―亀さんちの七夕の飾り―
(最近、ブログの更新をしていませんが、久しぶりに更新します。)
今年の梅雨は長く、異常な豪雨が続き、何時梅雨が明けるのか、見当もつきません。
しかし、来週には、7月7日の七夕がやって来ます。
現在、南の海上には、台風9、10、11号の3つの台風が発生しており、七夕の日の牽牛・織女の年1回のデートが流れるのでは・・・と心配になります(注)。
ところで、亀さんちの室内は、奥さんの趣味の季節に合わせた装飾、つまり、七夕の季節に合わせた装飾になっています。
まず、玄関には、「七夕」という名の伊予一刀彫の南雲工房の人形とほおずきの押絵の掛物が飾ってあります。
和室の和箪笥のところには、笹飾りを持って行進するウサギの押絵と鶏のちりめん細工が飾られています。
この他に、色々なものが飾られいますが、奥さんの装飾の品々の製作・収集の努力には、感心するばかりです。(記入者:亀さん)
(注)もっとも、旧暦の七夕は、梅雨のシーズンではなく、8月20日ですから、降雨の確率は低く、牽牛・織女のデートが雨で流れることは少ないようです。
―可愛い花なのに物騒な名前が―
この時季に咲く咲く花は少なく、亀さんちでは以前は夏椿だったのですが、育ちが悪いので、ヤマボウシに植え替えたのです。
花の形からすぐ分かるように、ヤマボウシは、ハナミズキ(注1)の仲間です。
ハナミズキの街路樹は、排気ガスに強いために最近よく用いられていますが、亀さんは、ヤマボウシの街路樹を見たことがありませんでした。
ところが、先日、職場の近くを散歩していると、歩道の植え込みに、ヤマボウシの街路樹があり、花が咲いていました。
ところで、ハナミズキは、可愛い花をつけるためか、色々の市町村で、「市の木」や「市の花」に定められ、愛されています。
一方、それと同じように可愛い花をつけるのに、ヤマボウシ(山法師=比叡山延暦寺の僧兵)という物騒な名前が付いている不思議でした。
調べてみると、ヤマボウシの中央の花穂を坊主頭に、4枚の白い総苞片(注2)を白い頭巾に見立てて、比叡山延暦寺の山法師になぞらえたようです。
因みに、ヤマボウシは6月15日の誕生花で、花言葉は「友情」です。(記入者:亀さん)
(注1)北米原産で、ミズキ科ミズキ属ヤマボウシ亜属。日本における植栽は、1912年に当時の東京市長であった尾崎行雄がワシントンDCへソメイヨシノを贈った際、1915年にその返礼として贈られたのが始まり。
(注2)花弁のように見えますが、花の一部ではなく、葉の変形したものです。
―梅雨時はきれいさが不足!―
久しぶりの更新です。身体の調子に合わせて、そろそろと更新します。
亀さんちの室内装飾は、季節に合わせて変化しますが、現在は、梅雨時のためか、何となくきれいさが足りません。
玄関には、「梅雨」と題する伊予一木彫りのカタツムリや長靴などの置物が飾られています。
また、壁には、蛙の手ぬぐい額が飾られています。
リビングに入ると、出窓に、蓮の葉っぱの傘をさした、ちりめん細工の蛙が飾ってあります。
その上には、ツバメのモビールが吊り下げられ、風に吹かれてスイスイと泳いでいるように見えます。
また、リビングの壁には、上村松篁さんの「春野雲雀」の版画が飾られています。
和室の和箪笥の上には、季節外れですが、ちりめん細工の牡丹の花が飾ってあり、床の間には、堀文子さんの「高原の花」という版画が飾られています。
どうもパッとしませんね。(記入者:亀さん)
―神田神保町の三省堂書店で開催中―
亀さんは、この時季、楽しみにしている展示会があります。
それは、KEI(青木啓子)さんが銘仙(注1)をリメイクして作った、ブックカバー、ポーチ、ペタンコバッグなどの作品を展示・販売するものです(注2)。
その展示会が、今年も3月10日~16日まで、「春を想う銘仙展」と銘打って、三省堂書店神保町本店1階の「いちのいち」で開催されています。
亀さんは、本を大切に読むようにしており、数年前にこの銘仙のブックカバーを見つけて以来、毎年、ここでブックカバーを買っています。
ブックカバーを買い終わってふと見ると、可愛いしおりが展示してありました。
聞いてみると、KEIさんのお友だちの切り絵(剪紙)芸術家・谷田有似さん(注3)が作られた、中国切り絵のしおりでした。
あまりに可愛いので、ふくろうとでめきんのしおりを買いました。
ところで、ちりめん細工が趣味の亀さんの奥さんも、KEIさんもファンです。この展示会に来る予定でしたが、“三省堂よりも品揃いが良いので、”4月に開催される伊勢丹浦和店に行くようです。(記入者:亀さん)
追記:奥さんからKEIさんへの伝言を頼まれていたのですが、丁度、横浜高島屋でも3月4日~17日まで展示会が開催されており、KEIさんは三省堂にはおられず、KEIさんのお母さんが店番をされておられました。
(注1)平織りの絹織物で大正から昭和にかけて普段着・お洒落着として全国に普及した。
(注2)KEIの銘仙道楽ブログ:http://ameblo.jp/kimono-remake-kei/
(注3)きりっと切り絵日記:http://yunisse.blog.fc2.com/
―いけばな小原流展―
現在(~3月3日)、日本橋高島屋で「いけばな小原流展」が開催されています。
同デパートの1階正面には、家元の小原宏貴氏の「稀人 」という作品が展示されています。
春の訪れや息吹を感じさせる生け花です。
また、この展覧会を記念して、1階のショーウィンドーには、小原流の各地区青年部による作品が展示されています。
金属、石、木と和紙などで作られた、人間の目やハートなどの素敵な造形です。
ただ、“いけばな”と言いながら、生きた草花は全く使われておらず、一瞬、“これも生け花?”と違和感も感じました。
既成概念に囚われてないで、造形の美しさだけを感じるべきなんでしょうね。(記入者:亀さん)
追記:ショーウィンドーのガラスに街の風景が写るため、きれいな写真でなく、ごめんなさい!
