興福寺「中金堂再建上棟式」(その1)
奈良・興福寺中金堂の再建上棟式にお招きいただいたので家内と参列してきました。興福寺といえば国宝の阿修羅像を思い浮かべる方も多いはず、春日大社や東大寺、奈良国立博物館のある奈良公園のいちばん西側にあります。
奈良にはよく出かけますが、奈良公園を歩いたのは昨年秋の正倉院展以来で、このときも再建現場の脇を通って、ならまち界隈まで足を伸ばしました。もっとも現場は鉄骨の大きな「素屋根」と仮囲いに覆われていましたので建物はまったく見えませんでしたけれども槌音が頼もしかったです。
中金堂は本堂にあたる主要建物で、境内のほぼ中央にあります。奈良時代の創建以来、戦乱や落雷などで7度も焼失しました。そのたびに同じ場所に再建されてきましたが江戸時代の享保2年(1717)に焼けてからは規模を縮小した仮堂でしのいできました。今回の平成の再建事業は約300年ぶりで、東西約37m、南北約23m、高さ約21mの創建当時の規模に再建されます。
上棟式は24日午後1時30分から招待された約700人が、現場上階席と下の大テント席で見守るなか、春日大社宮司らの「奉告之儀」からはじまり、多川俊映貫首が工事の無事や再建される中金堂が災害などに合わないようにという「啓白文(けいびゃくもん)」を奏上、作事を受け持つ袴裃姿の大工方が大屋根の棟上と階下に「槌打之儀」を行いました。私たちは階下テントでの大型テレビモニターで進行を拝見しましたので唯一写真が撮れたのはこの「地之儀」のみでしたが、みなさんもご覧のようにスマホやカメラを構えています。
大屋根に葺かれる約10万枚にものぼる瓦の<最初の3枚>つまり東西と中央の瓦を屋根に上げる「御瓦上棟」や観世流シテ方、浅見真州師による「祝寿之謡(ことほぎのうたい)」奉納などに続き、多川貫首が「平成10年から<天平の文化空間の再構成>を合言葉に実施してきた再建事業もきょうの上棟式が無事済みましたのであすからはいよいよ最後の大屋根や内陣の工事に入ります。中金堂が7回焼けて今回で8回目の再建になるのはまさに<七転び八起き>ともいえます。4年後の平成30年秋の落慶に向けて一歩ずつ工事を進めて行きたいと思っています」という挨拶で2時間余りの式は散会となりました。
式の終了後に階上も見学してきましたのでいくつかの写真を紹介しておきます。
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