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2008年10月16日 (木)

江戸城外堀の石垣

   ―文科省の新庁舎工事で発掘!―0810082111 0810082222 081008233 0810082441 0810082552 081008266

10月7日のブログで、「芸州藩上屋敷の石垣!」(注1)を見た、岡山県出身の友人から、次の情報をいただきました。「文部科学省の庁舎建替え工事の際に、江戸城外堀の石垣が発掘され、文科省のところに保存・展示されていること。そして、その工事は、備前・備中(現在の岡山県)の大名がやったこと。」と。

その友人は、「広島のことだけでなく、隣りの岡山のこともお忘れなく!」と自己PRしてきただけだとも思いましたが、岡山人の業績を確認するために、文科省の江戸城外堀の保存を見てきました。(隣県人どうしは仲が良くても対抗心がね…!)

文科省の構内ラウンジ前(写真上左、注2)の説明パネルによると、寛永13年に60家の大名に幕府が命じ、構築された江戸城外堀跡の石垣だそうです。

文科省の庁舎建替え工事で発掘された部分は、岡山藩池田家を頭に、摂津三田藩九鬼家、備中庭瀬藩戸川家、豊後佐伯藩毛利家、備中松山藩池田家が担当したそうです。

文部科学省構内ラウンジ前の石垣(写真上・中央)地下鉄虎ノ門駅新庁舎連絡通路出口の石垣(写真上右)旧教育会館前が石垣(写真2段目右)が復元保存されていました。

圧巻は、地下鉄連絡通路出口の石垣の石に掘り込まれた、豊後佐伯藩毛利家を意味する「矢筈」の刻印(写真2段目左・中央)です。

東京の都心に、田舎の痕跡が「刻印」という形で残っているのは、田舎の出身者として、「溜飲が下がる」という感じでした。

なお、外堀通りを挟んで向い側の虎の門三井ビル前にある「史跡 江戸城外堀跡」の碑と外堀櫓台跡の石垣も、ついでに見てきました(写真下左・中央)。(記入者:亀さん)

(注1)http://dankai-hiroba.cocolog-nifty.com/blog/2008/10/post-3440.html

(注2)http://www.mext.go.jp/ishigaki/index.htm

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コメント

遠く離れた場所で広島縁のものが見れたって感動ですね。
広島城のまわりでもビルや病院の基礎工事で外堀の石垣が見つかっているようです。
また、実家の前に有る小高い山(宮の山って呼んでる)の頂上にもお城(海越城)があったそうで
最近岡山の学者が調査に来たそうです。
今では石垣が残ってるだけです。

>IWATO さんへ
本浦にある、戦国時代の海賊衆の倉橋多賀谷氏の居城・丸子山城跡は、県の史跡に指定されているようですから、色々なところに出城が有ったんでしょうね。
亀さんの故郷にも、城山という山の上に、野間水軍の居城・吉浦堀城があったといわれています。

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