(参考1)いけばな小原流の公式HP:http://www.ohararyu.or.jp/
(参考2)小原流五世家元・小原宏貴の公式サイト:http://hirokiohara.com/
―あさひが丘に亀さんちを建てたよ!―
「サザエさん」放映45周年、フジテレビ開局55周年を記念して、全国を巡回している、“みんなのサザエさん展”が、現在(2月4日~16日)、日本橋三越で開催されています。
亀さんは、先日、仕事帰りに、行ってみました。
この種の展覧会は、“会場内撮影禁止”であることが多いのですが、このサザエさん展は、磯野家と花沢不動産・あさひが丘では撮影可能でしたので、写真付きの報告をします。
磯野家は、そのセットを見られるだけでなく、その縁側に座り、サザエさんの髪型のカチューシャを着けた姿をスタッフが撮影してくれるのです。
亀さんの写真は省略しますが、もちろん、カチューシャを着けて、撮ってもらいました。
次に、サザエさん神社がありますが、ここは撮影禁止ですので、内容は下の(参考)をご覧ください。
ここで、100円を支払い、「あさひが丘分譲権利証」と家の形をした木片を貰います。
亀さんは、「あさひが丘2丁目9番」でした。磯野家が3丁目ですからその近所です。
この木片にマジックで彩色しますが、亀さんは、青い屋根にし、壁にカメと書き、2丁目9番に置きました。(写真中央の青い屋根の家です。)
あさひが丘全体の町並みは上の通りですが、どこにあるか分かりますか?(全体のおおよそ真ん中ですが…)
写真をクリックして拡大しても、分かりにくいので、磯野家の方から見ますと・・・。
手前中央の大きな家が磯野家です。その右上の広い空き地の向こうにある、青い屋根が亀さんちです。(写真をクリックして探してください。)
亀さんは、約1時間ほど会場にいましたが、結構楽しめましたよ。(記入者:亀さん)
追記:会場外に、「あさひが丘スーパー」というグッズ売り場がありましたが、亀さんは、孫たちに、サザエさんお箸4膳セットを買いました。
(参考)『みんなのサザエさん展』公式サイト:http://www.sazaesan45.com/、http://www.sazaesan45.com/UserPage/Detail/57?at=6542(会場一覧)、http://www.sazaesan45.com/UserPage/Detail/8(イベント紹介)
―全部で何組のお雛様があるのかな?―
亀さんちの室内は、時季に応じた装飾がなされますが、節分が終わってからは、逐次、雛飾りに変わっています。
お雛様が沢山ありますので、2回に分けて紹介します。
まず、玄関では、ちりめん細工のお雛様と版画のお雛様などが迎えてくれます。
木製の壁掛けに乗ったお雛様も風情があります。
居間に入ると、出窓には、5組のお雛様が飾られています。
中央の柿沼東光作の慶賀雛は奥さんの還暦を祝って買ったもので、左右の雛は、亀さんや奥さんが各地に行ったときに買い求めたものです。
また、居間の壁には奥さんの作った刺繍画のお雛様が、ピアノの上には雨宮冗快さんの切り絵のお雛様と貝合わせのお雛様が飾ってあります。
これだけでも11組のお雛様がありますが、亀さんちのお雛様はまだまだありますので、それらは次回に紹介します。(記入者:亀さん)
―我が子のおゆうぎ会には行ってない!―
昨日(2月1日)、長男の双子の子供の通う幼稚園のおゆうぎ会がありました。
会場は、座席数が1000席の市内で一番大きい音楽ホールでした。
バスが遅れて、亀さんたちが着いた時にはすでに開会されていましたが、最初の太鼓やバレエに間に合いました。
園児たちは、年少・年中・年長の各組毎に、お遊戯と合奏・合唱の二つのプログラムを演じ、全体で園児26、職員1、計27のプログラムでした。
2人の孫は、10番目のおゆうぎと16番目の合奏・合唱でした。
亀さんは、他の親御さんや祖父母さんと同じように、孫たちの写真を必死に撮っていました。
そして、“我が孫が一番上手だな!”などと、心の中で批評していました。
そのとき、ふと、“孫のおゆうぎ会には来ているが、自分の子供のときは、おゆうぎ会でどうしていたかな?”という、疑問が湧きました。
しかし、いくら考えても、自分の子供のおゆうぎ会のことが全く思い出せません。
結局、我が子のおゆうぎ会には行ってなかったことが分かりました。多分、仕事を休めなかったんだと思います。
当時、団塊の世代の人間は、「会社人間」として、仕事に追い立てられ、家庭のことを何もする暇がありませんでしたね。
今考えると、異常な生活だったんですね。(記入者:亀さん)
(追記)奥さんに確認したところ、第一子の長女の時だけはお遊戯会に行ったようです。その時、長女は、劇で主役の王女にはなれず、その他大勢で、“木の精”=立ち木を演じたようです。
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