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2008年2月

2008年2月29日 (金)

霞ヶ関・丸の内の文化財探訪・第7回

―これが文化財?金刀比羅宮と大倉集古館―080227011  080227022 080227033 08022501
27日の霞ヶ関・丸の内の文化財探訪ウォーク第7回は、虎ノ門方面にしました。

まず、地下鉄虎ノ門駅近くには、都の選定歴史的建造物に選定されている「金刀比羅宮
(注1)があります。
この神社は、万治3年(1660年)、讃岐丸亀藩主が讃岐の金刀比羅権現を江戸藩邸に屋敷社として勧請したものです(注2)が、その建物自体は第二次世界大戦で焼けたため、現在の権現造りの拝殿・幣殿は、1951年(昭和26年)に再建されたもので、決して古いものではありません。また、この神社の境内には、この神社の景観と似つかわしくない地上26階の虎ノ門琴平タワーというオフィスビルが建設されています。
したがって、今となっては、建物自体も神社の雰囲気も文化財とか歴史的建造物といった雰囲気ではありません。
ただ、オフィス街の中にあるために、会社の行き帰りに参拝するサラリーマンやOLが多いようです。また、この境内が禁煙のオフィスから避難してくる喫煙族のたまり場・交流の場となっているのは、皮肉なことと言えましょう。

この
金刀比羅宮から少し歩くと、ホテルオークラがあり、その敷地内には、国の登録有形文化財の「大倉集古館(陳列館)」があります。
この建物は、大倉財閥の総帥・大倉喜八郎の本邸に
1917年(大正6年)設けられた我が国初の私設美術館です。現在の建物は、当初の建物が関東大震災で倒壊した後、1927年(昭和2年)に耐震耐火設計で再建されたものです。
1998年(平成10年)に国の登録有形文化財として登録されていますが、その登録理由は、「造形の規範となっているもの」とされ、「伊東忠太の設計によるもので、伊東忠太の東洋建築に関する蘊蓄を披瀝した作品」と解説されています。
しかし、寺院建築の大家の伊東忠太の代表的な作品であるにしても、昨日紹介した「堀商店」のように、
その時代性(その時代の流行)を表しているものではないだけに、これがなぜ国の文化財なのか、亀さんとしては疑問がないわけではありません。
(なお、虎ノ門の
金刀比羅宮も伊東忠太の作品のようですが、亀さんはこの建築家に対して何らかの感情があるわけではありません。)

以上で、虎ノ門方面の文化財探訪ウォークの感想とします。また、今まで、7回の文化財探訪ウォークを報告しましたが、亀さんの職場から昼休みに行ける所が少なくなりましたので、当面、文化財探訪ウォークの定期的な報告は、今回で終了したいと思います。お付き合いいただき感謝します。(記入者:亀さん)

(注1)「こんぴらぐう」は、古くは「琴平社」と称され、通常、「金比羅宮」と表記することが多いのですが、虎ノ門の「こんぴらぐう」は「宗教法人 金刀比羅宮」と表記されており、四国の「こんぴらぐう」も「(讃岐)金刀比羅宮」と言います。(http://www.konpira.or.jp/menu/master/menu.html
(注2)この神社は、江戸城裏鬼門の位置にあり、江戸城の鬼門除けの神としても鎮座していました。以来、虎ノ門琴平大権現と称えられ、五穀豊穣、豊漁満帆、海陸安穏、万民太平の御神徳が広まり、東国名社の一つとして信仰を集めていたようです。

2008年2月28日 (木)

霞ヶ関・丸の内の文化財探訪・第6回

  ―個人商店が文化財とは珍しい!080226011 080226022
26日の霞ヶ関・丸の内の文化財探訪ウォーク第6回は、新橋方面でした。

今までの文化財探訪は、公的な建築物や大企業所有の建築物でしたが、調べてみると、国の重要文化財等の中には、個人所有で大企業所有以外のものも結構あります。
しかし、それらの殆どは、江戸時代や明治時代の○○家住宅とか○○邸で、その多くは公的団体が保存管理をしています。
ところが、
新橋の建築建具の「堀商店」のビルは、個人所有である昭和初期の近代建築物として、現在使用中のまま、国の文化財となっており、珍しいケースだと思います。

