越ヶ谷宿付近の散策・その2
―徳川家ゆかりの土地―
旧日光街道は、本町商店会を抜けると、元荒川の大沢橋になります。越ヶ谷宿の本陣等は大沢橋を渡った大沢地区にあったようですが、その跡は保存されていないので、亀さんは、徳川家ゆかりの3箇所に行くことにしました。
付近には、現在も「宮内庁埼玉鴨場」(注1)がありますが、江戸時代、この地域は将軍の鷹狩りの場でした。徳川家康・秀忠・家光の将軍はこの地域に何度も足を運ばれました。そのため、この地に「越ヶ谷御殿」と称される別荘を造営されました(注2)。
亀さんは、まず、その越ヶ谷御殿の跡を訪ねました。しかし、石碑があるだけで、何もありません。説明板を見ると、「明暦の大火で江戸城が全焼したため、…解体し江戸に運び、江戸城を再建しました」と書いてあります。
亀さんは、思いなおして、徳川家ゆかりの「天獄寺」と「久伊豆神社」に行くことにしました。
まず、「天獄寺」は、「久伊豆神社」の参道脇にあり、約530年前に太田道灌の伯父・源照によって開山された寺院で、かつては北条氏の城砦にも用いられたと言われています。その後、徳川家康から寺領寄進の朱印状を交付されたほか、秀忠や家光も鷹狩りのついでに立ち寄るなど、徳川家とのゆかりも深かったようです。
その山門は二階建ての変わったデザインの門で印象的でした。また、無縁仏となった墓石がたくさん並べられているのが異様でしたが、越ヶ谷宿の商家の盛衰が激しかったために多くの無縁仏が発生したようです。 なおこの寺の入口には六十六部供養塔や庚申塚などの江戸時代の石碑があります。
次に、天獄寺の隣りの「久伊豆神社」は、平安時代中期の創建と推測されており、長い参道を歩いていると荘厳な気持になります。この日は、七五三で参拝の家族も多かったようで、参道には色々な屋台が出ていました。
この「久伊豆神社」は、江戸時代には徳川の将軍が鷹狩りの際に参拝され、社紋「立葵」もその際に徳川将軍家より奉納されたと伝えられるなど、徳川家とのゆかりが深いようです。
なお、春には、この神社の藤が見事だそうで、県の天然記念物に指定されています。また、この「久伊豆神社」は「クイズ神社」としてクイズ愛好家の参拝が多いようですが、本当は「ひさいずじんじゃ」と読みます。(つづく)(記入者:亀さん)
(注1)宮内庁埼玉鴨場:http://www.kunaicho.go.jp/07/d07-12.html、http://homepage3.nifty.com/shirakobato-network/famous/kamoba.html
(注2)越ヶ谷御殿跡(市指定史跡):http://www2.city.koshigaya.saitama.jp/miru/bunkazai/kosigayagoten/index.html
(注3)天嶽寺:http://www.geocities.jp/onriedo_gongujodo/tengakuji.html
(注4)久伊豆神社:http://www.hisaizu.net/yuisho.html。「久伊豆神社」という名前の神社は、元荒川流域に多く分布しており、元来、平安時代末期の武蔵の武士団によって支援されたようです。
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コメント
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おはようございます。
越谷って ますます興味深くなりました。
私は良く熊谷から千葉へ行きますが 途中で寄ってみたい気がしてきましたよ。
落ち着いた街のようですね。
「小菊シリーズ」へのコメントありがとうございます。
私の今日のアップは「公園の紅葉」です。身近な公園にも秋が来ています。木々の葉も色づきました。
投稿: oohay7901 | 2008年11月19日 (水) 09:45
こんにちは。
むかし、ここで鴨を食べたことがあります。下駄を履いて行くんですよね。面白かったです。
投稿: シゲ | 2008年11月19日 (水) 13:12
> oohay7901さんへ
行くとすれば、花の時季が良いかも…。
亀さんは見落としましたが、近藤勇が投降・出頭した家を見るだけでも話のタネに成るかもしれませんよ!
投稿: 亀さん | 2008年11月20日 (木) 00:15
> シゲさんへ
皇族や外交官・政府要人などしか鴨猟には参加できないそうですね。貴重な経験をされたんですね。
地元の人の話だと、近年は鴨猟で捕まえた鴨はすべて放鳥しているそうです。
投稿: 亀さん | 2008年11月20日 (木) 00:23