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2008年8月

2008年8月31日 (日)

アケビの実は51個!

 ―三つ葉アケビ2個と五つ葉アケビ49個―08083003 08083001 08083002 08083004 08083005 08083006

(このブログの愛読者のubazakuraさんなどから、その後のアケビの生長を心配するコメントがありましたので、現状をご報告いたします。)

この夏は、前半が連日の猛暑、後半が繰り返すゲリラ豪雨と、異常続きですが、アケビは、写真のように、順調に生長しています。

今年は、アケビの開花からアケビの結実・生長まで、6回の報告をいたしました(注1)が、7月の報告後、豪雨・強風にも負けず、落果もなく、着実にその実は大きくなっています。

ただ、その果実の数を正確に数えたことがなかったので、この報告をするに際して、数えてみました。そして、驚きました。

今まで、その数は約30個ぐらいだろうと思っていたのですが、その数は51個だったのです。正確に言えば、三つ葉アケビが2箇所・2個、アケビ(五つ葉アケビ)が12箇所・49個です。

また、大きさは、5月にマッチ棒の頭ほどの大きさだったものが、最大のものが7.5cm(長さ)×4cm(直径)で、最小のものが4cm×2cmです。どちらかと言うと、三つ葉アケビの2個は大きく、五つ葉アケビは直径が2.5cm以下で小振りです。

ただし、三つ葉アケビは、1箇所当り1個ずつですが、五つ葉アケビは、1箇所当り8個~1個(平均4個)と沢山生っています。

去年の収穫が10月14日でした(注2)から、亀さんとしては、収穫の10月中旬まで、これらの実が台風などの天候や病虫害の攻撃に打ち勝って順調に生長してくれることを祈るばかりです。

なお、この報告のための写真撮影をしているときに、「アケビコノハ」(注3)というアケビの葉を食べるの幼虫を発見して、駆除しました。でも、なかなか可愛い毛虫でしたよ。(記入者:亀さん)

(写真順に)アケビの生育状況、最大の三つ葉アケビ、多少傷ついた三つ葉アケビ、1箇所で8個の五つ葉アケビ、一般的な五つ葉アケビ、アケビコノハの幼虫

(注1)「アケビの実は順調に育っています!」(08.07.06):http://dankai-hiroba.cocolog-nifty.com/blog/2008/07/post_7324.html、「三つ葉アケビにも実が・・・!!」(08.05.21):http://dankai-hiroba.cocolog-nifty.com/blog/2008/05/post_3f43.html、「今年もアケビの授粉、大成功!!」(08.05.04):http://dankai-hiroba.cocolog-nifty.com/blog/2008/05/post_b9f2.html、「我が家のアケビ&近所のトキワアケビ」(08.04.14):http://dankai-hiroba.cocolog-nifty.com/blog/2008/04/post_c570.html、「アケビの授粉をしました!」(08.04.06):http://dankai-hiroba.cocolog-nifty.com/blog/2008/04/post_cadf.html、「アケビの花の開花目前!!」(08.04.02):「http://dankai-hiroba.cocolog-nifty.com/blog/2008/04/post_181c.html

(注2)http://dankai-hiroba.cocolog-nifty.com/blog/2007/10/post_e801.html

(注3)http://www.jpmoth.org/Noctuidae/Calpinae/Eudocima_tyrannus.html

2008年8月30日 (土)

JR山手線の女性車掌さん!

 ―京浜東北線や武蔵野線はどうなのか?―080829011 080829022 08082903 08082904

昨日、大阪に帰る人の見送りで、東京駅に行きました。

見送る人は東海道新幹線に乗るのですが、在来線のホームで待合せをしたのですが、少し早く着きました。そして、やることも無いので、発着する山手線と京浜東北線の電車を漫然と眺めていました。

そこで、下らない発見をしました。

その間に、山手線、京浜東北線の電車がそれぞれ5本発着したのですが、山手線は5本中2本の電車の車掌さんが女性の車掌さんであったのに、京浜東北線は5本とも男性の車掌さんでした。

亀さんは、日常、地下鉄を利用し、休日等でも京浜東北線、武蔵野線や埼京線を利用することが多いのですが、女性の車掌さんを見かけたことがありません。また、山手線をあまり利用しないので、山手線でも女性の車掌さんに遭遇したことがありませんでした。

考えてみると、私鉄や新幹線では女性の車掌さんを見かけたことがあり、ニュースで新幹線の女性の運転手の誕生を知っており、現在は「男女雇用機会均等」の時代なので、「山手線の女性の車掌さん」は驚くことではありません。

しかし、JRの線区によって、女性車掌さんの比率に差がある(注)のは驚きです山手線に女性車掌さんが多いのは、山手線がJR東日本にとって最重要路線ということなんでしょうかね?

“京浜東北線や武蔵野線の電車の車掌さんも女性にした方がいいなあ!”と思う亀さんでした。(記入者:亀さん)

(注)インターネットで調べてみると、「京浜東北線には女性の車掌さんはいない」とか「宇都宮線で女性の車掌さんに遭った」とか「JR東海は女性車掌さんの採用に積極的である」との記述がありました。

2008年8月29日 (金)

時々豪雨・カミナリ。そして竜巻注意報!

    ―雨の合間の散歩で―08082801 08082802

27日は、久しぶりの青空となって、喜んでいたのですが、昨日(28日)は、転して、断続的な豪雨とカミナリの1日になりました。

「竜巻注意報」まで出ました。埼玉県では初めてのようです。でも、「積乱雲が近づく兆しがある場合には、頑丈な建物内に移動するなど、安全確保に努めてください」と言われてもね…。

今年の夏は、前半の猛暑・後半のゲリラ豪雨と、とにかく変ですね。

そのため、亀さんは、最近、運動不足気味です。

そこで、雨の合間に、近くの自然公園まで散歩に行きました。

この時期、公園には花が少なく、わずかに百日紅の花が咲くだけですが、公園の池には、ホテイアオイのうす紫色の花が満開です(注)

その池では、数人の人が釣り糸を垂れていました。こんな天気の日に釣りなんて、よほど釣り好きなんですね。

好天の休日には、家族連れや見沼散策の人たちで賑わう公園も、天気の悪い平日のこの日は、全体で10人程度の人しか居らず、静かな自然を味わえました。(記入者:亀さん)

(注)ホテイアオイの繁殖力が強いので、それが池全体に広がらないように、枠の中に入れて、繁殖防止策が講じられています。

2008年8月28日 (木)

秋の実りはもうじき…

    ―稲穂とクリの実と萩の花―08082701_2 08082711 08082712 08082713

昨日の「見沼通船堀」の「閘門開閉実演」の後、亀さんは、久しぶりの青空と見沼田んぼの自然を満喫するために、見沼代用水東縁を散策しながら、家に帰りました。

近くの水田の稲穂は、まだ緑色なのですが、すでに、頭を下げる状態で、栗林のクリの実は、大人のコブシほどの大きさに成長しています。

もうじき、「実りの秋だなあ!」と思っていると、周囲には、赤トンボが飛んでいます。(写真には、上手に撮れませんでした。)

