霞ヶ関・丸の内の文化財探訪・第7回
―これが文化財?金刀比羅宮と大倉集古館―
27日の霞ヶ関・丸の内の文化財探訪ウォーク第7回は、虎ノ門方面にしました。
まず、地下鉄虎ノ門駅近くには、都の選定歴史的建造物に選定されている「金刀比羅宮」(注1)があります。
この神社は、万治3年(1660年)、讃岐丸亀藩主が讃岐の金刀比羅権現を江戸藩邸に屋敷社として勧請したものです(注2)が、その建物自体は第二次世界大戦で焼けたため、現在の権現造りの拝殿・幣殿は、1951年(昭和26年)に再建されたもので、決して古いものではありません。また、この神社の境内には、この神社の景観と似つかわしくない地上26階の虎ノ門琴平タワーというオフィスビルが建設されています。
したがって、今となっては、建物自体も神社の雰囲気も文化財とか歴史的建造物といった雰囲気ではありません。
ただ、オフィス街の中にあるために、会社の行き帰りに参拝するサラリーマンやOLが多いようです。また、この境内が禁煙のオフィスから避難してくる喫煙族のたまり場・交流の場となっているのは、皮肉なことと言えましょう。
この金刀比羅宮から少し歩くと、ホテルオークラがあり、その敷地内には、国の登録有形文化財の「大倉集古館(陳列館)」があります。
この建物は、大倉財閥の総帥・大倉喜八郎の本邸に1917年(大正6年)設けられた我が国初の私設美術館です。現在の建物は、当初の建物が関東大震災で倒壊した後、1927年(昭和2年)に耐震耐火設計で再建されたものです。
1998年(平成10年)に国の登録有形文化財として登録されていますが、その登録理由は、「造形の規範となっているもの」とされ、「伊東忠太の設計によるもので、伊東忠太の東洋建築に関する蘊蓄を披瀝した作品」と解説されています。
しかし、寺院建築の大家の伊東忠太の代表的な作品であるにしても、昨日紹介した「堀商店」のように、その時代性(その時代の流行)を表しているものではないだけに、これがなぜ国の文化財なのか、亀さんとしては疑問がないわけではありません。
(なお、虎ノ門の金刀比羅宮も伊東忠太の作品のようですが、亀さんはこの建築家に対して何らかの感情があるわけではありません。)
以上で、虎ノ門方面の文化財探訪ウォークの感想とします。また、今まで、7回の文化財探訪ウォークを報告しましたが、亀さんの職場から昼休みに行ける所が少なくなりましたので、当面、文化財探訪ウォークの定期的な報告は、今回で終了したいと思います。お付き合いいただき感謝します。(記入者:亀さん)
(注1)「こんぴらぐう」は、古くは「琴平社」と称され、通常、「金比羅宮」と表記することが多いのですが、虎ノ門の「こんぴらぐう」は「宗教法人 金刀比羅宮」と表記されており、四国の「こんぴらぐう」も「(讃岐)金刀比羅宮」と言います。(http://www.konpira.or.jp/menu/master/menu.html)
(注2)この神社は、江戸城裏鬼門の位置にあり、江戸城の鬼門除けの神としても鎮座していました。以来、虎ノ門琴平大権現と称えられ、五穀豊穣、豊漁満帆、海陸安穏、万民太平の御神徳が広まり、東国名社の一つとして信仰を集めていたようです。
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