さんが住んでいた頃から県政界がまとまらず、常にバラバラの状態であったが、この際、県議会も県民も心を一つにして、頑張ってほしいものだ。

なお、副知事問題は、持永氏の起用については県民の抵抗感から断念し、総務省からの出向の河野総務部長を起用することにしたようだが、同氏には、前知事時代、筆頭部長の総務部長として前知事の不祥事を防止しえなかったことの反省の上に立って県政改革の筆頭に立ってほしいものだ。(記入者:亀さん)

2月4日の記事:http://dankai-hiroba.cocolog-nifty.com/blog/2007/02/post_a991.html

2007年2月10日 (土)

『団塊フリーター計画』を読んで

  ―いわゆる団塊本の読後感想・第2弾―

070210011先日のブログに書いた、『定年オヤジのしつけ方』を購入する際に、勢い余って購入した本の島内晴美著『団塊フリーター計画』(NHK出版)を読んだので、予告どおり、その感想を書きます。この本を書いたのは、われら還暦オトコ3人組より3、4歳若いライター・編集者である。

この本の表紙裏には、「組織の中で燃焼しつくした団塊世代のセカンドステージに向けた応援本。60歳になったからこそ『夢あるフリーター生活をはじめよう』と提案する。組織人間の垢を落として、楽しいフリーランス生活を送るための手助け本となろう。」とある。

同世代の団塊オトコへの次世代からのバッシングに同情しつつ、この本の「おわりに」に書いてあるように、「群れることをやめ、一匹狼となって、自分の足で立つ、団塊世代の大群が、野に放たれることを想像するだけでわくわくする」としている。そして、団塊世代の自立を促し、具体的提案として、団塊世代の(会社勤めからの)早々の退陣、フリーランス的生き方の推奨、若年フリーターと団塊フリーターのポジションチェンジ等を提案している。

思えば、我々、団塊世代(特に、その前期)の多くは、学生時代は大学紛争等を通じて戦後の経済成長の中で生じた社会的矛盾を是正しようと強く意識し、何らかの行動をした。しかし、その思いが脆くも崩れ去ったとき、「我々が矛盾に満ちた社会の中に入り、仕事を通じて矛盾と対峙していけば、いずれこの矛盾は消し去ることができるはずだ。」と言いつつ、社会に入っていった。

しかし、そのような若者も、その多くが最前線の企業戦士として、いつしか会社、組織の既存のルールの中で行動するようになり、そして、定年を迎えている。

我々団塊世代の多くが当時感じた社会的矛盾は現在解消しているのか?と問われれば、「YES!」とは言えないであろう。

そのような意味から、団塊の世代は、著者の言うように、「群れることをやめ、一匹狼となって、自分の足で立」って、この社会の矛盾に再チャレンジしなければならないのかも知れない。

しかし、かく言う私達、3人組は、定年後も再就職するなどしているので、現実にはなかなか実行は難しいが、「会社人から社会人へ」への転換=フリーランス的生き方の実行には努力したいと思う。

(記入者:亀さん)

2007年2月 4日 (日)

東国原英夫知事の挨拶状

  ―頑張れ、宮崎県!―

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先日、宮崎県の入札談合事件による前知事の辞職に伴う宮崎県知事選で、「そのまんま東」氏が当選し、東国原英夫知事が誕生した。

当選直後から同氏のインタビューを聞き、同氏のマニフェストを読み返し、就任後県政の課題に奔走する姿を見て、「ただのタレント知事ではないのでは…」と感じる今日この頃です。アメリカでは、俳優の経歴をもつロナルド・レーガン氏が第40代大統領に、また、アーノルド・シュワルツェネッガー氏がカリフォルニア州知事に選ばれていることや日本でも(元)タレントが国会議員に選出される例は与野党ともにあり、「(元)タレント」であることだけで、知事としての適性を議論することはナンセンスである。

その東国原英夫知事から亀さんに知事就任の挨拶状が届きました。(亀さんが若い頃4年間宮崎県で働いていた縁で挨拶状を頂いたのだと思います。)

