白瀬隊、南極上陸から100周年
たまたま、行きつけの書店に、1月新刊の新潮文庫の大野芳著「『宗谷』の昭和史―南極観測船になった海軍特務艦―」があったので、小学生の頃の第1次南極観測隊の派遣に対する感激、カラフト犬タロー・ジローの生存の喜びなどが懐かしく、つい買ってしまいました。
その本には、初代南極観測船「宗谷」の数奇な運命(注1)と初期の南極観測隊の裏面史が書かれ、面白く読み終えました。
特に、日本国民に夢を与えた南極観測の裏側で、南極観測隊の派遣を最初に提案し、かなりの費用を負担した朝日新聞・文部省・学者・各大学の山岳部等の醜い主導権争いがあったことは興味深い話でした。
“このような話をウィキペディアではどう書いているのかな?”と思い、「南極観測隊」などで検索してみると、亀さんは意外な事実を知りました。
①南極観測隊は毎年派遣されており、観測隊員の募集も毎年行われており、現在派遣されているのは、第53次南極観測隊であること(注2)。
②亀さんは、”南極観測隊は航空機で昭和基地に人員・資機材が輸送されている”と思っていたのですが、まだ、南極観測隊を砕氷船で輸送するということが行われており(注3)、現在の南極観測船「しらせ(2代)」が昭和基地付近(南緯68度54分・東経38度57分)で南極の氷と苦闘していること(注4)。
③初代の南極観測船「宗谷」は海上保安庁所属の船でしたが、2代目以降の「ふじ」、「しらせ(初代)」、「しらせ(2代)」は海上自衛隊の所属であること。
ところで、今年は、白瀬矗(のぶ)陸軍中尉が日本初の南極探検隊を率いて南極大陸に上陸してから、100周年になるようです。また、昨日(1月16日)は白瀬中尉が南極に上陸した日でした。
そんな日に、初代南極観測船「宗谷」の本を読み終えたというのも偶然とはいえ、面白いですね。(記入者:亀さん)
追記:「しらせ」からみた南極や「昭和基地」の状況の動画や昭和基地WEBカメラの画像も見ることができます(注5)。
(注1)ソ連の耐氷貨物船として建造→日本の耐氷貨物船→海軍特務艦→戦地引揚船→灯台補給船→南極観測船→巡視船
(注2)南極地域観測事業:http://www.mext.go.jp/a_menu/shinkou/nankyoku/index.htm、http://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/23/10/1312674.htm。南極観測のHP:http://www.nipr.ac.jp/jare/
(注3)観測隊員は、空路でオーストラリアに行き、南極観測船に乗ります。
(注4)asahi.com:http://www.asahi.com/national/jiji/JJT201201140001.html。進め!しらせ:http://www.nipr.ac.jp/jare/shirase/index.html
(注5)「しらせ」からみた南極・南極の昭和基地の動画:http://www.mext.go.jp/a_menu/shinkou/nankyoku/index.htm。昭和基地WEBカメラの画像:http://polaris.nipr.ac.jp/~webcam/NC2/
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コメント
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亀さんへ TBS60周年記念の『南極大陸』を見た家内から「タロとジロは日本に帰ってきたんだっけ?」の質問が。調べたらジロは向こうで病死、タロは4年半後に帰国して北海道大学植物園で余生を送ったとありました。剥製はそちらに、ジロのは上野の国立科学館にあるそうです。それと現在は生態系保護のため南極には動物を持ち込めないそうです。
投稿: 野次馬 | 2012年1月18日 (水) 10:28
>野次馬 さんへ
そうですか。ジロは向こうで死んだんですか…。
剥製が北大と上野にあるのは知っていたんですが、それは知りませんでした。
映画では、タロとジロが隊員に飛びついてきたことになっていますが、どうも嘘らしいですよ。
カラフト犬は自分の名前を呼ばれないと反応しないように訓練されており、生きている犬がタロとジロと分かったのは上陸して数時間後だそうです。
投稿: 亀さん | 2012年1月18日 (水) 14:14