また、見沼代用水の脇に、秋の代表的な花の萩が可愛い可愛い花を咲かせていました。(記入者:亀さん)

2008年8月27日 (水)

広島駅の氷柱

お盆に広島に行った時に広島駅で見つけた氷柱です。

実は、毎年の行事です。
今年は、如何にも夏らしくて良い感じです。思わず氷に触ってしまいましたが、良く見ると看板に「絶対に氷に触らないでください」と書いてありました。

(INO記す)

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江戸時代の運河・見沼通船堀

    ―閘門の開閉の実演―

国指定の史跡「見沼通船堀」については、このブログの昨年1月8日の記事(注)で紹介しましたが、今日(27日)、その通船堀の閘門(木製の関)の開閉実演がありました。

この通船堀は、太平洋とカリブ海をつなぐパナマ運河と同じ閘門式運河で、江戸時代の1731年に見沼地域と江戸をつなぐために、荒川(隅田川)の支川の芝川と見沼代用水との間に造られたものです。 我が国でも、高瀬川(京都) などとともに、古い時代のもので、国の史跡に指定されています。08082702_3 08082710_2 080827031080827042 08082705 08082706

見沼代用水と芝川の水位差が3mあります。

芝川からの船が一の関を通過すると、一の関の関枠に「角落板」(20cm)10枚入れて一の関・二の関間の水位を上げます。これによって、船は二の関を通過できるのです。(船が二の関を通過すると、二の関で一の関と同じ作業をして、見沼代用水と同じ水位を上げるのですが、その実演はありませんでした。)080827070808270808082709

船が見沼代用水から芝川に下るときは、これと逆で、「角落板」を外していくと、水位はどんどん下がり、芝川の水位と同じになります。

最後の写真を見ると、一の関のところに、水の痕跡がついており、水位差が分かります。

実演には、多くの人が見学に来ており、国指定史跡「見沼通船堀」の保存への理解が深まったのではないかと思いました。

昔の人の優れた知恵に感心した実演でした。(記入者:亀さん)

(注)07.01.08付の記事「見沼通船堀と飛行船」:http://dankai-hiroba.cocolog-nifty.com/blog/2007/01/post_cf7e.html

(参照)さいたまの歴史散歩「見沼通船堀」:http://homepage3.nifty.com/hoshino/Tsusenbori/Tsusenbori.html。「もぎたてさいたま情報」(8月13日):http://www.scvb.or.jp/mogitate/2008/08/tsusenbori08.html

2008年8月25日 (月)

チキンラーメン50周年!!

   ―亀さんの大学生時代の食生活―080825011_2 080825022 080825033

今日8月25日は、何の日?   亀さんの誕生日? そうです(注1)が、同時に、チキンラーメンの50周年だそうです。

チキンラーメンは、50年前の1958年(昭和33年)8月25日に発売されたのだそうです(注2)

この事実を近くのショッピングモールの看板で知った、亀さんは、早速、チキンラーメン(日清食品)を買い求めました。ついでに、「明星チャルメラ」(明星食品、1966年9月7日発売。注3)と「サッポロ一番」(サンヨー食品、1966年1月発売。注4)も買いました。

これらに加えて、日清食品の「出前一丁」(1968年発売)などの袋入りラーメンが、亀さんたちの大学生時代の代表的インスタント食品でした。また、貧乏学生には、ささやかな贅沢でした。

それまでのラーメンは棒状の乾麺とダシでしたが、「チキンラーメン」は、鍋で3分煮ればいいのです。これに、菜っ葉と卵(注5)を入れると最高ですが、金がないときは「チキンラーメン」だけ。その後、粉末スープなどを別にした「明星チャルメラ」や塩味・味噌味などのバリエーションを持った「さっぽろ一番」なども人気になりました。

いずれにしても、もっと手軽なカップめんの第1号の「カップヌードル」が発売されたのが1971年9月18日ですから、亀さんたちの学生時代には、袋入りラーメンがインスタント食品の代表格で、ずいぶんお世話になったものです。

袋入りラーメンは亀さんたちの中学生の頃から、カップめんは亀さんたちの社会人1年生の頃からの歴史があるんですね。そう考えると、感慨深いものがあります。(記入者:亀さん)

(注1)本当に亀さんの誕生日です。

(注2)日清食品のHP:http://www.nissinfoods.co.jp/

(注3)明星チャルメラ:http://www.myojofoods.co.jp/history/history_ff.html

(注4)サンヨー食品のHP:http://www.sanyofoods.co.jp/

(注5)麺のかたまりの真ん中に卵を落とすための凹みがある。

2008年8月24日 (日)

空中ジャンプをする子供たち

    ―高いなあ! 高さも値段も―080824011 080824022 080824033

今日、いつも行くショッピングモールではなく、少し離れたショッピングモールに行ったときのことです。

屋上駐車場(5階に相当)からエスカレーターで2階くらいまで降りてきたとき、小さな子供が宙を飛んでいます。高さは5メートル以上あります。

“何だ?”と思ったら、バンジーとトランポリンを組み合わせた「バンジートランポリン」というもので、ショッピングモールの吹き抜けのホールで、ショッピングモールのイベントとして開催されているものでした。

“なかなか勇気のある子供たちがいるんだなあ!”と思っていると、2、3歳の女の子も参加します。しかも、その女の子は、バンジートランポリンが始まっても恐がらないのです。係員さんは最初は2メートルくらいにしていましたが、最後の1回だけは4メートルくらいまで跳ばせてあげました。

“ショッピングモールのサービスとしては、中々のものだなあ!”と感心していたら、「1Try、1000円」なる立看板があります。また、「参加条件:12Kg~55Kg(2歳以上のお子様)」と「ジャンプゾーン」という会社(注)が11:00~20:00まで有料でやっていることの説明も出ていました。

跳び始めて跳び終わるまでわずかに2、3分程度(ヘルメットの装着時間を含まず)で1000円ですが、子供の人気は高く、順番待ちの列が出来ていました。

「跳ぶ高さ」も高いけど、子供の娯楽としては、「値段も高い」ような気がするが、若いお父さんやお母さんたちは、飛びたいという子供の希望の為に、喜んで予期せぬ出費をしていました。そして、(年齢制限で不可能ですが、)“自分も飛びたいなあ”というような顔つきで、自分の子供が跳ぶのを見上げていました。(記入者:亀さん)

(注)(有)ジャンプゾーンのHP:http://www.scjinc.com/jump/。バンジートランポリンの動画もあります。

2008年8月22日 (金)

中高生時代の通学手段と思い出

   ―大宮の鉄道博物館に行って―080819031 080819041 080819281 08081920 08081973 08081919

今週初め、孫を連れて、大宮(さいたま市)の「鉄道博物館」(注1)に行きました。JR東日本が創立20周年記念のメインプロジェクトとして建設し、昨年の10月に開館したもので、開館半年で100万人(休日1万人、平日4千人)の入場者を記録した、人気スポットです。

JRとニューシャトルを乗り継ぎ、10時の開館直前に到着すると、既に千人以上の行列が出来ていました。ただ、入場は、Suica(PASMO、ICOCA)が使えるので、スムーズでした。

