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2013年1月24日 (木)

近江散歩 (その3)

今回は鉄道記念物の「旧・逢坂山隧道」を紹介します。現在の東海道本線は京都-山科-大津間は「東山トンネル」と「新逢坂山トンネル」の二つのトンネルで結ばれています。ところが1880=明治13年に神戸-大津間が開通した時には京都からは現在の奈良線を通っていったん南下して稲荷から山科盆地を横切り、この旧・逢坂山隧道を抜けて滋賀県に入りました。

こちらがその東側の入口です。左側が下り線、右側が上り線です。

Imgp1501

工事は西南戦争の影響で遅れましたが1878=明治11年10月1日に東口、12月5日に西口からそれぞれ掘り進めて2年がかりで完成しました。当時の工部省が坑道掘削に慣れた兵庫・生野銀山の工夫を使って行いました。初めての国内技術による隧道工事と言われています。

トンネル内部は京都大学の地震研究施設に使われているのでほんの入口しか見られませんがアーチ形に丁寧に積んだレンガが残っています。

Imgp1503

入口には時の太政大臣・三条実美の揮ごうを刻んだ「楽成頼功」の扁額がはめ込まれています。「功(いさお)を頼みて落成す」の意味だと思いますが<落成は落盤に通じる>としてトンネルには使えないそうで代わりに「楽成」をあてたようです。

Imgp1499

上り線の入り口脇には苔むした石仏が。通行の安全を祈って祀ったのでしょうか。なにやら意味ありげです。                          (記入者:野次馬)

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コメント

「楽成頼功」の扁額のいわれは面白いですね。
また、掘ったのが生野銀山の工夫というのも面白いですね。
勉強になりました!

亀さんへ 扁額のいわれは私も説明板で知りました。当時のトンネルはレンガを貼っただけでしたからコンクリートで固めるのとは違い、完成後に落盤などが起こる事故も実際にあったんでしょうね。トンネルって山全体から比べたらイメージではシャープペンシルや毛髪より<細い>存在でしょうから。

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