富岡製糸場に行ってきました。
10、11日、休暇を取って、職場の同僚と群馬県の磯部温泉に行きました。
“10日はゴルフ・宴会、11日は観光”という日程ですが、亀さんはゴルフをしないので、宴会からの参加です。亀さんにとっては、11日の観光がメインになります。
前日は好天で妙義山も見えていたんですが、11日は天気予報通り、本格的な雨でした。
しかし、予定していた富岡製糸場(注1)の見学を決行しました。この施設は、国指定の史跡・国指定の重要文化財に指定されており、現在、世界遺産暫定リストに記載され、その指定を目指しているようです。
亀さんは、日本史の授業で、八幡製鉄所とともに日本の工業化のための代表的な官営工場として、名前だけは知っていたのですが、今までに来る機会がありませんでした。
行ってみると、ちょうど9時半からのボランティアのガイドツアーが始まるところでした。ラッキー!
亀さんたちは、明治5年から6年にかけて建築され、国の重要文化財に指定されている東繭倉庫・検査人館・女工館・繰糸場・ブリュナ館を回りました。
多くの建物は外観見学のみでしたが、明治5、6年の外観がそのまま残されていました。これらの建物が構想からわずか2~3年で、完成し、操業されたというのは、驚きです。
これらは多くが煉瓦造りですが、この煉瓦は、フランス人お抱え指導者のポール・ブリュナの日本人自身が製造したもののようで、明治5年の煉瓦が明治6年には、格段に良くなっています。当時の日本人の文明開化への情熱を感じました。
繰糸場の内部は、一部公開されていますが、地場の木材を使った木造のトラス構造圧巻でした。ただ、設備は、昭和62年操業停止した片倉工業時代のもので、創業当時のものではなく、残念でした(注2)。
最後に、東繭倉庫内に、その内部とガイダンス展示の見学をしました。ここでは、富岡製糸場の歴史、繰糸機の復元展示などを見ました。
ここで、亀さんは今まで疑問にも思わず、知らなかったことを知ることになりました。
明治時代、主な輸出品が「生糸」だったことは知っていたのですが、亀さんは、生糸=絹糸と思っていました。「生糸」が精練されて「絹糸」になることなど全く知りませんでした。(バカですね!勉強になりました!)
この見学で、明治の工業化・日本の発展への情熱を感じることができましたが、20数年前まで生産活動に使われていた施設を世界遺産にするというのは???でした。(記入者:亀さん)
(注1)富岡製糸場:http://www.tomioka-silk.jp/hp/index.html
(注2)富岡製糸場は、115年間の操業中、明治6~26年が官営、~明治35年が三井、~昭和13年原合名会社、~昭和62年片倉と、経営主体が変遷している。
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コメント
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学校の本に載って居る写真とは違って内部の構造が判り易いです。
合わせ梁に依り重量を支えて居るのが凄いです。
トラス式の良い処ですね。
世界遺産に申請ですかね?
確かに何とも。ですね。
うーーーん、何かが見え隠れしている様に思えます。
投稿: ななごう | 2011年11月15日 (火) 08:57
歴史の授業で出てきたのを覚えてます。
沢山の女工さんが働いていて・・・・
赤レンガ造りの建物はすごい年代を感じさせられますね。
投稿: IWATO | 2011年11月15日 (火) 20:52
>ななごうさんへ
すごい梁ですよ。
東繭倉庫の床も日本の和釘を使って丁寧に作られていました。
日本の技術を生かして、この工場を作ったんですね。
投稿: 亀さん | 2011年11月15日 (火) 22:54
> IWATOさんへ
最初は、工女さんが集まらず、工女第1号は、初代製糸場長の娘さんだったようです。
ここでは、女工哀史のような過酷労働はなかったようです。
投稿: 亀さん | 2011年11月15日 (火) 23:03