博物館は、ヒステリーゾーンの実物展示やミニ列車運転・運転手ミレーターなどの体験ゾーン、模型鉄道ジオラマ、キッズコーナー、ミニシャトル列車などがありました。

本来は、孫のために行ったのですが、2歳の孫は、展示されている電車や機関車の実物に殆んど興味を示さず、キッズコーナーにある鉄道模型や模型鉄道ジオラマ(注2)に興味を示しました。

むしろ、亀さんにとっては、中高生時代に通学で乗った呉線の列車を牽引したC51蒸気機関車やキハ11形式の気動車(ディーゼルカー)、さらには、朝、通学途中でよく見たブルートレイン(特急「あさかぜ」)に遭遇して感激しました。(INOさん! INOさんの通学路線の山陽本線(注3)は、昭和37年の電化以降、湘南型電車(国鉄80系電車)でしたね。)

亀さんは、朝6時36分発の蒸気機関車牽引の列車に乗って、広島のS中・高に行き、広島発16時45分の気動車に乗って帰るのが、中高生6年間の日常でした。今は亡き初恋の人も同じ列車で広島の女子中・高に通っていました。(最初の頃は隣り合わせに立って、時々、数学を教えてあげるのが、亀さんの至福のときでしたが、大人に冷やかされて、別の車両に乗るようになりました。)

孫が模型に熱中する合間に、中高生時代の思い出に浸った亀さんでした。(記入者:亀さん)0808194416 0808194113 08081943152    08081978080819251080819711

(写真)上順に:ニューシャトル、鉄道博物館に入場する人の列、ヒステリーゾーン、C51蒸気機関車、キハ11形式の気動車、特急「あさかぜ」。下順に:模型鉄道ジオラマ(開始前・夕景・夜景)、一号機関車、弁慶号、ミニ運転列車「はやて」

(注1)鉄道博物館のHP:http://www.railway-museum.jp/top.html

(注2)日本一大きいHOゲージ模型鉄道ジオラマだそうです。

(注3)山陽本線には、「瀬野八」という急勾配があり、列車の最後尾に補助の機関車が連結され、後押ししていました。昭和37年の電化以降も、貨物列車は補助の電気機関車が後押ししていました。

(追記)シェリーさんのコメントで、貨物列車用のD51形蒸気機関車(デゴイチ)のことが書いてありました。そこで、D51の頭部(鉄道博物館では、入口正面に、その頭部が飾られているだけ)の写真を追加します。あわせて、「貴婦人」と称されているC57形蒸気機関車とブルートレインを牽引していたEF66形電気機関車の写真も追加します。08081906 08081914f 0808195257

2008年8月21日 (木)

霞ヶ関に子供が一杯!

    ―夏休みこども見学デーが実施―080821011 080821022 080821033 080821044

今週の水曜日と木曜日に、元の職場の会議に出席するために、霞ヶ関に行ったのですが、いつもと雰囲気が違います。いつもは見慣れない小さな子供とお母さん方の集団がたくさん、あちこちの役所の玄関先に集まっているのです。

その原因が分かったのは、元の職場に着いた時です。その日は、夏休みを利用した官庁の子供向けPRの「夏休みこども見学デー」で、各官庁が一斉に子供向けの広報行事をする日だったのです。官庁毎に趣向を凝らし、色々な企画をして、各官庁を回るとスタンプを押してもらえる「スタンプラリー」もされていました。子供の多くがリュックを担いでいて、1日がかりの様子です。

“官僚への風当たりが激しいこんな時期に、集まるんだろうか?”と、会議の合間に、その会場を覗いてみました。

各会場は、子供の興味を惹く企画で一杯のものから、広報側の自己満足に過ぎないと感じるものまで、色々ありました。そのため、人気には極端な差があり、ほとんど人のいないコーナーからたくさんの子供でごった返しているコーナーまでありました。

亀さんが廻った限りでは、人命救助・ロープ結びの講習(消防庁)や鉄道模型の走行(国交省)など、学校の勉強から離れたテーマに、子供の関心が集中していたようです。

どんな人たちが来ているのか”興味があったので尋ねてみると、“夏休みの自由研究を兼ねて子供の参加できる行事をインターネットで探して”とか“お父さんの仕事を子供に知ってもらうため”という答が返ってきました。

官僚の不祥事を発端とした官僚批判がありますが、このような行事を通じた、行政の役割の地道なPR・広報の必要性を感じました。(記入者:亀さん)

2008年8月18日 (月)

古代蓮・メダカのその後

    ―ハスの葉の上の水玉の造形美080817022_2 080817011 08081103

昨日は、関東地方は、前日からのゲリラ的な雷雨と北からの寒気の流入で、肌寒い天気でした。

お盆休みの帰省からの帰京の人たちにとって、ゲリラ的な豪雨は交通機関のダイヤの混乱で大変だったかもしれませんが、猛暑の連続で、辟易としていた亀さんにとっては、ホッとした気分でした。

大量な雨で、古代蓮を栽培している水槽から水が溢れているのではないか、心配になって、その水槽を覗いてみました。

10枚に増えた古代蓮の浮き葉の上には、ハスの葉の「撥水性」(注)により、色々な形の水玉が出来ていました。

とてもキレイな水玉で、雨の雫がハスの葉に落ちるに応じて、その大きさや形が時々刻々と変化していくのです。自然の造形美に感心するばかりです。

また、天気の良いときには元気にスイスイと泳いでいる、メダカたちは、雨をさけて?、ハスの葉の陰に隠れています。

ボウフラ発生防止対策の為に飼育を始めたメダカは、飼育開始直後に1匹が死んだ以外は、大変元気です。(ただし、ボウフラをあまり食べず、ボウフラ発生防止対策の効果が出ていないのは、困ったことです。)(記入者:亀さん)

(注)「撥水性」のあるハスの葉には、「ロータス効果」と呼ばれる、天然の自浄機構が備わっているようです。「ハスの葉はその微細構造と表面の化学的特性により、…葉の表面についた水は水銀のように丸まって水滴となり、泥や、小さい昆虫や、その他の異物を絡め取りながら転がり落ちる。この現象がロータス効果として知られる。」(Wikipediaの記事による)

2008年8月17日 (日)

新宿の目玉

新宿西口方面のスバルビルの歩道に面した壁には、巨大な目玉がある。昔は、写真雑誌の題材になったこともあるが、最近は珍しさも無くなったのか、写真で取り上げたのは見かけない。

我々が、大学生になって広島から上京したころは、新宿の都庁あたりは何もなくて、現在のように高層ビルが林立しておらず、スバルビルの目玉は良く目立っていた。いまも、目玉をカメラに撮ってみると、結構インパクトがある。私が、携帯電話カメラで撮っていたら、隣で東南アジア系の若い男女が記念写真を撮っていた。(INO記す)

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ツクツクボウシとガマの穂!

