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2008年9月29日 (月)

歴史と清流の「高麗の里」を散策(1)

    ―高麗山聖天院と高麗王―

巾着田で曼珠沙華を満喫した後は、古えからの歴史の詰まった「高麗(こま)の里」を散策しました。その主なものを報告します。

なお、この地域が縄文期から人が暮らし、古代には高麗人が移り住んだ地域でことは、高麗という地名や高麗川という河川名などにあらわれています。(埼玉県には、高麗郡のほか、幡羅郡や新羅郡という、渡来人(注1)と関係する地域がありました。)08092715 080927361

まず、高麗石器時代住居跡に行きましたが、この住居跡は縄文中期のもので、昭和初期に考古学研究の先駆けになった発掘調査が行われており、国指定の史跡にもなっています。

その後、高麗川に並行する形で散策しましたが、橋からの清流・高麗川の眺望は素晴らしいものでした。08092719_2 08092720_2 08092721_2 08092722_3 08092723_2 08092718_4 08092738

40分ほどで、高麗山聖天院勝楽寺(注2)に着きます。ここは、高句麗からの渡来人の高麗王若光の菩提寺として、奈良時代に創建されたものですが、市指定の文化財の阿弥陀堂や高麗王廟、江戸時代後期に建造された山門(雷門)など以外は最近のもので、何となく違和感を感じました。ただ、高麗王廟や山門前の一対の将軍像に渡来人の文化の匂いを感じました。

なお、高麗王廟を一対の羊が守護していますが、中国や韓国・朝鮮では、墓や陵墓を守護し、霊を鎮魂する「鎮魂獣」の一つとして、羊の石像が置かれるようです(注3)

また、この「天下大将軍」・「地下女将軍」の将軍像は、トーテム・ポールのようですが、韓国・朝鮮の村の守護神「ジャンスン」の伝統を伝えるもののようです(注4)

また、聖天院前の曼珠沙華とそこから眺めた秋の空の美しさは素敵でした。(続く)(記入者:亀さん)

(注1)渡来人は、初めに大和朝廷を支えた秦氏、漢氏、錦織氏などが渡来し、後に王仁系氏族、百済王系氏族、高(句)麗系氏族などが渡来してきました。なお、全国の「あずみ」・「あつみ」・「あたみ」という地名は渡来人の安曇族の移住地をあらわすなど、地名にも影響を与えています。(参考)高麗神社と渡来人:http://homepage3.nifty.com/basaranihonshi/basara17komajinja.htm

(注2)高麗山聖天院勝楽寺:http://www9.ocn.ne.jp/~shouden/

(注3)羊の石像:http://www15.plala.or.jp/timebox/top/07sinsi/fukuda/hituji/hituji-1.html

(注4)将軍像・ジャンスン:http://www.lifeinkorea.com/culture/changseung/Changseungj.cfm?xURL=meaning

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コメント

こんにちは、とて良い所ですね!
こういう所が好きですが、なかなか出かける
機会が無く、こちらで拝見でき嬉しく思います

>安曇野さんへ
このブログの(注1)は、安曇野さんをイメージして書きました。
信州の安曇野や滋賀県の安曇川や熱海、渥美半島は、渡来人の安曇族の住んだ所のようです。
「安曇野」さんに関係のある地域かも知れませんので、来年でも、巾着田の彼岸花の時期に行ってみてはどうですか?

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