いま、「宮崎県」というブランドは、地域格差問題に加えて、前知事の不祥事で地に落ち、そして今回は鳥インフルエンザの多発で絶体絶命のピンチです。今は、済んでしまった知事選の際の立場にこだわっている時ではありません。東国原知事が先頭に立って、県庁、県議会、県民が心を一つにこの難局を乗り切ることこそが大切です。

亀さんは、若い頃過ごした宮崎県がフェニックスのように飛躍することを心から祈り、精一杯の応援の声を張り上げたい。

なお、知事選での対立候補の官僚OBを副知事に起用することには、色々な意見があるが、県政界の対立解消や県民の一体化のためには大変いいことではないかと思う。(安倍内閣でも総裁選の対立候補の麻生氏が外務大臣で入閣しており、国政レベルでは対立候補の起用自体は珍しいことではない。)

(記入者:亀さん)

2007年1月30日 (火)

日本の歌百選と団塊の世代の青春時代の歌

―鐘が鳴る丘、いつでも夢を・高校三年生、

     グループサウンズ・フォークソング…―

Hotaka31_201_2 文化庁が1月14日、「親子で歌いつごう 日本の歌百選」を発表(注1)。世代間の断絶や人間関係の希薄化などの風潮を心配した河合隼雄同庁長官が発案。選ばれたのは101曲(なぜ100曲ではないの?)。戦前からの文部省唱歌、童謡が多いが、戦後の曲も歌謡曲を含め38選ばれている(注2)

まず、“役所が選んだ歌を親と一緒に歌わなくても、一緒にカラオケに行くことが出来ればいいのでは…”というのが亀さんの最初の感想

次に、亀さんは、百選に選ばれた歌を見ながら、自分自身の歌の歴史を回顧した。

亀さんの生まれた年代は、ラジオ、蓄音機、映画で歌を聴く。特に、NHKラジオの「歌のおばさん」(安西愛子)はよく聴いた。百選には、唱歌で「朝はどこから」、「みかんの花咲く丘」(以上、昭21)、「花の街」(22)が、歌謡曲で並木路子の「リンゴの唄」(2010)が選ばれているが、亀さんは小さい頃は選外の「鐘の鳴る丘(とんがり帽子)(22)や「青い山脈」(24)の方が好きだった。また、戦後NHKラジオが「みんなのうた」で放送した「ゆりかごの歌」(10)は幼稚園の学芸会で独唱した(注3)

中学・高校時代は、朝ラジオで吉永小百合・橋幸夫「いつでも夢を」(37)などを聴いて汽車通学をしたが、この頃からTVの普及でより多くの流行歌が作られ、TVで歌を覚えた。TVの「ロッテ歌のアルバム」や「ザ・ヒットパレード」はよく見た。昭和38年には、「こんにちは赤ちゃん」(梓みちよ)、「見上げてごらん夜の星を」(坂本九)が浩宮(現皇太子)殿下誕生、経済復興への希望という世相を反映して流行した。TVの宇宙中継(衛星中継)でケネディ暗殺のニュースを見る直前には「高校三年生」(舟木一夫)を歌っていたように記憶している。

大学時代は、グループサウンズとフォークソングの最盛期。アルバイトと勉強で歌どころでなかった?が、たまに、学園紛争の集会やデモに行ってフォーク・反戦歌を歌い、酒を飲むと「帰って来たヨッパライ」(フォーク・クルセイダーズ、昭43。百選選外)叫んでいたかな?

社会人の新人の頃は、真面目さを売るために?、「四季の歌」(芹洋子、昭47)や「知床旅情」(森繁久弥、昭46。百選選外)を歌っていたかな?

