歴史と清流の「高麗の里」を散策(2)
―高麗神社と出世明神―
高麗神社は、高句麗国の元王族で渡来人の高麗王若光を祀る神社で、奈良時代の創建から1300年を数えます。
若光は高麗郡の郡司に任命され、郡内の開発に貢献しました。その遺徳を偲んで、郡民が「高麗明神」と崇め、以来、その直系が神社の宮司をつとめています。現在の高麗文康宮司は、若光から数えて60代目になります。
まず、韓国・朝鮮の伝統の将軍像が参拝者を迎えてくれますが、亀さんの目を引いたのは、二の鳥居の近くにある「参拝諸名士芳名」板と「出世明神の由来」の説明板です。この高麗神社に参拝した人は出世するということから「出世開運の神」として信仰されているようです。(もう少し早く知っていれば…。)
本殿やその前の社殿は厳かであり、参拝者への説明をする現宮司も好感の持てる好青年でした。
亀さんは、参拝の後、「出世開運」を願っているわけではありませんが、記念に、将軍像の描かれた開運の絵馬と交通安全のワッペンを買い求めました。
その後、歴代宮司の旧宅で、国指定の重要文化財の「高麗家住宅」を見物した。今から400年余前の桃山末期の住宅で、現在の住宅と異なり、大黒柱がないという特徴があるようです。その見物が終わり、帰ろうとしたところ、神楽殿で、「浦安の舞」を奉納されるというので、見ていくことにしました。4人の巫女が舞う巫女神楽で、なかなか可愛かったですよ。
それが終わり、JR高麗川駅までの道すがら渡った「出世橋」の下の高麗川の河原では、さっき高麗神社で出世を願った?子供たちが無邪気に遊んででいました。
駅までの途中の野々宮神社は、京都の野宮神社の分社ですが、その創建は高麗神社よりも古いとも…。また、この神社の獅子舞は、高麗神社の獅子舞などとともに市の文化財に指定され、境内の土俵も江戸時代からの由緒あるもののようでした。
以上が歴史散策の報告ですが、次回は、この散策で見た、秋の花などを報告します。(記入者:亀さん)
(注)高麗神社:http://www4.ocn.ne.jp/~fkoma/、http://homepage3.nifty.com/jh1eda/komajinnjya.html
(注)高麗家住宅:http://homepage3.nifty.com/jh1eda/komakejyuutaku.html
(注)日高市指定文化財(高麗神社・野々宮神社の獅子舞、野々宮神社の奉納相撲場など):http://www.city.hidaka.lg.jp/0902/bunkazai/itiran_city.html
最近のコメント