      ―自然界はもう秋!―08081501 080815062

本当に、毎日、猛暑が続いています。

今年は、猛暑の後のゲリラ的な雷雨が頻発しましたが、今日も、昼は猛暑で、夕方からは雷鳴と激しい雷雨、そして二度の停電でした。

今年の夏は、全体としては、例年にないほどの暑さの連続で、立秋を過ぎてからも、真夏のようです。

しかし、お盆が過ぎて、猛暑の中にも「秋」が見えてきました。

その一つは、8月上旬までは「ミンミンゼミ」が中心で、お盆近くになってからは、「アブラゼミ」の声も目立ってきていましたが、最近、秋の蝉の「ツクツクボウシ」が鳴きだしました。左の写真のように、アブラゼミとツクツクボウシが並んで鳴いています。

小さい頃は、「ツクツク、ボーシ」という声を聞くと、夏休みの宿題が気になりだしたものです。

また、亀さんちの近くの水路のふちに生えている「ガマ(蒲)」には、右の写真のように、秋の湿原の風物詩のガマの穂が出ています。生け花にも使えそうな立派なものです。

もう、自然界では、秋が来ているようですね。(記入者:亀さん)

追記:「蒲鉾」は当初は竹輪のことを指していたようで、その形がガマの穂に似ていたので、「蒲鉾」と名付けられたようです。

2008年8月16日 (土)

故郷の風景(お盆)

8月13日から15日まで故郷に行ってきた。猛暑の中でお墓参りもした。毎年のことであるが、父や祖父母が居るお墓に参るのは気持ちが良いものである。

いつも墓参りのあとは、神社にお参りをして帰るのが習慣である。神社は子供の頃の思い出が詰まった場所でもある。神社に接してグラウンド(野球など)があるが、丁度、グラウンドの真ん中に盆踊りの櫓を作っているところであった。今日(16日)は、ここで盆踊りが挙行されるはずである。子供のころは、グラウンドは戦争ゴッコや野球の場所であった。昔はプロ野球の広島カープと国鉄スワローズが戦ったこともある(勿論、カープを応援)。

写真が霞んでいるのは、お墓参りの際の汗がレンズに付いていたのを気が付かなかったためであるが、結果的に夢のような味も出ているかもしれない。(INO記す)

【写真説明】子供の頃遊んだ神社、酒の町なので酒樽が奉納されている。神社の参道。グランドに盆踊りの櫓を構築中。

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季節はずれのフジの花

   ―春に咲かずに今咲いている―08081502 08081504

亀さんちの近くの遊歩道に藤棚があります。この藤棚のフジは、4月20日付けの記事(注)で書いたように、この春は咲きませんでした。どうも、春先の剪定の際に、藤の花芽がいじめられた?のが、その原因ではないかと、亀さんは判断しています。

同日付けの記事で書いた、近所の2軒のお宅の藤棚のフジは、ソラマメのような豆をぶら下げているのに(写真右)春先に咲かなかった遊歩道の藤棚のフジが最近咲きだしました(写真左)

季節はずれの開花ですが、一生懸命に、種の保存の営みとして、今年の花を咲かせたのでしょう。

この遊歩道及び藤棚は市が管理しているのだと、亀さんは考えるのですが、春先の剪定の際には、春の開花の支障にならないような注意を払ってやってほしいと思いました。(記入者:亀さん)

(注)今年の4月20日付け「フジの花が咲き始めました!」:http://dankai-hiroba.cocolog-nifty.com/blog/2008/04/post_3778.html

2008年8月15日 (金)

20数年ぶりの花火

      ―娘家族の来訪で― 080814022 080814033 080814011

亀さんの家族では、子供たちが幼い頃に、家庭で、楽しんだことがありました。

しかし、そう言えば、それ以来20数年間、家庭で花火をしたことがありませんでした。

このお盆休みには、娘家族が亀さんちに滞在しています。

そこで、昨夜は、亀さん夫婦にとってただ1人の孫と一緒に、花火をして楽しみました。

実に、亀さんにとって20数年ぶりの花火で、わずか10数分の花火でしたが、孫よりも亀さんや奥さんの方が喜んでいました。(記入者:亀さん)

2008年8月14日 (木)

素敵な街灯、発見!

      ―3基の本物のガス灯―080813011 080813022 08081303

先日、元の職場の近くの銀行に行こうと、夏の炎天下の歩道を歩いていると、変わった街灯を発見しました。

周囲の歩道とは必ずしも調和していないのですが、あるビルの前に、3本の素敵な街灯があるんです。

近寄ってみると、そのビルには、「日本ガス協会ビルディング」と書いてあり、この街灯はこのビルの装飾の一つのようです。

そのビルに「ガス燈」の説明板が張ってあり、その街灯には、「ガス灯」という表示板が付けられていました。「ガス燈」の説明板によると、「明治5年(1872年)10月31日 横浜の馬車道 現在の本町通りに ガス燈が点灯され・・・これが我が国ガス事業の始まりです。・・・」と書いてあります。

つまり、この街灯は、我が国最初のガス灯を今から35年ほど前に復元したガス灯のようです。

そう言えば、5年ほど前に、横浜の馬車道は、本物のガス灯が復活整備され、より異国情緒あふれゆったりとした風景になったようです(注1)60基の街路灯・3箇所のアーチ・6基のモニュメントに合計81基のガス灯が連なり、壮観のようです(注2)

亀さんは、ガス灯のある町並みの写真を撮ってみようと、全国の本物のガス灯がどこにあるかガス協会のHPで調べてみる(注3)と、東京には大した数はなさそうです。(東京・銀座のガス灯通りの街灯は含まれておらず、どうもガス灯ではなさそうです。)

そこで、INOさん! 機会をみて、仕事帰りにでも、馬車道のガス灯の風景を撮って、記事をアップしてね!!(記入者:亀さん)

(注1)「横浜はじめて物語」第1回文明開化の象徴-ガス灯-/横浜ベイサイド・ウォッチ:http://www.yokohama-bayside.com/031003-2.html

(注2)ガス灯マップ:http://www4.famille.ne.jp/~tsuno-m/bashamichi/map/light-map.html

(注3)ガス燈のある街/日本ガス協会のHP:http://www.gas.or.jp/gasto/

2008年8月13日 (水)

オオバギボウシは今満開!

 ―山地の草原に咲くユリ科の可愛い花―08081105080811062 

亀さんちに今咲いている花の中に、今満開の花があります。

オオバギボウシです。ユリの花に似た可愛い花ですが、花の形の通り、ユリ科の植物です。

ツボミの形が、橋の欄干の擬宝珠(ネギ坊主に似た装飾)に似ているので、この名前が付けられています。

登山のときに、山地の草原で咲いている姿がきれいだったので、麓の農協の即売所で苗を買ってきて、栽培しているものです。

湿原の自生するコギボウシを含めギボウシの仲間は山菜として食べられますが、なかでも、オオバギボウシの若芽は美味しく、山菜としては「うるい」と呼ばれているようです(注)

夏の暑い最中、暑さに負けずに、白い可憐な花を咲かせています。ただ、「デイリリー」という英名があるように、花の寿命は短く、一日で萎んでしまいます。

可憐な花をご覧下さい。(記入者:亀さん)

(注)ただし、若葉が毒草のバイケイソウに似ているために誤食事故が多いので、注意を要するようです。

2008年8月12日 (火)