そんな青春もあった、団塊世代の亀さんです。

今は、ipodにAyuの曲が一杯の亀さん(注4)も当時は、「赤い風船」(48、もちろん、百選選外)を音痴で歌う淺田美代子がちょっとカワイイ!と思っていたかな?(記入者:亀さん)

(注1) http://www.uta100sen.jp/

(注2)亀さんの調査。戦後のものは、NHKのラジオ歌謡や「みんなのうた」の歌が多く採用されているが、歌謡曲・流行歌も18曲が選ばれ、坂本九の「上を向いて歩こう」(36)、中島みゆきの「時代」(50)、山口百恵の「秋桜」(52)、美空ひばりの「川の流れのように」(63)のほか、SMAPの「世界に一つだけの花」(15)、森山良子や夏川りみ等の「涙そうそう」(12)など最近の歌も選ばれている。これ以外に、NHKのみんなのうたで放送したものを流行歌手が歌ったものが4曲や戦前の歌であるが、「大きな古時計」、「ゆりかごのうた」のように、NHKの「みんなのうた」等にとりあげられ、戦後流行したものもある。

なお、坂本九の3曲、山口百恵、森山良子の2曲が目立つ。フォークグループ・赤い鳥の「翼をください」が選ばれているが、フォークソングとして選んだかどうかは疑問。

(注3) 「リンゴの唄」はGHQ検閲第1号で、戦後の解放感と不安にマッチして大流行した。「朝はどこから」、「花の街」のいずれも戦後復興を願って作られ、また、「鐘の鳴る丘」は戦争で親を亡くした浮浪者がたくましく成長する姿を歌ったもの。

(注4) http://dankai-hiroba.cocolog-nifty.com/blog/2007/01/post_cac9.html

(写真は、左が長野県安曇野市穂高にある鐘の鳴る丘のモデル、右が映画「青い山脈」(東宝等、昭24、出演:原節子、杉葉子等)の一場面)

2007年1月27日 (土)

東京タワー、霞ヶ関ビル、国会周辺の歩道

   ―団塊の世代の07012320812f80701262076ニュメントの希薄化―

亀さんは、遅ればせながらも、今、リリー・フランキーの「東京タワー オカンとボクと、時々、オトン」を読んでいますが、東京タワー(1958)は、東京オリンピック(1964)、高速道路(1)・新幹線(1964)、霞ヶ関ビル(1968)などとともに、戦後復興・日本経済発展のモニュメントであり、団塊世代の青春のモニュメントであったなあと感じます。

だが、ふと気がつくと、それらのモニュメントの存在が最近希薄化しています。

例えば、「霞ヶ関ビル」は、その建設が映画「超高層のあけぼの」(2)のテーマになるなど、国民全体の誇りとまで言われ、つい最近までその存在感を周囲に誇っていました。しかし、隣接地の文部科学省・会計検査院ビルの再開発(写真手前の2棟のビル。その右側の棟の奥が霞ヶ関ビル。)やJTビルの建設で、影が薄くなっています

また、「東京タワー」も、映画、ドラマ、小説、漫画、音楽等に取りあげられ、都内のどこからでも見える、東京のシンボルでした。新幹線等からそれが見えると、「東京に着いた!」と思うほどでした。それが今ではビルの谷間からかろうじて見える状態ですし、2011年には新東京タワー(すみだタワー)に取って代わられる予定です。最近も、冒頭のリリー・フランキー原作の映画・ドラマや映画「ALWAY 三丁目の夕日」も東京タワーを題材としていますが、過去の風物詩的な捉え方です

さらに、スッと青い空に威容を誇った国会議事堂の背後には、高層ビルや現在建設中のTBSのビルがかぶさっており、存在感は薄れています。また、周辺の歩道は、団塊世代の青春時代の所業(3)でつい最近までアスファルト舗装でしたが、石畳風のブロック舗装になり、団塊世代の青春の記念碑がまた一つ消えていきました。

それらのモニュメントの希薄化は時代の流れですので仕方ありませんが、団塊世代そのものがその存在感を希薄化させることは断固避けなければならないと感じる今日この頃です。(記入者:亀さん)

(1)首都高速:1962から、名神高速:1963年から、東名高速:1968年から順次整備。(2)1969年東映作品で、池部良、新珠三千代、松本幸四郎、丹波哲郎、小林稔侍、田村正和等が出演。この前後、黒四ダム建設をテーマにした「黒部の太陽」(1968年)、鹿島開発をテーマにした「甦る大地」(1971年)等の日本の経済発展を誇る映画が製作され、人気を博しました。(3)都内の歩道の舗装は、石畳又はコンクリートブロックであったが、大学紛争等の際、投石用に使ったので、それを防止するために、アスファルト舗装になりました。

2007年1月26日 (金)

給食費滞納に想う!

