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2008年4月25日 (金)

霞が関ビルは40周年!

 ―日本の高度経済成長のシンボル―080420151_3   080420162_2 080420173_2

先日、東京メトロ虎ノ門駅の出口に「霞が関ビルディング40周年。」の三枚のポスターが掲示してありました(上の写真)霞が関ビルは、先日、40歳の誕生日を迎えたのです。

これを知って、亀さんは、感慨深いものがありました。

霞が関ビルがオープンしたのは、亀さんが大学生であった1968年(昭和43年)4月18日でした。

思い起こすと、亀さんが高校生のとき(1964年)に東京オリンピックがあり、これにあわせて、首都高速道路が整備され、オリンピック直前に東海道新幹線が開業しました。

大学生になって東京に来て見ると、銀座こそきらびやかな「東京」でしたが、新宿、渋谷、池袋、新橋などは戦後の闇市の残滓を残していました。特に新宿西口は(淀橋)浄水場の跡地で何もありませんでしたし、国道246号(青山通り)にはほとんど車も走っておらず、一番大きなビルは輸入食材・スーパーの「紀ノ国屋」のビル(多分2階建?)だったのです。(因みに、1962年までは、日本では、建築物については高さ31m制限がありました。)

このように、「東京オリンピック」の成功で、日本は「先進国の仲間入り」と言われていましたが、都市整備という点では、まだまだ戦後からは脱し切れていませんでした。

その後、高速道路も、名神・東名の都市間高速道路の整備が進み、都市内でも、建築物の整備が進んで、ついに地上36階、地下3階、高さ147mの「霞が関ビル」が完成するのです。

翌年には、この「霞が関ビル」の建築をテーマにした映画「超高層のあけぼの」東映配給、出演:池部良、木村功、新珠三千代、佐久間良子、田村正和など。注1)も全国の劇場で公開されました。

亀さんは、苦学生でしたが、高い入場料を払って、「霞が関ビル」の36階にあった展望台に昇り、下を歩く人や車が蟻や模型のように小さいことに感動し(注2)、また、映画を見て、日本の技術力の素晴らしさに感激したことを今でもはっきりと覚えています。

今でこそ、多くの超高層ビルの1つにしか過ぎず、他のビル群の中に埋没しそうな「霞が関ビル」ですが(注3)当時は、日本の経済発展の象徴として仰ぎ見ていたことを今でも思い出し、このビルが日本の経済成長と共に歩んだ40年間に色々な感慨にひたる亀さんでした。(記入者:亀さん)0804201808042201

(注1)http://www.kajima.co.jp/news/digest/jan_2005/kajimakiko/kiko.htmhttp://home.f05.itscom.net/kota2/jmov/2002_03/020302.html

(注2)亀さんの記憶違いでなければ、今のように沢山の超高層ビルの時代では考えられないことですが、「その展望台から皇居を見下ろすのは失礼(不敬)である」との声があって、皇居側は見られないようにしてあったと記憶しています。

(注3)昨年10月9日付け「霞が関ビルが3本になったか?」:http://dankai-hiroba.cocolog-nifty.com/blog/2007/10/post_f7e4.html

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コメント

遅ればせながら、亀さん、退院おめでとうございます。

東京というとすべてが大都会というイメージですが、そんな時代もあったのですね。
現在の東京からは想像できません。

先日亀さんがご紹介してくださった「あの空をおぼえてる」を私のつたないブログで紹介させていただきました。(事後承諾で、すみません。)
良質の本をご紹介いただき、ありがとうございました。

> ubazakuraさんへ
ご紹介をいただき、有難うございます。
今後も亀さんたちのブログをご愛読下さいますよう、お願い申し上げます。
ところで、東京も40年前は「田舎の集合体」という感じで、むしろ、当時は緑の無い大阪の方が都会らしかったように感じました。

亀さん、我々が広島に居る頃(小中高)は、東京はいまの日本からパリに行くほどの距離感があったと思います。まさに、花の都、東京といった感覚です。霞が関ビルは、少し後の建築かもしれませんが、花の都の象徴の一つだったと思います。
(INOより)

>INOさんへ
それはあります。東京への憧れがありました。
修学旅行で東京に来たとき、「東京の中心の銀座を見ないと…」と言って、クラスの仲間と一緒に、宿泊先の駿河台のホテルから銀座まで、学生服・ズック靴のいでたちで、歩いて銀座まで(後で分かったことですが、実はその手前の京橋まで)行ったことを思い出します。
(途中疲れて東京駅で休んでいると、家出少年と間違えられそうになったことも…。)

私も亀さん達と同じ思いで『花の東京』を
修学旅行で行った時 銀座にいきましたよcoldsweats01
でも時代は少し後ですが。。。

東京オリンピックも小学生でした。

その後 横浜でOL時代に銀座が歩行者天国になり
マックが出来て和光堂の前で写真を撮らせてと言われ送り先を福岡の住所を教えた初心な頃が。。。

>福寿草。さんへ
「写真撮らせて」って、福寿草。さんも周囲で目立つほど素敵だったんだ! えっ、それってナンパじゃない?
ただただ真面目な仕事人間の亀さんには、そんな青春がなく、合コンもナンパも関係なく、飲んだり遊んだりするのも、職場の同期生(男性のみ)とだけでした。(サビシ~イ!)

亀さん
あの頃はナンパなんてなかったですね。
ただカメラが好きで被写体を探している若者が
多かったです。
でも福岡に送られた写真にはお礼だけで
住所も名前もありませんでした。
今は有名なカメラマンになっていたりして。。。

> 福寿草。さんへ
住所・名前なしで礼状と写真だけ送ってくるとは、純粋に写真撮影を趣味にする人でしたか。カメラを仕事上の付き合いの道具として始めた亀さんとしては、純粋なカメラ愛好家の心理は分かりにくいんですよ。
でも、可愛い人やきれいな人でないと、被写体にはしないと思いますので、 福寿草。さんはきっと…。(少しクドイかな?)

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