アゲハチョウの幼虫の災難

  ―大人と子供で差別をするな!?―08080501 07091659

今年は猛暑続きで、“あまり毛虫が発生しないなあ!”と思っていたら…。

発見! アゲハチョウの幼虫が一才ゆず(花柚子)の鉢植えに5匹もいるんです(写真左)亀さんは、キアゲハの幼虫だと思っていたのですが、図鑑(注)で調べると、ナミアゲハ(普通のアゲハチョウ・写真右)の幼虫です

そう言えば、最近、一才ゆずやクチナシの鉢植えにナミアゲハ・キアゲハ・クロアゲハ・アオスジアゲハなどのアゲハチョウがよく飛んできて、亀さんの奥さんは“きれいね!”とか“可愛いね!”と喜んでいたのです。

でも、虫嫌い奥さんは、ナミアゲハの幼虫を見た途端に、化け物にでも遭遇したように、「キャー!」とけたたましい悲鳴を上げます。

亀さんは、「あんたが可愛いって言っていたアゲハチョウの子供だよ!」と言いながらも、鉢植えの保護の為もあって、やむなく、割り箸でその幼虫を駆除して、鉢植えに防虫用農薬を散布することなりました。

同時に、アゲハチョウさんに、心の中で、“大人(成虫)と子供(幼虫)を差別するのは嫌だから、見沼田んぼなどの自然の中に産卵してね!”とお願いしました。記入者:亀さん)

(注)イモムシ・毛虫図鑑:http://www.h2.dion.ne.jp/~usako/index4.html

(注記)ナミアゲハがなかなか亀さんちの一才ゆず等の鉢植えにとまってくれず、写真に撮れないので、昨秋箱根の明神ヶ岳に登山したときの写真を使いました。

2008年8月11日 (月)

ヘクソカズラの悲しみ

  ―同じ「カズラ」という名前なのに…―08072602 08072601

この間、近所のお宅の塀から、橙色の可愛い花が垂れ下がっていました。写真に撮ってかえり、家で調べると、「ノウゼンカズラ」と分かりました(左の写真)

8月9日のINOさんの「近所の公園の花」(注1)の写真の花と同じ種類の花で、園芸種として最近人気がある花のようです。同じ町内でも、数軒のお宅が栽培されています。

一方、近所の道端の木からつる性の植物が垂れ下がり、周辺が白で芯の部分がアズキ色の可愛い花が咲いています(右の写真)この花の名前は、「ヘクソカズラ」という雑草です。葉や茎に悪臭があるので、この名前が付けられたようです。

同じ「○○カズラ」といいながら(注2)一方は人気園芸植物として持てはやされ、他方は「屁糞」とはあんまりではないか…!

悪臭といいますが、臭覚には個人差があり、一方的に「屁糞」と決め付けるのは、どうなんでしょうか? (例えば、同じ仲間(アカネ科)の「クチナシ」の花は、「香りがいい」といわれ、園芸植物として人気がありますが、「匂いがきつい」と感じる人がいるかもしれません。

さらに、同じアカネ科には、アカネ(染料の原料)、コーヒーノキ(コーヒー豆)、キナノキ(医薬品の原料)等があり、いずれも人間に役立っており、そのため、多くの人から愛されています。この「ヘクソカズラ」だって、その実が薬用にもなり、こんなに可愛い花なのに、ひどい名前を付けられ、人間から毛嫌いされるのは、あまりにも気の毒です。

昔、亀さんと同じように考えた人がいたようで、「サオトメバナ(早乙女花)」などという別名があるのは、せめての救いとなるでしょうか?(記入者:亀さん)

(注1)http://dankai-hiroba.cocolog-nifty.com/blog/2008/08/post_475b.html

(注2)つる性の植物なので、「カズラ」という名前が付いていますが、ノウゼンカズラはゴマノハグサ目ノウゼンカズラ科、ヘクソカズラはアカネ目アカネ科で、植物の分類上は、全く異なる種類のものです。

2008年8月10日 (日)

川口の「たたら祭り」に参加!

    ―たたら流し踊りを踊る!―080809063 080809134 080809101 080809112 080809123 080809071 080809082 080809093

9日、10日に第30回「たたら祭り」が開かれています(注1)「たたら」とは、鋳物造りに使用する道具(ふいご)のことです。
 「たたら祭り」は、オートレース場(注2)と市役所前通り周辺で行われ、各種イベント、特産品展示、植木市やたたら流し踊り、サンバフェスタ、花火大会等々、市民総出のお祭りです。特に、「たたら流し踊り」は繁華街のバス通りを交通止にして、「たたら音頭」(注3)に合わせて数千人の踊り子が一斉に踊ります。

町内会の役員さんから「町会で、たたら祭りで踊るんですが、一緒に行きませんか?」とお誘いがあったので、夫婦で参加することにしました。“少し踊って、他のイベントやも催し物などを覗けばいいや!”という軽い気持で…。

ところが、集合場所に行くと、少し雰囲気が違います。特製の赤いTシャツ(たたらんTシャツ)を与えられます。これが町内会のユニフォームで、これを着て、市役所通りで、「たたら流し踊り」を踊るというのです。亀さんは、一度も踊ったことがありませんでしたが、みんなは「前の人の通りに踊ればいいから…。」と。

参加者の待機場所の市民会館に着いてみると、各町内会(連合会)、学校、病院、企業、グループ毎にお揃いのユニホーム(ゆかた、法被、Tシャツなど)を着た集団が数千人集まっているのです。しかも、プログラムを見ると、宵祭りのメイン行事を初午太鼓→たたら流し踊り→サンバフェスタと位置づけています。

亀さんとしては、腹を括って踊るしかありませんでした。

開始時間までは、川口さくら太鼓などが演ずる「初午太鼓」を楽しみ、いよいよ「たたら流し踊り」の開始です。

亀さんは、最初は、上手な人の後に並ばせて貰い、その人の仕草を見てぎこちなく手足を動かしていました。次第に踊りの意味(注4)が理解できると同時に、誰も亀さんの踊りを見ていないことに気付き、最後の頃は、“たったら たたら たったら たたら”のリズムに乗って、楽しく手足を動かせていました。

余裕ができて周囲を見ると、市長や地元国会議員などの名士や小学生から高齢者までの幅広い年齢層の人たちが夏の夕べを楽しんでいます。

亀さんにとって、「たたら流し踊り」の参加は想定外のことでしたが、楽しい経験でした。参加の記念として、手拭を折ってつくった「ミニハッピ」を頂きました。

なお、残念なことに、帰りの貸切バスの都合で、「たたら流し踊り」の終了後の「サンバフェスタTATARA」を見ることは出来ませんでした。(記入者:亀さん)080809041 080809052 080809022 080809011  0808091508080914

(写真)上は「初午太鼓」の熱演と「たたら流し踊り」の様子・その参加者たち、下は「初午太鼓」・それに参加する子供たちの様子、たたらんTシャツ・ミニハッピ。

(注1)第30回「たたら祭り」のHP:http://www.cablenet.ne.jp/~tatara/亀さんの住む川口は、吉永小百合主演の映画“キューポラのある街”の舞台として有名な鋳物の町です。ただ、現在は、鋳物工場の移転やマンション開発や鋳造技術の変化等により、キューポラ(鋳物を溶かすコークス炉)は姿を消し、当時の面影はなくなっています。

