今日は義士祭!
―高輪・三田・芝の散策 その1―
今日14日は、「忠臣蔵」で有名な赤穂義士が吉良邸に討ち入りした日です。高輪の泉岳寺では、「義士祭」が催されます。
亀さんたちは、今日の天気が雨と予想されていたので、昨13日に高輪・泉岳寺にお参りに行ってきました。
スタートは地下鉄南北線「白金高輪駅」からです。駅を出ると、高輪区民センターなどの入っている「高輪コミュニティーぷらざ」に入って、エレベーターでその5階に昇ります(注1)。
すると、高輪の台地になり、目の前に東京都指定の天然記念物の「旧細川邸のシイ」があります。あの大石内蔵助外16人の赤穂義士が切腹した肥後熊本藩細川家の下屋敷の一部です。
その脇の道を道なりに行くと、高松宮邸の隣りの住宅供給公社住宅のところに「大石内蔵助等自刃ノ跡」という碑が建っており、その奥に都指定史跡の「大石良雄外十六人忠烈の跡」があります。ここは、非公開ですが、門の隙間から石内蔵助等が切腹した場所を覗くことが出来ます。
そこから、細い路地を縫うように下ると、泉岳寺(注2)に着きます。亀さんたちと同じ考えで1日繰り上げてお参りに来た人が多く、お寺は多くの参拝客で、賑わっていました。山門の脇には、大石内蔵助良雄銅像があります。
本堂にお参りし、史跡の「赤穂義士(四十七士)墓所」に行きます。その入口から墓所の門までの間に、「血染の石・血染の梅」(注3)、「首洗井戸」(注4)などがあります。また、赤穂義士を援助した天野屋利兵衛の碑や大石家の墓もありました。
墓所の門(注5)をくぐると、線香のけむりで、墓所は煙っています。門のところで売っている線香を参拝客はみんな持って、お参りしているのです。
義士の墓の手前に、浅野内匠頭及び同夫人の墓があります。亀さんたちは、その墓にお参りした後、義士の墓にお参りしました。
特に、四十七士のうち、関係者に本懐の成功を報告に行くことを寺坂吉右衛門以外の戒名には切腹(自刃)を意味する「刃」が記されていました。なお、実は、お墓は48基あり、四十七士以外に、討ち入り前に自殺した萱野三平の供養墓があります。
亀さんは、大石内蔵助・主税の墓や堀部安兵衛、大高源五、神崎與五郎、矢頭右衛門七、寺坂吉右衛門の墓のお参りに時間を掛けました。
帰るときに、土産物屋の「義士堂・小泉商店」で、名物の切腹最中と起上り大石などを買いました。(続く)(記入者:亀さん)
(注1)白金の町と高輪の町とには相当の高低差があるので、大回りをして、魚藍坂等の急坂を上らないといけないのですが、この方法が裏技です。
(注2)泉岳寺:http://www.sengakuji.or.jp/
(注3)浅野内匠頭が田村右京大夫邸の庭先で切腹した際に、その血がかかったと伝えられている梅と石です。
(注4)赤穂義士が本懐成就後、吉良上野介の首をこの井戸水で洗い、主君の墓前に供え報告したところから「首洗い井戸」と呼ばれています。
(注5)この門は浅野家の鉄砲洲上屋敷(現・聖路加病院)の裏門で、明治時代に移築されたものです。
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コメント
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毎年この時期なるとテレビで「忠臣蔵」が
放映されますね、
一度お参りしたくなりました。
投稿: mico | 2008年12月14日 (日) 07:07
おはようございます。
になりましたね。
やはり今日は雨
私は今年、池宮彰一郎さんの「四十七人の刺客」を読みましたので、今回の記事は、とても興味深く読ませていただきました。
ありがとうございました。
投稿: ubazakura | 2008年12月14日 (日) 08:26
>micoさんへ
亀さんが泉岳寺に行くのは、20年ぶりでした。
散策をするというのが先に決まって、コースの検討の際に、義士祭を考慮したという順です。
みんなが行かない、「旧細川邸のシイ」や「大石良雄外十六人忠烈の跡」に行ったり、細い路地を歩くというのが面白いんですよ。路地には、昔ながらの井戸ポンプもありましたよ。
投稿: 亀さん | 2008年12月14日 (日) 12:32
> ubazakuraさんへ
東京は、今朝早くから雨で、昨日散策に行ったのは正解でした!
高輪は、路地が多く、散策するには、地図を読む力と正確な方向感覚が必要ですが、結構楽しいですよ。
投稿: 亀さん | 2008年12月14日 (日) 12:40