京都・木津川の「流れ橋」間もなく開通
昨年10月の台風18号で流出したままになっていた京都・木津川の「流れ橋」が間もなく開通になるようです。「流れ橋」と名付けられてはいますが、橋脚と橋桁はワイヤーで結ばれているので<増水で流されても流れない構造>になっています。それでも「日本でいちばん長い木造流れ橋」なので復旧工事も大掛かりなものとなります。近くまで行ったので工事の進捗を見てきましたが大型クレーンを使ったりしていました。ようやく流れた橋桁が元の位置に戻され、壊れた個所や流れた部材や橋脚も元通り修復されました。ただし工事期間は「6月15日まで」となっていますので開通はもう少し先のようです。完成したら久しぶりに渡りに行こうかな。 (記入者:野次馬)
(写真:対岸が京都市街地方面)
昨年11月撮影
« 近江花紀行―バイカモとハリヨの地蔵川へ(その3) | トップページ | カワセミの水浴び »
コメント
この記事へのコメントは終了しました。
木津川流れ橋は、上流にも、もう一脚設置されていました。
小学生のころ、長谷川一夫さんが、銭形平治の撮影に来ていました。さらに、戦争中は奈良の予科練のグライダーの練習j場となっていました。
また、終戦直前、B29が陸軍の2式単戦に撃破されて、不時着した場所でした。
投稿: narahimuro | 2012年2月25日 (土) 08:52
narahimuroさんへ 貴重な情報ありがとうございました。現在Webにて 「蚤の目大歴史366日」というのを 蚤野久蔵の名で執筆中です。B29不時着のところを調べてみたいと思います。
投稿: 蚤野久蔵 | 2012年2月25日 (土) 09:27
B29不時着の事でもう少し補足します。
不時着場所は木津川原で、場所的には城陽市
青谷になります。
二式単戦も近くに不時着しましたが、搭乗員は無事でした。このB29は神戸空襲の帰途。撃破されたもので、搭乗員の半数が戦死しています。
これは、実際に不時着現場を目撃した人達から聞かされました。
彼らの遺骨は近在の寺院に安置されていました。
投稿: narahimuro | 2012年2月26日 (日) 23:59
narahimuroさんへ 不時着場所が青谷ということは今の山城大橋の下流ということでしょうか。「城陽市史」あたりを調べてみます(「京都市史」にはなかったものですから)
投稿: 蚤野久蔵 | 2012年2月27日 (月) 19:04