(注2)このオートレース場には、元SMAPの森且行選手が所属しています。

(注3)正式には「川口市民まつりの歌・たたら踊り」(志賀大介/作詞 中村二大/作・編曲 阪堂香世子/歌)といい、15番まであります。:http://www.kawaguchicci.or.jp/net-monitor/03.09.11.htm#tatara

(注4)踊りの仕草の中に、鋳物を鋳造している作業(鎚を打つ作業)やたたらの炎の様子を取り入れているようです。

今年もうまトマハンバーグ

昨年7月に記事を書いた「うまトマハンバーグ」に、今年の7月から毎日10件くらいのアクセスがある。不思議に思っていたのだが、小生の自宅の某駅の傍にある「松屋」を通りかかって、理由が判明した。松屋が、再び「うまトマハンバーグ」を復活していたのである。さすがに、毎年復活するのでは説明がつかないと考えたのであろうが「夏の定番、うまトマハンバーグ」と書いてあった。ついに、夏の定番にしたらしい。まだ、今年は味見していないので、味見したら報告する。既に食された方があれば、コメントを頂くと嬉しいです。(INOより)

■松屋のHP: http://www.matsuyafoods.co.jp/index.pl5

■写真の説明: 自宅の街の松屋

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2008年8月 9日 (土)

残暑お見舞い申し上げます

夏は暑いのが夏らしくて良いですね。しかし、あまり暑いのもしんどいですね。外を10分歩いたら汗ビッショリの季節です。

先日、一番暑い日の一つに、ふと桜木町のランドマークを見上げたら、真っ青な空に強い光で「暑中(いまは、残暑)お見舞い申し上げます」と言いたくなる風景でした。 (INO記す)

P1001163_2全身から眩しいほどの色っぽさを発信しているキャンデーズの歌を聴きながら風景を味わって下さい。
http://jp.youtube.com/watch?v=XXWvbZXf5pw&feature=related

近所の公園の花(亀さん、名前教えて)

先週、気分転換に自宅の傍の公園に散歩した。余り期待していなかったが、意外にも心を和ませる花々があった。携帯電話で写真を撮ったけれど、名前が判らない珍しい花もあった。亀さん名前を教えて。 (INO記す)

P1001157 P1001159_2 P1001160_2 P1001161_2

2008年8月 8日 (金)

涼しさを求めて愛宕山へ!

    ―猛暑日! 暑い、暑い!― 08080801_2 08080802_2 08080803_2 08080804_2

今日は遂に東京も35℃以上の猛暑日。ジリジリした太陽光とアブラゼミの一斉の競演で、蒸し暑さはもはや極限状態。

そこで、亀さんは、涼を求めて、東京都区内で最も高い「愛宕山」(標高25.7m)に登ってきました(注1)

正面の約90段の急な階段(男坂)を登ると、すぐ山頂の愛宕神社(注2)です。都会の喧騒から一転して鬱蒼とした森です。神社の神門をくぐり、社殿で、参拝を済ませ、境内の「児盤水の滝」と名付けられた池のほとりで、暫しの時間、涼をとりました。

江戸の街の展望の名所であり、西郷隆盛と勝海舟が江戸無血開城の交渉を前に愛宕山に登り、江戸の街を眺めたと言われていますが、現在は、周辺のビル群の林立で、展望はあまりよくありません。ただ、こんな静寂な空間が大都会の東京に残されていることは貴重なことです。

亀さんは、この後に、愛宕神社境内にある「和食 T」で食事をしたいと思っていたのですが、まだ時間が早く準備中でした。「和食 T」は、ソムリエ・ワインタレントの田崎真也さんが東京の食材にこだわった創作料理を提供する店です(注3)今度来るときは、お昼頃に来て、「和食 T」で食事をして、NHKの放送博物館(注4)の見学もしたいと思います。

なお、下りは、愛宕隧道の隣りにはエレベータを利用しました。(記入者:亀さん) 08080805 08080806 08080807 08080808 08080809 08080810

(注1)愛宕山の山頂に登るためには、男坂と愛宕山を周回する坂道がありますが、実をいうと、愛宕隧道の隣りにはエレベータがあります。

(注2)愛宕神社:http://www.atago-jinja.com/

(注)和食 T てぃ:http://www.tasaki-shinya.com/restaurant/ts.html

(注)NHK放送博物館:http://www.nhk.or.jp/museum/

2008年8月 7日 (木)

都心の夏みかん・最終報告

  ―今年の夏みかんも青い実を!―08080403

都会のど真ん中のど根性夏みかんについて、今までに何度かご報告しました(注)が、今日は、その最終報告をいたします。

前回、去年の実がまだ頑張っていることを報告はしましたが、その時は、「今年の実がどうなっているのか」については、確認できませんでした。

今年の実を確認できない限り、この報告は完結できません!

そこで、先日、久しぶりに、夏みかんのその後を確認するために、東京・虎ノ門のコーヒーショップSB前の夏みかんの木のところへ行ってきました。

去年のだいだい色の実は、数が減ったものの、まだ頑張って枝にしがみついています。(シブトイと言うか、頑張り屋さんというか…。)しかし、今年の青い実が生っているはずなのですが、緑の葉っぱに紛れてなかなか見つかりません。

“まだ小さくて、見つけるのは無理かな?”と目を凝らしていると、ありました!! 小さいながら、かなり大きくなった青い実が6~7個が…。

“これが成長すれば、今年の夏みかんも無事出来る!”と確信でき、ホッと胸を撫で下ろした亀さんでした。また、都心の木々で、このように、毎年毎年、生の営みが繰り返していることが確認でき、安心しました。

以上、1つの開花から結実までを報告したことになりますので、今回の報告をもって、今年の最終報告とします。(亀さん)

(注)今年7月9日の記事:http://dankai-hiroba.cocolog-nifty.com/blog/2008/07/post_a08b.html、6月12日の記事:http://dankai-hiroba.cocolog-nifty.com/blog/2008/06/post_5fc1.html、5月16日の記事:http://dankai-hiroba.cocolog-nifty.com/blog/2008/05/post_0ebb.html、4月22日の記事:http://dankai-hiroba.cocolog-nifty.com/blog/2008/04/post_11ab.html

2008年8月 6日 (水)

広島原爆の日、夾竹桃が咲く

  ―今年も8月6日がやってきました!―050814032 050814062 08080501 08080800

今日(8月6日)は、「広島原爆の日」です。米軍機により広島に原爆が落とされたあの日から、63年目になります。

昨年も、亀さんは、この日のことを記事にしましたが(注1)亀さんは、今日も例年通り8時15分に、原爆死没者慰霊碑の前で行われる「平和祈念式」にあわせて、黙祷をします。

慰霊碑の「安らかに眠ってください 過ちは繰り返しませぬから」という碑文(注2)については色々な論議がありますが、慰霊碑の石室には、被爆者であった亡き祖母や父などの名前も記帳された「原爆死没者名簿」が納められているのです。

そこで、亀さんとしては、原爆投下の責任が誰にあるのかを問うよりも、慰霊碑に向かって世界の平和を祈るのです。

また、夾竹桃の花が咲いていることで、戦後の日本の復興と平和を喜び、それが持続していくことを誓うのです。

夾竹桃の花は、原爆に被災し、「70年間草木も生えない」と言われた広島の焦土に、最初に咲いた花であり、広島県人にとって戦後復興の象徴なのです。また、原爆犠牲者への慰霊の意もこめて、広島市の花に選定されています(注3)

その紅白の花が今年も暑い夏の太陽の下で咲いています。

皆さんも、夾竹桃の花を見ながら、今日1日だけでも、世界の平和を祈ってください!

