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2010年10月17日 (日)

興福寺の中金堂「立柱法要」(その2)

興福寺春日大社は(その1)でも紹介しましたが創建以来、密接な関係がありました。明治の「神仏分離」以前は現在の奈良公園や猿沢の池なども含めた一帯すべてが「春日野」と呼ばれる神聖な一体空間でした。今回の法要も春日大社の神職がはじめの「清祓(きよはらい)」を執り行いましたし、お供えなども写真の通り神前と仏前の様式が合わさったように見受けました。観世流シテ方の浅見真州さんが奉納した舞囃子の能も春日明神ゆかりの「春日龍神」でした。

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もうひとつ興味深かったのが「槌打(つちうち)の儀」です。 今回の造営は春日大社の諸殿や大鳥居などの造営にあたる「春日番匠座」という宮大工集団が担当します。「槌打の儀」は神官や僧侶ではなくこのメンバーが進行を取りしきるのです。中央部分の16本の柱に分かれて法被を着た代表や来賓が木槌を床に敷いた厚板に3回ずつ3度の計9回打ちつけます。新聞社などのカメラマンが集まったのがカメルーンから奈良工業高専に留学している特別来賓のチャムチャム・キベン・ヤンデ・ンデフル君でした。私はそちらには近づけませんでしたが式典終了後に夫婦で「槌打」を体験させていただきました。これが結構人気で列ができていました。余談ながらこの長い名前は新聞記事から拝借しましたが「祖国の木が支えになってうれしい」というのが彼のコメントでした。

多川貫首が詞を作り同じく浅見さんが謡った「寿謡」にも「けふの美(うま)し日に猿沢の。北のみぎわに立つ柱。遥々と遠つ国より来たりしと」と、用材がはるばるアフリカの地から運ばれてきたという感慨が込められていました。
(記入者:野次馬)

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