そこで、亀さんは、新橋の「堀商店」に行くことにしました。そのビルは、亀さんたちが時々飲みに行く赤レンガ通りと外堀通りとの交差点にある鉄筋4階建ての小さな古いビルですが、周囲のビルが高層化し、建て替わるなかで、独り頑張って存在感を撒き散らしており、亀さんも気にはなっていました。しかし、文化財の表示もないので、文化財であることは知りませんでした。
このビルは、
1932年(昭和7年)に建築されたものですが、壁面に当時流行したスクラッチタイルが貼られ、錠をモチーフにしたレリーフ、入り口回りや扉の意匠、床のモザイクタイル、階段室の大理石の手すりなど、その時代を感じさせるものが随所にあります。国の登録有形文化財の登録理由が「造形の規範となっているもの」となっているのが納得できます。是非、一度、中まで入って見ておくといいでしょう。

亀さんは、帰りは、日比谷公園に寄り、都の選定歴史的建造物に選定されている「市政会館・日比谷公会堂」の写真を撮りました。
この建物は、東大の安田講堂と同様、安田財閥の安田善次郎の寄付を受け、当時としては珍しく、著名な建築家8名による「設計コンペ」を実施して、建設されたものです。
本格的ホールを備えた施設としては我が国初の施設であり、1929年(昭和4年)に竣工しました。
亀さんが若い頃には、大きな講演会や音楽会は大体が日比谷公会堂で行われ、亀さんが学生時代に好きな女性と音楽会に行ったのもこの公会堂でした。(もっとも、その女性には結局振られましたが…。)
そんなほろ苦いことも思い出しながら公園を歩いていると、公園には紅梅や黄色いマンサクやダンコウバイ(サンシュユかも)が咲いていました。春間近ですね。(記入者:亀さん)08022603 08022604 08022605 08022606

2008年2月27日 (水)

霞ヶ関・丸の内の文化財探訪・第5回

―簡素で威厳のある旧近衛師団司令部庁舎―080224011 080224022
一昨日(25日)の霞ヶ関・丸の内の文化財探訪ウォーク第5回は、北の丸公園の南端にある国の重要文化財の旧近衛師団司令部庁舎です。この建物は、現在、東京国立近代美術館工芸館に利用され、明治以降の国内外の工芸・デザイン作品の収集・展示が行われています。
この建物は、1910年(明治43年)に、近衛師団指令部庁舎として建築されたもので、2階建煉瓦造で、正面中央の玄関部に小さな八角形の塔屋をのせ、両翼部に張り出しのある簡素なゴシック様式の建物です。
丸の内や霞ヶ関の明治洋風煉瓦造の建物が急速に消滅するなかで、官庁建築の様相をよく残し、また、日本人の官庁技術者が設計した現存する数少ない遺構として、1972年(昭和47年)に、その外壁・玄関・階段ホールが国の重要文化財に指定されています。
亀さんも、車で近くを通るときに「素敵な建物だなあ~。」とは感じていましたが、行ったことがありませんでした。
一昨日は残念ながら休館日(月曜日)で、構内に入れず、また、植栽の剪定工事などが行われていたので、いい写真が撮れませんでしたが、この簡素ではあるが威厳のある建物に見とれていました。
その後、1930年(昭和5年)に建築された英国大使館服部半蔵に由来する半蔵門(注)の写真を撮りながら、歩いて職場まで帰りましたが、皇居のお濠をわたる風からは「春が近い」ことが感じられました。(記入者:亀さん)
(注)天皇や各皇族の、皇居への日常の出入りには、二重橋のところにある「皇居正門」ではなく、主にこの門が用いられています。当然一般人の通行は認められていません。08022403 08022404 08022405 08022406

(写真上)東京国立近代美術館工芸館(旧近衛師団司令部庁舎)、(写真下、順に)英国大使館、半蔵門、桜田濠からの官庁街、桜田濠からの桜田門・丸の内ビル群

2008年2月26日 (火)

霞ヶ関・丸の内の文化財探訪・第4回

―第一生命館・農林中金(DNタワー21)―08022001 08022002 08022003 08022004

霞ヶ関・丸の内の文化財探訪の第4回目は、日比谷のDNタワー21です。

この建物は、実に妙な建物です!