追記:NHKの平和祈念式中継を見ながら、夫婦で黙祷しました。広島は、あの日のように暑い日で、平和公園では夾竹桃が咲き、クマゼミがうるさく鳴いていました。(記入者:亀さん)

(注1)昨年8月7日の記事:http://dankai-hiroba.cocolog-nifty.com/blog/2007/08/post_9e4d.html

(注2)原爆死没者慰霊碑:http://www.pcf.city.hiroshima.jp/virtual/VirtualMuseum_j/tour/ireihi/tour_20.html

(注3)夾竹桃:http://www.kyouchikutou.jp/kyouchikutou.html

2008年8月 5日 (火)

ミンミンゼミは元気・アブラゼミも登場!

―猛暑の中に秋の気配、そして激しい雷雨―08080402 08080401 080801082 080801161

ここのところ、うだるような猛暑が続き、昨日は、今年1番の暑さでした。しかも、湿度が高く、うだるほどです。

この中で、ミンミンゼミ、ニイニイゼミなどのセミたちが短い夏を精一杯生きています。今日、耳を澄ますと、その仲間にアブラゼミも加わっています。今までより木の下のほうで鳴いているので、写真によく撮れました。鳴き終わると、飛んで行ったり、枝を登っていったりしています。

アブラゼミとの今年の初遭遇は、衝撃的でした。“今年は、この暑さのためか?、遅れているなあ!”と思っていたら、先日の夕刻、寿司屋の店先で、今年初めて遭遇したのですが、無残にも、タイルの上に裏返しになっているのです。(ただし、“死んでいるのか?”と思って触ると、「ジー!」と鳴いて起き上がり、どこかに飛んでいきました。)

アブラゼミが出てきたということは、猛暑の中でも、そこまで秋がやってきているんだ(注)

と思っていたら、午後4時頃から雷鳴。そして、激しい雷雨・落雷・二度の停電。加えて、電車の大混乱、大雨洪水警報。午後11時でも遠くで雷が鳴っていました。

追記:今朝起きると、まだ雷鳴がしていました。もう半日以上です。異常気象であることは確かです!(記入者:亀さん)

(注)因みに、セミ(ミンミンゼミ、アブラゼミ)は晩夏の季語ですが、ヒグラシ(秋の蝉)やツクツクボウシは初秋の季語です

2008年8月 4日 (月)

NHKドラマ「帽子」を観て

    ―亀さんの故郷・呉市が舞台―080802071 080802082 080802093 080802101 080802112 080802123 080802134

8月6日の「広島原爆の日」(注1)が近づくと、毎年、「広島」や「原爆」をテーマにしたTVドラマの放映があります。

8月2日の夜、NHK総合で、亀さんの故郷・呉市を舞台にした、ドラマ「帽子」が放映されました(注2)1946年1月・呉市生れの池端俊策氏の脚本で、呉の帽子職人(高山春平:緒形拳)と「胎内被爆者」(注3)である女性(竹本世津:田中裕子)とその女性の実の息子(河原吾朗:玉山鉄二)を巡る物語です。

亀さんにとっては、故郷の呉市を舞台にしており(注4)、池端氏や世津が同世代であること「被爆者」をドラマの軸に据えていることから、親近感を持って、このドラマを観ました。因みに、亀さんは、父親が2次被爆者(注3)被爆2世ですが、同期生には、親友のS君のような胎内被爆者もいました。)

このドラマを観て感じたことは、大別して、次の二つです。

一つは、“亀さんの故郷・呉市は、素敵な風景・伝統があり、素晴らしい人たちがいること”。

もう一つは、“亀さんの故郷・呉市には、過酷な自然(坂や急傾斜地の多い街)があり、戦争や原爆に翻弄されつつ気丈に生きた人たちがいたこと”。

亀さんは、故郷の風景などを懐かしみつつ、平和に対する強い感慨を持ちながら、このドラマを観ました。

もし、このドラマを観ていない人が居られたら、多分再放送もされるでしょうから、その機会に観ることをお勧めします。(記入者:亀さん)

(注1)最近、「原爆記念日」とか「平和記念式典」と「記念」という文字を使うことがありますが、亀さんは、「原爆が落とされた日」は記念すべきものではなく、平和を「祈念」すべきものだと考え、「原爆の日」や「平和祈念式」の文字を使用します。

(注2)NHK広島開局80年ドラマ「帽子」:http://www.nhk.or.jp/hiroshima/eighty/boushi/

(注3)胎内被爆者:原爆投下時に、母親の胎内で被爆した人。2次被爆者:被爆者等の救援活動等で、原爆投下直後に被爆地に入り、被爆した人。

(注4)臨海部の工場地帯、三条通りや両城地区・両城中学や呉港は、懐かしい風景でした。

2008年8月 3日 (日)

不忍池の蓮

先日、所用があって、上野近くに行った際に、不忍池の蓮を見た。実は、家内と一緒だったが、家内が「不忍池に行ったら蓮があるわよ」と教えてくれたのだ。私が蓮に興味があることを知っている優しい家内である。

不忍池を見て吃驚した 池の表面が全く見えない、蓮の葉が猛々しいばかりに生い茂っていた。桃色の花も咲いていたけれど、午後になっていたので、少し蕾状であった。またもや、携帯電話カメラで撮ったので紹介したい。

蛇足かもしれないが、不忍池の360度パノラマ写真をインターネットで発見したので、ついでにアドレスを載せておく。桜の季節の写真で、蓮の生い茂った現在と同じ場所とは思えない。⇒ http://www.t3.rim.or.jp/~kuri/pano360/asp360_4.html

(INO記す)

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「崖の上のポニョ」を観ました!

