涵徳亭の平沼騏一郎の書
パーティの会場の涵徳亭は、小石川後楽園が創建された時代に造られた萱葺の茶室でした。
硝子紙をもって障子としたため「ガラスノ茶屋」と呼ばれていたのを、享保年間に朱子学者の林信篤が涵徳亭と名づけたそうです。(因みに、“涵徳”とは、“徳でたっぷりとひたす”という意味です。)
現在の建物は4代目で昭和六十一年に再建され、集会所として利用されています。
桜や紅葉の時季には、小石川後楽園の桜や紅葉を見ながら料理を楽しむことができます。
ここで是非見ておくべきものは、平沼騏一郎(戦前の検事総長・大審院長・首相。参考1)の書です。
一つは、涵徳亭の名前のもとになった「涵徳揚光」という額であり、後楽園の名前のもとのなった「先憂後楽」の掛け軸です。
「先憂後楽」とは、“優れた為政者は心配事については世の人がまだ気付かないうちからそれを心にとめていろいろ処置をし、楽しみは世の人の楽しむのを見届けたあとに楽しむ”ということで、政治家の心がけを表した語です(参考2)。
最近の政治家をみると、この「先憂後楽」に真逆の人ばかりで、いささか寂しい限りですね。(記入者:亀さん)
前回のブログの補足:園内の水田の風景ですが、水戸黄門さんの案山子が立っていました。
(参考1)平沼騏一郎:http://100.yahoo.co.jp/detail/%E5%B9%B3%E6%B2%BC%E9%A8%8F%E4%B8%80%E9%83%8E/
最近のコメント