雨の甲府城(舞鶴城)跡
甲斐の国と言えば、武田信玄。武田信玄と言えば、“人は石垣、人は城”という言葉が有名です。つまり、“人こそ城である。だから城を築く必要はない。”というわけです。
ですから、武田信玄は、甲府には城を築かず、現在の武田神社のところにあった武田氏館(いわゆる躑躅ヶ崎館)で領国の統治を行ったと言われています。
この躑躅ヶ崎館自体は、“石垣の上に天守閣”という典型的な城郭ではありませんが、日本100名城に選ばれており、城郭として立派な規模のものです。
したがって、甲府には城がないと思われがちですが、「日本100名城」にも選ばれている、舞鶴城(甲府城)という立派なお城があります(注1)(注2)。
甲斐の国は、武田氏滅亡後、徳川家康の支配を経て、豊臣秀吉が支配しましたが、その頃、舞鶴城が築城されました。
次いで、関ヶ原の戦い後は、徳川家一門が領主となり、その後、柳沢吉保が領主となりました。この時期に、城下町も大きく発展しました。
しかし、その後は、甲斐の国は幕府の直轄領となって、甲府勤番制となり、また、大火にもおそわれ、次第に壮麗な姿は失われていったようです。
現在、城跡は、舞鶴城公園として整備されるとともに、県指定史跡として復元工事が行なわれています。
そこで、19日、仕事が済んだ後に、雨中の舞鶴城を散策してみました。
天守台の城壁は 修復工事中で、本丸への入口の鉄門も工事中でした。
雨に濡れながら天守台まで登りましたが、遠景は雲で霞み、富士山なども見えませんでしたが、晴れていれば眺望が良いのではないかとも思いました。
しかしながら、復元工事はまだ半ばで、見るべきものは稲荷櫓くらいでした。(雨中とはいえ、城内ですれ違った観光客は1人もおらず、寂しい限りでした。)
亀さんは、内松陰門から舞鶴公園を出ましたが、復元工事がもっと進めば天気の良いときにもう一度来てみようと思いました。(記入者:亀さん)
付記:武田信玄の躑躅ヶ崎館跡が国指定の史跡なのに対して、舞鶴城跡が県指定の史跡なのは、やはり格の違いですかね…。
(注1)甲府城跡(別名・舞鶴城):http://www4.airnet.ne.jp/kmimu/castle/kosin/koufu.html、http://www.yamanashi-kankou.jp/history/koufujo/index.html
(注2)日本100名城:http://www7a.biglobe.ne.jp/~nihonjokaku/100meijo.html、http://www7a.biglobe.ne.jp/~nihonjokaku/pdf/100list.pdf
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コメント
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息子が甲府に住んでいる。5月連休に石和に宿を取りたっぷりと時間を過ごした。
復元中の城の解説員が熱心に説明してくれた。
投稿: GORO爺 | 2012年6月22日 (金) 08:12
おはようございます。
舞鶴城跡、居ながらに樂しませて頂きました(感謝
機会があれば訪れてみたいです。
投稿: mico | 2012年6月22日 (金) 09:19
> GORO爺さんへ
確かに、後で観光案内を見ると、稲荷櫓に案内人が居られ、色々と説明してくれるようですね。
でも、雨が降っていて、稲荷櫓の中に入る元気がありませんでしたよ。
今度、晴れたときにゆっくりと見に来たいと思います。
投稿: 亀さん | 2012年6月22日 (金) 23:28
> micoさんへ
晴れたときに来られれば、富士山や南アルプスも見えるので、良いようですよ。
それと同時に、武田信玄の躑躅ヶ崎館をあわせて見るといいですね。
投稿: 亀さん | 2012年6月22日 (金) 23:52