つまり、DNビルの前面(写真上左)と裏側(写真下右)と真ん中(写真下左)では、まるで異なるビルなのです。国道1号線(皇居)の方から見ると、古典的ですがすっきりした角型の列柱が並ぶ7階建ての第一生命館で、裏側から見ると、低層階の壁面がイオニア式の柱頭飾りの円柱を使った威厳のある造りですが、よく見ると、その上は、21階建ての高層ビルとなっています。

この建物は、都の選定歴史的建造物に選定されていますが、元々は、旧第一生命館と農林中央金庫旧有楽町ビルの2つの建物があった敷地を高層化・再開発したもので、第一生命のDと農林中金のNをあわせてビル名にしています。
その際に、旧第一生命館の一部と農林中央金庫の2つの建物をファサードを復元し、歴史的な要素を保存しつつ、その間に高層ビルを造り、古いものと新しいものを融合させているのが、この再開発の最大の特徴となっているのです。

まず、旧第一生命館は、松本輿作、渡辺仁による設計で、すっきりした古典様式を取り入れており、1938年(昭和13年)に竣工しました。特に、この建物が歴史的に重要なのは、戦後、この建物が占領軍に接収され、連合国総司令部(GHQ)が置かれたことで、マッカーサー元帥の執務室はこの建物の6階にあり、昭和天皇とマッカーサーとの歴史的な会見があったのもこの建物でした。
一方、旧農林中央金庫ビルは、旧第一生命館と同じく渡辺仁による設計で、旧第一生命館の竣工の5年前の1933年に竣工していますが、旧第一生命館とは異なり、重厚で威厳のある古典様式を採用していました。

同じ設計者でありながら、2つの建物の様式が異なるのはその時代性を表すものだと思いますが、再開発で、異なった様式の要素をいずれも残して、1つのビルの一部となったのは数奇な運命と言うべきでしょう!

なお、亀さんは、以前、マッカーサー元帥の執務室等を見る機会があり、それらが現在も「史料展示室」「マッカーサー記念室」として、当時のまま保存されていると聞いていたので、今回、再度見たいと思いましたが、受付で尋ねると、「9.11同時テロ以来、非公開となっています。」とのことでしたが、パンフレット(写真上右)は頂くことができました。

外観だけ見るのもいいし、旧第一生命館は1階のロビーには入れるので、一度行かれることをお勧めします。(記入者:亀さん)

2008年2月25日 (月)

「二重橋」はどっち?

―警備をしている若いお巡りさんに尋ねました!―080221011 08022102 080221032 08022104

この間、明治生命館の探訪の帰りに、「国の重要文化財の桜田門の写真でも撮るか…。」と思って、皇居前広場を突っ切って、職場に帰りました。
天気がいいので、「ついでに二重橋でも撮って帰るか…。」と、二重橋のところまで来ると、観光客のご婦人たちにつかまります。
石の眼鏡橋と奥の鉄の橋を指差しながら、「二重橋はどっち?」と私に尋ねます。

私は、奥の鉄の橋だと思ったのですが、自信がありませんでしたので、“聞くは一時の恥”とばかりに、「二重橋はどっちですか?」と石の眼鏡橋のたもとで警備をしている若いお巡りさんに尋ねました。
その警官は、いつも観光客に聞かれると見えて、自信満々、「上の鉄の橋です。この石の眼鏡橋は『石橋』といいます。」と。
そして、かねてから用意してある江戸時代木の橋で
あった時の絵を見せながら、「江戸時代に地形と技術との上から、橋桁を一つ造ったその上に、さらに橋をかけた二段づくりになっていたために、『二重(ふたえ)の橋』と言ったことから、この名があります。」と説明してくれました。因みに、「石橋」の向うの門が皇居正門だそうです。
観光客と私は、若い警官に最敬礼しながら、「有難うございました。」と。すると、警官は「よく聞かれるんですよ。」と。
後で調べると、平凡社の世界大百科事典では、「世俗に石橋の方を二重橋と思ったり、石橋、鉄橋と二重にあるので二重橋というと考えたりしているのは誤りである」と一刀両断にしているそうです。(お恥ずかしい