     ―団塊世代の学校給食の思い出―

自前のアルミの食器、コッペパン・脱脂粉乳・鯨肉・肝油ドロップ Kyusyoku

「給食費滞納9万9000人」「原因の6割『親のモラル』」などと小中学校の学校給食費の滞納が問題化しているとの新聞記事(注1)を読んで、亀さんたち団塊世代の学校給食はどうだったか、記憶を呼び起こしてみました。

亀さんの住んでいた町では、学校給食は小学校だけで、中学校にはありませんでした。

食器は自前のアルミの皿1枚、椀2個と箸を「給食袋」に入れ、それをランドセルに吊して、ガチャガチャ鳴らしながら通学します。

給食時間になると、みんなから選ばれた給食係(白いエプロン・頭巾・マスクを着用)が調理室から教室へ大きな箱に入ったコッペパン、バケツに入った脱脂粉乳とおかずを運んでくる。他の人は机の上に自分の食器を並べて待っています。そして、給食係がみんなに配り、先生と一緒に食べます。

今でこそ、米飯給食もあるが、当時はパンが近代的ということで、ホットドックロールに似た「コッペパン」。塗るのはマーガリン(みんなは「バター」と言っていた)かジャム。スライス食パンは6年生の時からで週1回。

みんなに嫌われたのは、米国の援助物資の「脱脂粉乳」(注2。スキムミルク)。みんな、不味く臭くても、栄養があるからと言って鼻をつまんで飲んだ(注3)。亀さんは、ヤギの乳よりは美味しいと思って飲みました。

おかずは、魚介類や野菜・豆・芋類の煮物が主力で、肉はあまり出ず、時たまに出るのは当時安かった鯨の肉か魚肉ソーセージ亀さんが「人間の食べ物でない」と駄々をこねたのは、「おから」。亀さんはウサギの餌にしていましたので。

デザートはなし。デザートにミカンやリンゴやヨーグルトが出るのは、亀さんたちが卒業してから。そうそう! 金が払った人にだけ、「肝油ゼリー(ドロップ)」が1個配られ、美味しそうにデザートとして食べました。

給食代は、月1回、袋に入れて先生に渡す。期日までに持って行かないと、みんなの面前で先生が注意するので、誰が滞納しているかがすぐ分かった。また、生活保護家庭等貧しい人は免除されていましたが、誰が免除されているのかもすぐ分かりました。

当時は、みんながおおらかで、肝油について差別的だという話もなく、みんなの面前で先生が給食費を督促しても個人情報漏洩などとは言われない時代でした。

(注1)「doc0701251503430001.pdf」をダウンロード

(注2)脱脂粉乳が援助物資に決定した経緯等は次の資料に詳しい。

http://homepage3.nifty.com/ksmansaku/site1/zatsuji_20011222.html 

(注3)脱脂粉乳が牛乳に比べて不味いというのではない。だって、一般家庭では、牛乳など殆ど飲んだことはなく、かなり豊かな亀さんちですら、毎朝、近所の農家からヤギの乳を買って飲むのが贅沢だったくらいだ。

(記入者:亀さん)      Shasin3

Kan

2007年1月21日 (日)

映画「硫黄島からの手紙」を見ました!

     ―「散るぞ悲しき」と「硫黄島からの手紙」―    

0701212312_4070121208_2 先日、梯久美子「散るぞ悲しき」について、読後感想を書いたら、何人かの方から、クリント・イーストウッド監督の「硫黄島からの手紙」を見るように勧められました。

そこで、先日書いたイオン浦和美園SCの中にあるシネマコンプレックスの「ワーナー・マイカル・シネマズ浦和美園」に見に行きました。ここは、11のスクリーン(座席数2087)で、同時に17本の映画を上映し、駐車料金も4時間無料という便利さです。しかも全席指定で、亀さんは60歳以上ということで、僅か1000円でした。

映画は、渡辺謙、二宮和也、伊原剛志、加瀬亮、中村獅童の好演もあって、いい映画であったが・・・というところですが、映画を見る前に亀さんが心配していた「散るぞ悲しき」で出来上がったイメージが壊れるということはありませんでした。(順番としては、映画を見てから、その後で「散るぞ悲しき」を読んだ方がいいでしょう。)

