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2009年9月27日 (日)

越中・富山紀行(その1)

また性懲りもなく出かけたのなどと言われそうですがシルバーウイーク後半は富山に行って来ました。もちろん渋滞覚悟で「シルバーウイークとかけてメールアドレスととく」こころは・・・・とにかくどっと混む」なんて(どっと混む=ドット・コム=.com)と相変わらずの能天気ぶりかな。名神から北陸道は混みそうなので第二名神から東名阪、東名、名神から東海北陸道経由のルートを選んだのが大失敗。渋滞につきものの追突事故が渋滞にさらに拍車をかけ、う回路がないのも計算外でした。「日暮れてもなお道遠く」昼食と休憩以外は終日ハンドルを握ったままでようやく立山の温泉に到着しました。まあ、他人の旅行などあまり興味はないでしょうから今回は「ひょっとしたらヒスイ原石が拾える?」「万葉線は有名落語家が声の車掌さん」「豪華絢爛、山が謡う―海老江の曳山」などを紹介します。

実は大渋滞さえなければ初日にいったん新潟県まで行って「東側から」富山県へ入る予定でした。なつかしの日本映画『日本沈没』ではここで東日本と西日本のふたつに分かれるフォッサマグナ=中央構造線=が通る糸魚川ICで下り、国道8号線を戻るプランです。旅の大先達の松尾芭蕉*や天文学者のパーシヴァル・ローエル**が明治22年(1889)に通ったのと同じルートです。翌日、半日遅れで向かいました。糸魚川まで行ったのはここの海岸を歩いてみたかったこともあります。ヒスイの露頭がある姫川や青海川が日本海に流れ込んでいるのでひょっとしたら、と。そこで寺地海岸をのぞいたら長靴をはいた中年のおじさんが3人、群馬県からやってきたという子供連れの夫婦、他に何人もの「同好の士」らしき人々がひたすら石を探しておりました。何せタダですからね。手に石を入れるビニール袋などを持っているので見分けがつきます。

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これが2人で探した半時間ほどの成果です。ヒスイは変成岩の一種の蛇紋岩に含まれていることが多いのですが素人目にはどれも同じように見えてきます。「で、本物は」と聞かれそうですから『海辺の石ころ図鑑』(ポプラ社)で調べた結果を紹介すると左上の三角形のと左下のいちばん小さいの3個が「ただの」蛇紋岩、いちばん大きくて一見ヒスイっぽくみえるのが緑泥岩をくっつけた礫(れき)岩=堆積岩でヒスイ原石はなし、でした。次回は忘れていったこの本を持って波打ちぎわにも入れるように長靴をはいて行きますか。 (記入者:野次馬)

<メモ>
*松尾芭蕉:元禄2年(1689)「奥の細道」の旅でここを通った。私なりに口語訳にすると「鼠(ねず)の関を越えて、越後に入り、そこを過ぎれば越中の国市振(いちぶり)の関へと至る。この9日間は、暑さと雨にやられ精神は疲労困ぱいし体調を崩した。だから記すべきことはない」とそっけないが、有名な「荒海や佐渡によこたふ天河(あまのがわ)」の句、市振では「一家(ひとつや)に遊女も寝たり萩と月」を残した。

**パーシヴァル・ローエル:1855年アメリカ・ボストン生まれ。ハーヴァード大学を卒業後の明治16年(1883)に来日、在日本米国公使館の仕事をするなどしていったん帰国したが同22年(1889)に再来日し能登旅行をした。旅行記『NOTO』は有名。後年はアリゾナ州にローエル天文台を創設し火星の研究に打ち込んだ。冥王星の存在を予想したことでも知られる。

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コメント

シルバーウィークは大活躍でしたね。
また、琵琶湖のゴミ調査、ご苦労様でした。

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