 ―人間の尊厳・愛の大切さなどを感じる!―080802011_2080802066_2  080802022 080802033 080802055

ポーニョ ポーニョ ポニョ さかなの子♪ 青い海からやってきた♪・・・最近、テレビを見ていると、調子のいい歌が流れている。宮崎駿の原作・脚本・監督の長編アニメーション映画「崖の上のポニョ」の同名の主題歌です。亀さんも、ついつられて、「ポーニョ ポーニョ ポニョ♪」と口ずさんでいます。

そこで、昨夜、亀さんは、奥さんと一緒に、近くのシネマコンプレックスに映画「崖の上のポニョ」を観に行きました。さすがに、夏休み中とあって、2つの上映スクリーンで合計1日9回の上映でしたが、観客は一杯でした。

亀さんは、宮崎駿のアニメだから必ず観るというほどではないのですが、今回の作品は、「瀬戸内海沿岸の町」で育った亀さんにとっては、何となく惹きつけられるものがありました。

また、主題歌も8歳の女の子だけで歌う予定が、宮崎監督の感性で、団塊の世代の54歳の2人のオヤジが途中で加わったというニュース(注1)を聞いていたので、「団塊の広場」の亀さんとしては、観ないわけには行きませんでした。

声優には、主人公のポニョと宗介などに有能な子役を使うほかに、山口智子、長嶋一茂、所ジョージ、天海祐希、吉行和子、奈良岡朋子、左時枝さんなどの豪華メンバーで、加えて、ポニョのいもうと達にはシンガーソングライター&ピアニストの矢野顕子さんまで使われていました。

内容的には、パンフレットには、「少年と少女、愛と責任、海と生命。神経症と不安の時代に、宮崎駿がためらわずに描く、母と子の物語。」と書かれていますが、亀さんは、なかでも、人間の尊厳・人間に生れたしあわせさとか、真実の愛(注2)とかを強く感じました。

また、最近のアニメ映画に多用されるCGを使っていないことで、昔のアニメ映画の持っていた暖かさを感じることができました。

なお、観客の殆んどは子供連れの家族、子供達の集団、若いカップルで、孫と一緒でない年配者は亀さん夫婦だけでしたが、このアニメは大人が見てもいい作品でした。

また、後で調べると、宮崎監督は、この作品の構想を瀬戸内海沿岸の福山市鞆の浦の知人の家で練り、この作品の舞台も鞆の浦であるらしいことが分かりました(注3)瀬戸内育ちの亀さんの感性に対してこのアニメが何か訴えるものがある理由が分かりました。(記入者:亀さん)

(注1)2008年1月16日  読売新聞:http://www.yomiuri.co.jp/entertainment/ghibli/cnt_interview_20080116.htm

(注2)「ポニョがお魚であったことを知っていますか?ポニョの正体が半魚人でもいいですか?」というポニョの母(海なる母)に言われて、宗介はうなずき、ポニョは人間になる。(そうでないと、ポニョは泡になるところだった。)

(注3)http://swan.srv7.biz/http://washimo-web.jp/Trip/Tomonoura/tomonoura.htm

2008年8月 2日 (土)

吉田拓郎の母校で歌碑の除幕式(8月2日)

8月2日に広島修道大学で、吉田拓郎の歌碑「今日までそして明日(あした)から」の除幕式があった。
偉大なフォーク歌手であり、我らが団塊世代の仲間であり、また同郷である吉田拓郎にお祝いの拍手を贈ろう。以下にニュースを転載する。(INO記す)

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2008/08/02 16:07   【共同通信】

歌碑の序幕を終え、花束を振って歓声に応える

フォーク歌手の吉田拓郎さん
=2日、広島市安佐南区の広島修道大学
拓郎さんの母校に歌碑「お帰り」800人合唱

 フォーク歌手吉田拓郎さん(62)の初期の作品「今日までそして明日(あした)から」の歌碑が母校の広島修道大(広島市安佐南区)に建てられ、吉田さんが参加して2日、除幕式が開かれた。

 全国から駆けつけたファンら約800人が参加。吉田さんが登場すると、大きな拍手とともに「タクロー」「お帰りー」と歓声が上がった。吉田さんは「みんな元気でいてください」と答え、渡された花束を振った。

 歌碑は幅3・2メートル、高さ90センチのステンレス製で、2年後の開校50周年を記念した。往年の吉田さんの写真を背景に「わたしは今日まで生きてみました」で始まる歌詞が記されている。タイトルとサインは本人の直筆。曲は吉田さんが広島修道大の前身の広島商科大在学中に作った。

 吉田さんはスケジュールの都合で除幕後会場を後にしたが、残ったファン全員で合唱した。

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桜木町の花火大会(8月1日)

昨晩、仕事をしていたら、ズドーンという腹に響く重低音が何度も響いた。桜木町の花火大会が始まったのである。仕事を早々に切り上げて、桜木町駅前の広場に出ると、道一杯の人波である。機動隊の方たちが声を枯らして、人波を誘導している。

夜空には、ドドーンと大輪の花火が咲いている。車道が、大型歩道に化けていて、所々に立ち止って花火を見ても良いエリアが作ってある。老若男女が座ったり立ったりして、夜空を見上げていた。勿論、若いカップルも多くみられた(少し羨ましい)。小生も、人波の中に紛れて、暫し花火を楽しんだ。(INO記す)

<写真説明>最初の2枚は、小生の携帯電話カメラ、3枚目(最も美しかった花火)は神奈川新聞HPより。最後の1枚は先日写した「みなとみらい方面」を望んだ夜景であるが、花火の位置の参考になる。

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2008年8月 1日 (金)

ホテイアオイの花・蓮の浮き葉

  ―メダカの飼育で蚊の発生防止対策!―080801022080801044 080801051 080801212

亀さんは、今、玄関先で、水生植物のホテイアオイと古代蓮を栽培しています。

今朝起きてみると、ホテイアオイの花が今にも咲きそうでした(写真上段左)。午後、用事を済ませて帰宅すると、そのホテイアオイは、紫色のきれいな花を満開にしていました(写真上段右)

昔から馴染みの水草(注1)で、ホテイアオイの浮き袋が布袋様のおなかに似ているので、この名が付けられたようです。金魚などを飼育するときには、よく一緒に金魚鉢に入れていました。

でも、亀さんは最近知ったのですが、外来植物で、自然環境保全の観点からは 「世界の外来侵入種ワースト100」(注2)に選ばれている、実に困った害草のようです。

その隣りで育てている古代蓮(大賀蓮)は、「古代蓮の里」で買ったものですが(注3)、その後順調に成長して、浮き葉(注4)が6枚となりました(写真下段左)

しかし、困ったことに、ハスの水槽に蚊の幼虫のボウフラが大量に発生してしまいました。放っておくと、蚊の大量発生です。

そこで、亀さんは、近くの店でヒメダカ10匹を買ってきて、ハスの水槽で飼うことにしました(写真下段右)。メダカがボウフラを食べてくれることを期待して…。(記入者:亀さん)

(注1)「ホテイアオイ」という名前ですが、「アオイ」の仲間(タチアオイ、フヨウ、ハイビスカスなど)ではなく、ユリの仲間(ミズアオイ科)です。

(注2)http://www.iucn.jp/protection/species/worst100.htmlhttp://www.nacsj.or.jp/old_database/gairaishu/gairaishu-010701-no458iucn.html

(注3)http://dankai-hiroba.cocolog-nifty.com/blog/2008/07/post_9c98.htmlhttp://dankai-hiroba.cocolog-nifty.com/blog/2008/07/post_fec7.html

(注4)ハスは、浮き葉の発芽→立ち葉・花芽の発生→水面より上に開花の順に成長するが、スイレンは浮き葉→水面で開花するようです。http://www.d5.dion.ne.jp/~dajare/soui%20.html

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