近江散歩 (その4-3)
近江の宿場のひとつ、守山宿は東海道と中山道の分岐点です。ここから北の伸びる中山道と平行に琵琶湖に近い西側を彦根宿まで結ぶのが「朝鮮人街道」41キロです。江戸時代に韓半島の漢城=現在のソウルから江戸を目指す朝鮮通信使が通ったことから街道の名となりました。
この左のほうは桜並木が続きます。春はきれいでしょうねえ。きらびやかな衣装の通信使一行の長い行列が通って行きました。でも桜並木は当時はなかったかな。
看板をアップにしました。「左右確認」すると右隣の大きな石灯籠にはじめてみる「○○」があるではありませんか。今回はクイズはないのかと思われるでしょうから出題しておきます。ヒントは漢字2文字で「あると便利」かもしれません。
(記入者:野次馬)
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コメント
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朝鮮通信使は、亀さんの故郷の呉市下蒲刈島御手洗地区で風待ちや潮待ちして、宿泊していたようですよ。
どうも、休み休み、江戸に上ったようですね。
投稿: 亀さん | 2013年2月10日 (日) 22:16
亀さんへ 朝鮮通信使の一行は今のソウルを出発して釜山までに1か月。そこから対馬、壱岐、博多、関門海峡を通って瀬戸内海に入ると上関、下蒲刈、鞆、牛窓、室津、兵庫、大阪まで2カ月かけて進みました。風待ち・潮待ちもあったでしょうが各地で外交行事や饗応もあったからです。
室町時代に始まり、江戸時代には最後は対馬往復のみで終わりましたが江戸時代の12回を含めて全部で17回ありました。なにせ相当な費用がかかったので最後が対馬までだったのは幕府の経費削減のためとされています。
ずっと前に浅野藩の御茶屋=迎賓館があったところを見にいった記憶があります。<海の銀座も陸からは遠かった>です。
投稿: 野次馬 | 2013年2月11日 (月) 10:12