その帰りに、国の重要文化財の「桜田門」の写真を撮って、職場に帰りました。なお、この桜田門は桜田通り側の「高麗門」と奥の「渡櫓門」の2つをあわせてそう呼びますが、近くには「外桜田門」の案内標識が出ており、重要文化財の指定でも「江戸城 外桜田門」とされています。
これは、坂下門と大手門の間にある「桔梗門」のことを「内桜田門」といい、内桜田門と外桜田門をあわせて「桜田門」ということもあるので、いわゆる「桜田門」のことを「外桜田門」ということがあるんだそうです。
勉強になりました
。(記入者:亀さん)
(写真は順に)二重橋(この位置で、よく二重橋の記念撮影をするので、混乱を生じるのです。)、石橋(眼鏡橋)と皇居正門、二重橋(鉄橋)、重要文化財・(外)桜田門(手前が高麗門、奥が渡櫓門

2008年2月24日 (日)

日本橋・銀座で歴史と文化を見る

―きらびやかの裏にある、味わいのある銀座―080223201 080223202 080223203 080223204_2

昨日は、深川・門前仲町で下町の風情を味わった後、亀さんは奥さんと合流して、日本橋・銀座を散策をしました
今回の日本橋・銀座散策は、そのきらびやかさから目をそらせて、その文化と歴史を味わうことにしましたそのため、伝統的な建造物の探訪・撮影と老舗での買い物をしました。

人形町から歩いて、まず、日本橋小網町の日本で唯一の楊枝専門店の「日本橋 さるや」で黒文字を買い証券街の「日証館」(昭和3年竣工)、「三菱倉庫本社ビル」(同5年)、「野村證券本店ビル」(同5年)の各ビルを撮りました。これらのビルは、重要文化財ではありませんが、近代建築史では貴重な建物のようです。なかでも、「三菱倉庫本社」は、都の選定歴史的建造物に選定されています。
その次に、国の重要文化財の「日本橋」来ました。日本橋はいつも見ているのですが、立ち止まってまじまじと見ることがありませんでした。しかし、よく見ると獅子や麒麟の装飾には素晴らしいものがあると気がつきました。
その次に、都の選定歴史的建造物の「三越本店」(昭和4年)や国の重要文化財の「日本銀行本店」(明治29年)「三井本館」(昭和4年)を撮りました。なお、三井本館は先に紹介した「明治生命館」同様、「重要文化財特別型特定街区制度」の認定を受け、重要文化財である三井本館を保存しつつ、隣接して超高層複合ビル(日本橋三井タワー)の開発を実現しています。
その後、日本橋室町界隈を散策し、扇子の「伊場仙」を覗きましたが、定休日でした。はんぺんの「神茂日本画材・和紙小物の「有便堂を覗き、元祖佃煮の「日本橋鮒佐」で「金鮒佐」のぶぶ漬けセットと鰻と鱈子の佃煮を買いました。鮒佐の店のほとりに松尾芭蕉の石碑があるので、よく見ると、芭蕉が江戸にやって来て初めの8年間住んだ場所のようでした。亀さんにとって今日二度目の松尾芭蕉との遭遇です。芭蕉は、その後、深川に移住したようです。
次いで、「日本橋高島屋」(昭和8年・都の選定歴史的建造物)や「明治屋本社社屋」(同年)の写真を撮りながら、京橋から銀座に歩いていきました。
この頃までは春一番も吹く陽気だったのですが、急に冷たい突風が吹くようになりました。砂埃や紙くずが舞っていて、銀座のほうが埃で霞んでいます。歩行者天国のパイプイスやテーブルも慌てて仕舞われだしました。
喫茶店で休みたかったのですが、銀座三越あたりまで来ると、突風も激しくなり、三越の屋上の旗も真横になっています。
そこで、高級織ネクタイの老舗の「田屋」でネクタイを買って、そろそろ本日のウォーキングを終了させようということになりました。「田屋」では、自分用に春物のネクタイなどと贈り物用に創業百年記念の銀座風景のネクタイを買いましたが、ちょっとした出費になりました
外に出ると、突風は依然として強く、待つ行く人たちも寒そうでしたが、その中でも、美人でスタイル抜群の外国人モデルが携帯電話?の宣伝写真の撮影をしています。やはり、「きらびやかな銀座」です。この際、亀さんも1枚写真を撮りました。(なにか儲かった感じ!
最後に、文化財ではありませんが銀座の象徴の「和光」(昭和7年・旧服部時計店)ビルの写真を撮ってから、日本一地価の高い(注)「鳩居堂」に寄り、「王朝文華貝あわせ」という立雛などを買って、帰路に着きました。帰路、色々な線区で「強風のため不通」が発生していましたが、亀さんの乗る地下鉄は大丈夫でした。