言い換えると、栗林中将の全人格的なものは「散るぞ悲しき」ほど描き切れていなかった思います。むしろ、一般兵士・西郷役の二宮、元憲兵・清水役の加瀬、バロン西役の伊原が栗林中将を取り巻く人間として、味が出ていた感じました。

既に公開・上映が終わっている「父親たちの星条旗」も見てみたい思いました。(記入者:亀さん)

(ワーナー0701212032_3・マイカル・シネマズ浦和070121209_2美園の風景)

 

2007年1月16日 (火)

梯久美子著「散るぞ悲しき」を読んで

         -硫黄島総指揮官・栗林忠道-

070115

太平洋戦争末期の硫黄島の戦いをめぐるクリント・イースウッド監督の2部作、『父親たちの星条旗』・『硫黄島からの手紙が話題になっていますが、この本は、硫黄島の戦いを指揮した栗林中将に関するノンフィクションで、昨年の大宅荘一ノンフィクション賞受賞作(注1)です

                              亀さんは、戦争映画があまり好きではないので、前記の映画をまだ見ていませんが、先日、たまたま書店でこの本を見て、その冒頭写真(同中将の家族宛の手紙など)や本の帯(注2)から今までの戦争物ではないことを直感して、つい買ったのです

この本を読んで、勝利の望めない戦いでの同中将の戦術・指揮、部下との接し方・家族への手紙等の人となり通じて(注3)リーダーシップ、組織論、家族・祖国愛等のあり方を考えさせられました。と同時に、中枢部門(大本営)と現場(硫黄島)との認識の差を通じ、現場を踏まえた中枢部門の判断の重要性を感じました。 また、この本を読んで、亀さんも硫黄島からの手紙』を見ようかなと思い始めています。

なお、この本に出てくる同中将の次女たか子(故人)は、亀さんが住んでいる市を含む選挙区から選出されている新藤義孝衆院議員の母さんです。

(注1)この本の題名の「散るぞ悲しき」は、「戦局、最後の関頭に直面せり。敵来攻以来麾下将兵の敢闘は真に鬼神を哭かしむるものあり。」で始まる同中将の大本営宛の訣別電報の最後にある辞世の3首の一つ「国の為重きつとめを果し得で 矢弾尽き果て散るぞ悲しき」から採られている。

(注2)本の帯には、「娘よ!妻よ!絶海の孤島からの手紙が胸を打つ―死よりも、苦しい生を生きた烈々たる記録。」とある。

(注3)同中将は、戦術面では極めて冷静に合理的に判断して、2万人の弱小で殆ど「徒手空拳」の兵を率い、勝ち目のない出血持久戦を展開し、「バンザイ突撃」や自決で美しく果てることより最後まで戦い抜くことを命じ、自ら先頭に立って「甲斐ある死」を遂げている。一方で、砲撃の絶えない戦地から細やか過ぎるほどの愛情と優しさに満ちた手紙を家族に送り続けている。

(記入者:亀さん)

2007年1月13日 (土)

郊外型SC立地と中心市街地活性化

      ―イオン浦和美園SCで感じたこと―

070108811 070108872                                                                                       郊外型ショッピングセンター(SC)の立地ラッシュが続き、しかもその大型化と複合化は顕著です。最近でも、日産武蔵村山工場跡地に関東最大級の「ダイヤモンドシティ・ミュー」オープンしましたが、亀さんちの近くに同規模(店舗面積約8.7万㎡)のイオン浦和美園SCという大ショッピングモールあります。

このような大規模な郊外型ショッピングセンターの立地は既存商店街や中心市街地の衰退を招いていると言われています。

そこで、亀さんがイオン浦和美園SCに行って、SCの魅力と既存商店街の課題を分析しました。

1.このSCは、武蔵村山のようにデパートは入っていませんが、ジャスコと3層のモールからなり、モールには170以上の 多種多様なテナント(注1)が出店し、消費者の大体のニーズ を1箇所で満たしてくれます。

