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2011年8月 3日 (水)

今年も暑い原爆の日が来ます!

    ―広島の原爆に関連した2冊―11080201p1070981 11080202p1070979

今年も、もうじき、広島の原爆の日が来ます。この日は、戦後生まれの亀さんにとっても運命の日です。

なぜなら、亀さんは、被爆二世だからです(注1)

被爆した父や祖母などの話だと、あの日は、雲ひとつない暑い日だったそうです。今年の原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式(注2)も炎天下で開催されることでしょう。

亀さんは、毎年、この日は、午前中は休暇を取って、テレビに向かって、平和を祈っています。

亀さんは、先日、毎週行く書店で、広島の原爆に関連した2冊の新刊の文庫本を見つけ、購入しました。

その一つは、被爆二世の長野まゆみさんが書いた「八月六日上々天気」(河出文庫。単行本は1995年刊行)です。

小説は、東京の女学校に通う珠紀が、教師の徴収猶予を嫌い、兵役を志願した夫と結婚し、姑さんと(亀さんの故郷の)呉市に住んでいて、8月6日を迎え、海軍兵学校の受験準備で広島に来ていた従兄弟を原爆で失うという設定です。

戦争や原爆の悲惨さを直接的には書かず、若い珠紀の目を通して、戦争や原爆を原爆を描いた名作でした。

もう一つは、門田隆将さんが書いたノンフィクション「康子十九歳戦禍の日記」(文春文庫。単行本は、2009年刊行)です。

広島の原爆で即死した広島市長の父や1ヵ月後に原爆症で亡くなった母を追うように、二次被爆で亡くなった粟屋康子さんが遺した日記・書簡などをもとに描いたで、彼女を取り巻く様々な若者たち(注3)が明日の命も分からぬ戦時下で体験した苛酷な日々や心理を再現したノンフィクションの傑作です。

若者たちの苦悩と家族の絆が見事に描かれて、感激しました。

亀さんは、書店で偶然この2冊に遭遇しましたが、戦争や原爆の悲惨さを再確認するために、今の若者に是非読んで欲しい本ですので、このブログに書きました。(記入者:亀さん)

追記:「平和記念式典」ということもありますが、亀さんは、平和は達成されておらず、その達成を「祈念」するという立場から、「祈念式」という言葉を使用しています。

(注1)亀さんの父親は、広島県呉市に住んで、呉鎮守府に勤務しており、当日は、爆心地に近い広島の軍管区司令部との打ち合わせのため、8時過ぎに広島に行く予定でした。

しかし、到着が遅れ、原爆が落ちたときは、爆心地から5、6キロ手前(海田町)だったようです。一次被爆からは逃れています。その日は、広島には入れず、翌日、司令部に行き、二次被爆してしまいました。

(注2)広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式:http://www.city.hiroshima.lg.jp/www/contents/0000000000000/1216809678498/index.html

(注3)この中に、当時中央大学予科の学生だった三菱地所元社長・元会長の高木丈太郎さんもいます。

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コメント

今年も8月6日が来ますね。
自分の祖母から聞いた話ですが
「大きなキノコ雲が見えて少ししたらすごい轟音が聞こえた」って聞きました。
島からも見えたんですね。

コンバンワ。
広島市長は「再生エネルギーについて言及する」
広島県知事は「原爆と原発は議論のテーブルが違う・・・」と、(両者とも保守系)
何故「平和祈念式」と「政治」が何十年と「同居」するのでしょうネ。
もっと真摯に「平和を願って!」と思います。

夏休み無しで学校行っていて、光を感じたので帰宅になり、学校から家までの道が丁度広島方向。
目の前にモクモクと立ち上がる雲を見ました。
その後ドンドン疎開してくる人の身体が、直視出来ないものでした。
爆心から30キロ、あの雲の上がっていく様子は、
その後の写真や映画などで変わって行ったと思うが頭から抜けません。

> IWATOさんへ
亀さんの母は、廊下の拭き掃除をしていたところ、西北の方向が光り、ごう音がしたそうです。
その後、広島から逃げてきた人の話で、広島は全滅したと聞き、広島の師団に行く予定の父は死んだと思ったようです。
祖母と伯母は広電に乗っていて、猿喉橋付近で被爆しました。伯母は原爆症で喀血・脱毛に苦しみました。ただ、祖母はリューマチが治ったと思い、「ピカドンも良いところもあるんよ!」と言って、ひんしゅくを買っていました。

>マルチュウ さんへ
亀さんも、エネルギー小国の日本を考えると、脱原発と言い切れません。
ただ、日本人が本当に省資源の生活を許容できるのであれば、脱原発もあるかな…とも。
脱原発を言っている人たちの一部には、ソ連や中国の原爆を許容した人たちもいることを覚えており、広島県人としては、その人たちが何を言っても信じませんよ。

>GORO爺さんへ
亀さんの田舎の吉浦からは、山が邪魔をして、きのこ雲は見えなかったそうです。
江田島・能美島・倉橋島などの島嶼部からはよく見えたそうですね。
吉浦でも、広島から、多くの被爆者がぞろぞろと歩いて来られて、広島の惨状を知ったそうです。

自分も勉強して、子供達に伝えないといけませんね。

>子亀さんへ
子供の頃、親たちからは、親や祖母が被爆者であること・被爆二世であることを他の人に言わないように言われていました。(被爆者への差別があったので…。)
だから、被爆二世であることは、最近まで、妻や家族にも話しませんでした。
でも、父や祖母からは原爆のときの話をよく聞きました。
最近、亀さんも、この話を伝えなければいけないと思うようになりました。

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