いずれにしても、今日は充実したウォーキングと歴史・文化の探訪ができ、楽しい一日でした。(記入者:亀さん)
(注)相続税の基になる路線価では鳩居堂前が1位ですが、公示地価の調査場所では銀座山野楽器店が日本一です。
(下の写真)日証館、三菱倉庫本社、野村證券本店、三越本店、日本銀行本店、三井本館、日本橋高島屋、明治屋本社社屋、和光080223205 080223206 080223207 080223208 080223209 080223208_2 080223211 080223212 080223213

下町・深川門前仲町と文化財探訪

  ―深川不動堂・富岡八幡宮・旧弾正橋―08022301 08022302 08022303 08022304

昨日は、亀さんの奥さんが人形町に生地を買いに行くというので、亀さんは、人形町の隣りの深川門前仲町に、下町と文化財の探訪に出かけ、途中で奥さんと合流して、日本橋・銀座の下町・伝統・文化の探索に出かけることにしました。

まず、最初に行った深川門前仲町は、富岡八幡宮と深川不動堂の門前町で、東京の下町としての良さと賑わいを残しているいい町です。また、俳人松尾芭蕉や近代日本地図の始祖である伊能忠敬にも縁の深い町です。
深川不動堂は、成田山新勝寺の東京別院(出張所)
で、歴史的には江戸時代は富岡八幡宮の境内で成田不動尊像の出張開帳をしていたことを起源にし、江戸時代には錦絵に描かれるほどの人気であったようです。参道には、アサリのぶっかけめしの「深川めし」の店もあり、相当の賑わいでした。亀さんは、深川不動堂で、「身代わり亀鈴」とネズミの「干支壽鈴」を買って、招福を祈りました。
また、富岡八幡宮は、江戸最大の八幡宮で、江戸時代には将軍家の手厚い保護を受け、明治維新に際しては朝廷から准勅祭社に治定された格の高い神社ですが、江戸勧進相撲の発祥の地として横綱力士碑・大関力士碑があるほか、松尾芭蕉や伊能忠敬に因んでそれぞれ花本社、伊能忠敬銅像があります。また、日本一の大神輿(みこし)もあります。

東京は、きらびやかな銀座・青山・六本木などの近代的な姿のほかに、庶民と共に文化と伝統を育む下町がいきいきとしていて、いいバランスが保たれていると思いました。地方都市に、○○銀座はありますが、このような下町の良さこそ必要だと思います。

なお、富岡八幡宮の裏手には、国の重要文化財の「旧弾正橋(八幡橋)」があります。この橋は、1878(明治11)年に完成した国産第1号の鉄橋で、1977(昭和52)年には近代橋梁技術史上において価値の高い橋であることから、国の重要文化財に指定されました。また、弾正橋の優れた製作技術に対して、1989(平成元)年10月には日本国内で初めて米国土木学会より「土木学会栄誉賞」が贈られています。とくに、部材は菊の紋章がデザインされていて、国家威信というか、これから国を育てていこうという気概が感じられます。
近くには、木場の川に民間人(木場の赤ひげ先生と言われたお医者さん)が架けた鋼鋼人道橋・「旧新田橋」も移設保存されているので、深川・門前仲町に来た際には是非見ておくべきでしょう。(記入者:亀さん)08022305 08022306 08022307 08022308

