地下鉄に乗って♪
我々が大学生になって広島から上京した約40年前には、地下鉄は大都会の特徴に思えた。僕が愛用していた地下鉄は、丸ノ内線と日比谷線である。もしかしたら、地下鉄は、その二つしか無かったかもしれない。僕の下宿は、東横線(日比谷線と繋がっている)の日吉と、中央線(丸の内線に繋がっている)の武蔵小金井の2か所であったが、日比谷の映画街や銀座などに行くには地下鉄に乗り継いで行くのが便利であった。
今でも覚えているけれど、丸ノ内線は冷房が無くて、夏になると中に風を入れるため窓を開けて地下のトンネルを疾走するのだが、その騒音は凄まじいものであった。吉田拓郎の初期の歌で「地下鉄に乗って」という曲があるが、♪(地下鉄がうるさくて)もっと大きな声で♪という一節があり、丸ノ内線の騒音を思い出させる。
一方、日比谷線は、如何にも東京のお洒落な街を走る路線であり、東京育ちの友達に連れられて六本木に飲みに行ったのも日比谷線である。聖心女子大がある広尾も日比谷線である。
いまは、半蔵門線、大江戸線、東西線、などなど地下鉄路線が増えて、東京を網の目のようにカバーしている。車がなくても、どこにでも移動できるのは、東京の特長かもしれない。
(INO記す)
■吉田拓郎の「地下鉄に乗って」ーー丸ノ内線
http://jp.youtube.com/watch?v=AeKY1_OfDJI&feature=related
■亀さんが愛用していた?国会議事堂駅でのスナップ
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コメント
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INOさん、我々が大学生当時は、他に、銀座線があり、東西線も一部が営業していました。また、卒業の頃、千代田線の一部も開通しました。
特に、銀座線(渋谷-浅草)は、戦前に出来た唯一の路線で、駅周辺の土地所有者から負担金を徴収して建設されたものです。三越は多額の負担金を払ったので、「三越前」という名前の駅があるんですよ。
吉田拓郎は、浪人当時高田馬場の予備校に通ったので、東西線の地下鉄だったかも知れませんよ。
投稿: 亀さん | 2008年9月11日 (木) 12:50
亀さん、コメント有難う。そう言えば、銀座線が有ったね。自分は使わなかったので忘れていました。
ところで拓郎の歌は、歌詞を聞けば判るけど、丸の内線は間違いないよ。
ino
投稿: ino | 2008年9月11日 (木) 20:38
INOさんへ
拓郎の東京での活動は新宿で始まっているので、そうかもね。
この曲が発表された1972年には東西線もあったよということなんです。また、拓郎が当時仲が良かった「かぐや姫」が同じころ早稲田大の裏を流れる「神田川」を歌にしているので、つい「そうかな」と思った次第で…。
投稿: 亀さん | 2008年9月12日 (金) 00:49