静御前の墓にお参り!
昨日、うだるような暑さになりました。ここのところ、姿を見せなかった青い空もわずかに顔をのぞかせました。
その暑い中、仕事で埼玉県の北端の栗橋に行ったときのことです。栗橋駅のそばに、源義経の愛妾の「静御前の墳(墓)」(上左)を発見しました。
こんな所に、「なぜ静御前の墓があるんだろう?」と、町の設置した説明板を見ました(写真下)。
それによると、静御前は、奥州藤原氏を頼って落ち延びた源義経を慕って、京都から平泉に向かう途中で、義経の討死を知り、仏門に入り、京都に戻って義経の菩提を弔おうと京都に向かったが、病気となり、この地で亡くなったそうです。そして、侍女がこの地のその遺骸を葬ったそうです。
この墓は、1808年に、墓のしるしがないのを哀れんで、中川飛騨守忠英が建てたものと考えられています。墓の周辺には、「静女塚碑」(上右)や歌碑などの石碑が沢山建てられていました。
亀さんは、愛する人を慕って、こんな遠くまで来て、哀しく散った女性・静御前の悲恋に思いを馳せ、墓前で手を合わせました。
なお、調べてみると、全国には、ここのほか、香川県三木町、福岡県福津市、兵庫県淡路市、新潟県長岡市などにも静御前の墓と伝えられるものがあるようですが、“奥州平泉の義経を慕ってそこに行く途中に亡くなった”とする、栗橋や長岡の墓の方が男冥利に尽きるような気がします。(男としての感想ですが…)(記入者:亀さん)
(参考)静御前ゆかりの地くりはし:http://www3.ocn.ne.jp/~kurihasi/Sizukagozen.htm
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コメント
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こんばんは。
日本中に静御前や小野小町等の伝説であふれていますね。どれも正解でしょうね。
投稿: シゲ | 2009年7月 8日 (水) 20:32
> シゲさんへ
日本人は、悲劇のヒーローやヒロインが好きで、色々な伝説を作るんでしょうね。
栗橋に静御前の墓があるなんて知りませんでした。
投稿: 亀さん | 2009年7月 8日 (水) 22:03
亀さん、こんにちは。
栗橋は私の隣町ですが、確かに以前「静御前ゆかりの町・・・」みたいな話を聞いたことがあります。
随分立派な墓ですが、かなり時代が下ってから建てられたものなんでしょうね。
投稿: Well-U | 2009年7月 9日 (木) 18:41
>Well-Uさんへ
町の説明板によると、今から200年前に建てられたようですが、墓碑自体は最近造りかえられたのかも知れませんね。
ところで、今回行くまでは栗橋は利根川の向うで、群馬県か栃木県だと思っていましたが、埼玉県でした。鷲宮、加須、羽生、行田は埼玉だと分かっていたんですが…。
投稿: 亀さん | 2009年7月10日 (金) 00:44