2008年2月23日 (土)

米国ロボット情報発信のGetRoboを紹介

~ニュースレター「GetRobo(ゲット・ロボ)」~

最近、WillowGarageという会社が米国のロボット業界で注目されていると聞いた。正直言って初めて聞く名前なので、さっそくインターネットで検索したら、GetRoboというブロッグが唯一マッチングした。クリックしてブログに飛んでみると、米国に住んでロボットのニュースレターを発行している「影木准子さんのブログ GetRobo(ゲット・ロボ)」であった。http://getrobo.typepad.com/getrobo_blog/2007/10/willow-garage.html

http://getrobo.typepad.com/getrobo_blog/cat17950998/index.html

影木准子さんは、昨年12月に、東京で開催された「今年のロボット大賞2007」のセミナーで、米国のロボット事情について講演されたのを興味深く聞かせてもらった方である。それっきりになっていたが、ロボット最新情報の検索をしたら、また影木さんに辿り着いたわけである。さすがに米国シリコンバレー在住で活躍されているので、生の情報がキャッチ出来るのだなと感心した。ロボットに興味がある方は、情報チャネルの一つにされると良いと思う。

影木准子さんのプロフィール>1989年北海道大学工学部応用物理学科を卒業後、日本経済新聞社入社。科学技術部、国際部などを経て、1997-2001年、同社シリコンバレー支局記者。2002年に日経を退社し、現在はシリコンバレー在住のフリーランス・ジャーナリスト。コンシューマー向けロボットの開発・市場動向に最大の関心があり、この分野にフォーカスしたニュースレター「GetRobo」を発行するほか、ブログ「GetRobo Blog」で情報発信している。

(INO記す)    

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                                                                                                                                         ★蛇足:ロボットに興味がある方は、小生のブログ(ロボット抜粋)も参照ください。http://dankai-hiroba.cocolog-nifty.com/blog/cat20035286/index.html

霞ヶ関・丸の内の文化財探訪・第3回

―明治生命館・昭和建築物で最初の重要文化財―08022101 08022102 08022103 08022104

亀さんの文化財探訪・第3回は、明治生命館です。
この建物は、①その我が国の近代洋風建築上の価値、②戦後、GHQに接収され、米英中ソの4カ国代表による対日理事会の会場となったいう歴史的価値、③都市再開発に際しての歴史的建造物の動態保存の新しいモデルとしての価値から、注目されます。

まず、この建物は、1934年(昭和9年)に竣工したものですが、古典主義様式でまとめられたもので、我が国洋式建築の最高傑作と呼ぶにふさわしいネオ・ルネッサンス・スタイルの壮麗な建築であり、1997年(平成9年)に、昭和の建築物としては、初めて国のの重要文化財に指定されました。
亀さんは、今回の文化財探訪で初めてじっくりとこの建物を見ましたが、巨大なコリント様式の列柱には圧倒されました。

また、最近、都市の再開発の過程で歴史的な建造物が滅失するなか、明治生命館を含む街区の再開発では、明治生命館を動態保存する一方で、特定街区制度を活用して、街区全体では大きな容積率を実現して、地上30階・地下4階の明治安田生命ビルの建設をしています。
これによって、敷地の有効利用と歴史的建造物の保存の両立が見事に実現しています。そして、二つの建物がガラス張りのアトリウム(下の写真)で結ばれ、古いものと新しいものとの調和が図られています。
歴史的な建造物を見るだけでなく、再開発の新しいモデルとして、是非見るべきでしょう。

なお、明治生命館の一般公開は土曜・日曜に限られますが、平日でも1階のラウンジ(上の写真)には自由に入れ、受付に言えば「重要文化財・明治生命館・ご案内」というパンフレット(上の写真)も貰えますので、平日でも十分に楽しめると思います。(記入者:亀さん)080221062 08022105

