フォト

最近のトラックバック

無料ブログはココログ

« ミンミンゼミは元気・アブラゼミも登場! | トップページ | 都心の夏みかん・最終報告 »

2008年8月 6日 (水)

広島原爆の日、夾竹桃が咲く

  ―今年も8月6日がやってきました!―050814032 050814062 08080501 08080800

今日(8月6日)は、「広島原爆の日」です。米軍機により広島に原爆が落とされたあの日から、63年目になります。

昨年も、亀さんは、この日のことを記事にしましたが(注1)亀さんは、今日も例年通り8時15分に、原爆死没者慰霊碑の前で行われる「平和祈念式」にあわせて、黙祷をします。

慰霊碑の「安らかに眠ってください 過ちは繰り返しませぬから」という碑文(注2)については色々な論議がありますが、慰霊碑の石室には、被爆者であった亡き祖母や父などの名前も記帳された「原爆死没者名簿」が納められているのです。

そこで、亀さんとしては、原爆投下の責任が誰にあるのかを問うよりも、慰霊碑に向かって世界の平和を祈るのです。

また、夾竹桃の花が咲いていることで、戦後の日本の復興と平和を喜び、それが持続していくことを誓うのです。

夾竹桃の花は、原爆に被災し、「70年間草木も生えない」と言われた広島の焦土に、最初に咲いた花であり、広島県人にとって戦後復興の象徴なのです。また、原爆犠牲者への慰霊の意もこめて、広島市の花に選定されています(注3)

その紅白の花が今年も暑い夏の太陽の下で咲いています。

皆さんも、夾竹桃の花を見ながら、今日1日だけでも、世界の平和を祈ってください!

追記:NHKの平和祈念式中継を見ながら、夫婦で黙祷しました。広島は、あの日のように暑い日で、平和公園では夾竹桃が咲き、クマゼミがうるさく鳴いていました。(記入者:亀さん)

(注1)昨年8月7日の記事:http://dankai-hiroba.cocolog-nifty.com/blog/2007/08/post_9e4d.html

(注2)原爆死没者慰霊碑:http://www.pcf.city.hiroshima.jp/virtual/VirtualMuseum_j/tour/ireihi/tour_20.html

(注3)夾竹桃:http://www.kyouchikutou.jp/kyouchikutou.html

« ミンミンゼミは元気・アブラゼミも登場! | トップページ | 都心の夏みかん・最終報告 »

コメント

私は 戦後の生まれです。
でも 昭和20年8月6日8時15分
広島に原爆投下。
祖母に昔聞いた話ですが
倉橋の実家でも雷が落ちたような轟音が鳴り
広島方面にキノコ雲のような変わった雲が上がってたそうです。
原爆投下したB29の機長は「原爆投下は正解だった。このまま戦争がつずくともっと沢山の人が亡くなってた」と言ってました。

8時15分になると
どの会社も1分間の黙祷
広電の電車(チンチン電車)も車道で停まり乗務員、乗客も黙祷します。

戦って争うことはいやです。

明日は原爆の日ですね。
高校時代は平和公園から自転車で数分の所に下宿していました。8月6日の、その時間には、黙とうして犠牲者の為にお祈りしていました。 (INO)

ブラジルでも採り上げているみたいです。
O Globo Online :: Bomba Atômicaで検索するとでます。ブラジルには6人の生存者の方々がおられるようです。それぞれの方が体験談を語ってくれています(ポ語)。

今日は63年目の原爆の日ですね。

この日を何の日か知らない人が多いと聞き
悲しくなりますね。
今日は登校日で『平和集会』が行われました。

改めて『はだしのゲン』を読んでいる子供がいて
2度と起こってはいけない出来事と言っていました。
私も8時15分に黙祷しました。

夾竹桃がそのような花だと亀さんのブログを拝見した初めて知りました、どんな所にでもめげずに咲いていますよね、私も原爆には関係無いけど、戦争の被害者です、父は私が生まれた事も知りません、勿論私も父は写真でしか見たことは有りません、3歳の頃駅に父の遺骨を貰いに行く時、町の人たちが、道の両脇に沢山居た事は覚えて居ます、母の話で骨箱の中は木のかけらが入って居たそうです、

> IWATOさんへ
呉からもピカドンのキノコ雲が見えたそうです。
原爆を投下したエノラ・ゲイ(B-29)機の機長がそう言ったというのは、どうも事実と反するようで、後悔し、死んでも墓を作らせなかったようで、長崎の慰霊碑には行ったようです。
どうも、同機長を「英雄」にしておきたい人たちが原爆投下を正当化するために主張したことのようです。
原爆投下の責任は、個人ではなく、戦争をした日米の国家にあると亀さんは考えます。

>INOさんへ
INOさんは、S高校の校庭にも慰霊碑があったのを知っていますか?
講堂の隣りの池のほとりにありました。
8月6日の朝には、校長や有志の先生方と生徒会の役員とで、慰霊の式をしていました。
今もやっているようです。
http://www.shudo-h.ed.jp/diary/2007/0807.html

> サミット原子力安売り王さんへ
情報、有難うございます。
広島の原爆のことを「採り上げている」のでしょうか?
亀さんは、ポルトガル語が分かりませんが、被爆者は全世界におられるようです。

>福寿草。さんへ
広島県人でも、即答できない人がいるようです。
亀さんは、身内に被爆者が多いので、平和を祈り、反戦を誓いますが、昔、3つの非核団体が3つの平和集会を広島・長崎で開いていたことには反発を感じていました。(今はどうなっているか知りませんが…)
原爆の被害、被爆者の苦悩を深く考え、平和を祈って欲しいからです。

>みとちゃんへ
亀さんの父は、原爆投下の朝、広島に行く予定だったのですが、遅れて、命拾いしたそうですが、直後に、軍務で、広島に入り、2次被爆しました。
亀さんは、その後生れたので、被爆2世ということになります。
被爆者の祖母や父から聞いた話、原爆症の話を後世に伝えるべきかなあ…と最近考えるようになりました。

夾竹桃が広島市の花に制定されていることを初めて知りました。
可憐な花なのに、その生命力の強さを知り改めて感動しました。

私は戦後生まれですが、祖父母、両親が他界し、周りから戦争体験を持つ人たちがだんだんいなくなっています。
それだけに、我々世代が、親たちから伝え聞いたことを、若い世代にできるだけ語り継いでいかないといけませんね・・・。
平和は世界共通の祈りです。

> keikoさんへ
広島では、昔から夾竹桃の木が色々な家や公園に植えてありました。亀さんちの町内では2軒のお宅で植えているだけです。
亀さんは、最近まで、父親が被爆者で、自分が被爆2世であることを話さないようにしていました。
昔の偏見の記憶がある為です。
でも、被爆者の父や祖母などから聞いた話を次の世代に伝える勇気が必要かもしれないと最近思うようになりました。
ところで、苦手な阪神を3タテ。今日の勝ちは大きいですね!

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 広島原爆の日、夾竹桃が咲く:

« ミンミンゼミは元気・アブラゼミも登場! | トップページ | 都心の夏みかん・最終報告 »