1つの店舗施設と言うよりも、大商店街と言うべきでしょう消費者は、買う・食べる・遊ぶなどといった楽しみを感じつつ、このSCで長時間を過ごします。逆に言えば、このSCの経営・企画者は、それを狙って自信を持ってこのような開発をしたのでしょう。その表れが「駐車料金3時間無料」(注2)という形に出ているのだと感じました(注3)

2.一方、既存商店街はどうかというと、SCのような統一した運営意図やコンセプトがなく、また、商品知識も少ない店舗が多く、無料駐車場も少ないようです。これでは、消費者に見捨てられてしまいます。頑張ってほしいものです。

(注1)モール部分は、家電量販店、大規模書店、ファッション・雑貨等の専門店、レストラン、シネマコンプレックス、フィットネス、アミューズメントのほか、眼科、歯科、動物病院、美容室、カルチャー教室など170以上のテナントが出店。

(注2)買い物をすれば2時間増、シネマ利用だとさらに1時間増

(注3)ただ、このようなSCも永久に立地し続けるわけではなく、消費者ニーズの変化で撤退する場合もあるので、既存商店街との併存が必要でしょう。

(記入者:亀さん)

2007年1月 8日 (月)

見沼通船堀と飛行船

     ―国指定史跡・見沼通船堀の風景―

亀さんの見沼代用水散策の第4弾として、亀さんの住まいの近くにある見沼通船堀を紹介します。

見沼通船堀は江戸時代中期に造られた日本最古の閘門式運河パナマ運河と同じ様式)で、その詳細や原理は下の説明板の写真に詳しい。

わが国の技術の歴史を知る上で一見の価値があり、見沼代用水の自然散策をする際には必見の個所となっている。

なお、昨年2月、皇太子殿下は、第4回世界水フォーラム(昨年3月にメキシコで開催)での基調講演(「江戸と水運」)に先立って、この見沼通船堀を視察(行啓)されました。

ところで、この見沼通船堀の写真を撮りに行くにふと空を見上げると、飛行船が浮かんでいました。「船」つながりで不思議な気持ちでした。

(記入者:亀さん)

(見沼通船堀、皇太子殿下の行啓に関して参考となるHPは、次の通り)

http://bungakubu.kokushikan.ac.jp/Chiri/Photo/2005Sept/05Sept.htm

http://www.kawamail.river.or.jp/kawamail225.htm

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2007年1月 3日 (水)

米国大統領は14年間も団塊の世代!

    ―亀さんから「団塊の広場」らしい一文―

「米国大統領は14年間も団塊の世代(注)!だ」ということを

知っていましたか?

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200pxgeorgewbush_2

(写真は、フリー百科事典『ウィキペディア』より)

ビル・クリントンは1946年(昭和21年)8月16日、ジョージ・W・ブッシュは同年7月6日生まれ。

つまり、クリントンが46歳のときからブッシュが60歳である

現在まで、ずっと、1946年(昭和21年)生まれが米国の

大統領なのです。

日本の総理大臣は、昭和17年生まれの小泉さんから

29年生まれの安倍さんになり、団塊の世代は飛ばされま

した。(また、与党の中で将来の総理大臣候補と巷で言われて

いる人は、現在のところ、団塊の世代には存在しません。)

また、特に今年になって、テレビや新聞で、「今年は団塊の世代

の大量定年が発生し、企業にとっても、社会にとっても大変で

ある」と言っている。

政治も団塊の世代の出番がなく、会社が定年になったと

いっても終わりではないよ。

定年によって、政治に限らず、団塊の世代が主導権

握って何かをするべき時がきた。それが、趣味であれ、

ボランティア活動であれ、それは構わないと考えますが、

皆さん、どう思いますか?

(注)一般には、「団塊の世代」とは、昭和22~24年の3年間に生まれた

世代であるとされていますが、亀さんは、昭和20年8月の第二次世界大戦

終戦後に受胎し、同21年に生まれた者も含むべきだと考える。(大学受験や

就職は22年生まれと一緒であった人が相当いるので。)

実を言うと、亀さんもクリントンと同じ同21年8月生まれです。

(記入者:亀さん)