2008年2月22日 (金)

ルノワール+ルノワール展

  渋谷のBubkamuraザ・ミュージアムで開催中の「ルノアール+ルノアール展」を家内と見に行った。ルノワールは皆様ご承知の通り、ホンワカした感じの魅力的な女性が多く書かれた画家である。実はルノワールの次男は高名な映画監督になっており、父と息子の作品を同時に展示したのが、この展覧会である。あまり期待せずに行ったのであるが、思いがけず感動的で楽しいものであった。

音声案内を聞きながら詳しく見たのであるが、画家という人種は、好きな女性でないと描く気が起きないらしい。何のことはない、ルノワールが描いた女性は、好きになった女、そのあと結婚した女、女房の親戚の可愛い女、郵便配達夫の新妻等などである。更には息子の妻となる女性も描いている。

またルノワールの絵は、幸福そうな絵が多いけれど、画家の言葉として、「ただでさえ苦しいことが多い世の中なのだから、せめて絵は楽しいものを描く」と言ったようである。ふと、悲惨な境遇の時も天使のような曲を書いたモーツアルトを思い出した。

息子の映画は、父の影響を色濃く受けていて、豊かな色の画面や、あるいは父の有名な絵を思い出させる構図を取り入れた映画などが、多くみられた。水浴の絵を連想させる、映画の水浴びのシーンは鮮烈で沢山の人だかりであった。  (INO記)                  

※食事はBubkamura内のレストランでルノワール展の記念メニュー

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東京は13.4℃と春の陽気!

   ―日比谷公園の梅は5分咲き!
        
スズメもひなたぼっこ!―
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昨日の東京は最高気温が13.4℃と春の陽気。亀さんは、昨日の文化財探訪ウォーキングの際には、ぽかぽか陽気で軽く汗をかきそうでした。

途中、日比谷公園の梅園を通ると、白梅や紅梅は5分咲き、梅の木では沢山のスズメが遊んでいました。また、その木の下でも、スズメが群れて虫を食べたり、ひなたぼっこをしていました。

もうじき春ですね。(ただ、天気予報では週末は冷え込むようですが・・・。)

そうそう、日比谷公園にも文化財の建造物があるんですよ!!
それは、日比谷公園の日比谷交差点のところの入口(有楽門)の近くの「旧日比谷公園事務所(現・東京都公園資料館)」です。この建物は、1910年(明治43年)に竣工したもので、明治期に数少ない近代洋風建築の一つとして建築史上貴重であるとして、1990年(平成2年)に東京都指定の有形文化財(建造物)として指定されています。
日比谷公園に行ったときには一度見るといいですよ。(記入者:亀さん)

2008年2月21日 (木)

霞ヶ関・丸の内の文化財探訪・第2回

  ―旧文部省庁舎・旧大臣室―08021801 08021802

亀さんは、陽気に誘われて、霞ヶ関・丸の内の文化財探訪です。
その第2回は、旧文部省庁舎です。この建物は、国の重要文化財ではなく、国の登録有形文化財として登録されています。

この建物は、鉄骨鉄筋コンクリート造り6階建てで、関東大震災の復興事業として1933年(昭和8年)に完成したもので、霞ヶ関の中央官庁街における震災復興庁舎の好例で、中央官庁街では法務省旧本館(赤れんが棟)に次いで古い建築物です(注1)
この建物は、昨年末完成した合同庁舎7号館(文部科学省等が入居)の建設に際して、その全部を取り壊すのではなく、ロの字形の庁舎の一部を残し、保存したものです。このように歴史的な建造物の一部を保存して、再開発を行うのは欧米では古くから行われてきましたが、最近日本でもしばしば行われるようになり、今後の町並み整備の好例にもなりました。

また、文部科学省は、今年1月の庁舎移転を機会に、展示施設(約1,000㎡)等から構成される新たな情報発信拠点をこの旧文部省庁舎に整備することとし、創建時(昭和8年)の姿に復原された旧大臣室での展示を開始し、一般に公開しています(注2)
なお、旧大臣室以外の展示は準備中ですので、多少物足らなさも感じましたが、旧大臣室には、歴代の文部大臣及び文部科学大臣が使用した机やソファーのほか、初代文部大臣森有礼(ありのり)が職員の心構えを記した「自警」(レプリカ)の展示もあり、一見の価値は有ると思います。(記入者:亀さん)08021803 08021804

(注1)国指定文化財データベース:http://www.bunka.go.jp/bsys/index.asp
(注2)http://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/19/12/07122608.htm

2008年2月20日 (水)

霞ヶ関・丸の内の文化財探訪・第1回

  ―法務省れんが棟(法務省旧本館)―08021901 08021902

我が国では、戦後、建築物についてその高層化や敷地利用の効率化を追求していく過程で、古い建築物を全面的に建て替えることが進められてきました。
しかし、明治以降の洋風建築物にも、その文化性の意義を認め、歴史的に意義のある建築物を保存しようとする運動が生じました(注1)
丸の内や霞ヶ関でも、明治洋風煉瓦造の建物が急速に消滅していくなかで、幾つかの歴史的な建築物が重要文化財にしていされたり、登録文化財に指定されており、一見の価値があります。
そこで、亀さんは、昼休みに、ウォーキングを兼ねて、それらの探訪をして、皆さんに紹介することとします。
その第1回は、国の重要文化財の法務省赤れんが棟(法務省旧本館)です。
この建物は、桜田門のすぐ南にあり、警視庁とは国道1号線をはさんで筋向かいにある、荘厳で格式のある赤れんがづくりの官庁建築物です。
その詳細は、各種のHP(注2)に詳しいが、近代国家を目指した明治政府が1886年(明治19年)に招聘した、ドイツの高名な建築家のエンデとベックマンが作成した官庁集中計画案をもとに、1895年に竣工した旧司法省で、現存する霞ヶ関の中央官庁の建築物としては最古のものです(注3)
そして、創建当時の姿に復原された1994年(平成6年)の11月に、その外観が国の重要文化財に指定されています。
この赤れんが棟には、「法務史料展示室」が設置され、法務史料、建築史料の展示のほか、企画展も行われており、一般にも公開させています。亀さんも行ってみましたが、我が国の法制史や建築に関心のある人は一度は行っておくといいと思います。また、そんな関心のない人も3階のバルコニーからは桜田門(実を言うとこれも国の重要文化財!)などの皇居が眺望できるので・・・。(記入者:亀さん)0802190308021904
(注1)このような動きの中で、1974年(昭和49年)に初めて鉄筋コンクリート建造物(芦屋の旧山邑家住宅)が重要文化財に指定されたが、1996年の文化財保護法の改正により、登録文化財の制度が制定され、これらの近代の洋風建築物も保護されることとなった。それ以降、大正、昭和(戦前・戦後)の歴史的な建築物については、登録文化財として保護・保存されるほか、重要文化財にも多く指定されることとなった。
(注2)例えば、近代建築散策:法務省旧本館:http://maskweb.jp/b_moj_1_1.html
(注3)この建築物は、戦災でほとんど消失した後、改修されて法務省本館として使用されていましたが、1991年(平成3年)から復原改修工事が始められ、1994年に創建当時の姿に復原されました。また、
元は、隣に同じような最高裁判所(旧大審院)の庁舎がありましたが、こちらは取り壊されて、東京高裁と東京地裁の入る裁判所合同庁舎に建て替えられています。

2008年2月19日 (火)

よし小元気汁

 ―亀さんの母校の小学校が考案!―Tn20080130004001

故郷のニュースは何でも貴重で、それがいいニュースであると嬉しいものです。
先日(16日)、大阪に住んでいる慧ちゃんママから「亀さんの母校の『よし小元気汁』のことが読売新聞に出ているよ!」と嬉しいメールがありました。

ところが、同じ読売新聞でも大阪本社版と東京本社版とでは内容が異なり、東京ではその記事は読めませんでした。(残念!)

昨日(1 8日)、亀さんが思いなおしてインターネットで調べると、「YOMIURI ONLINE」にそのニュースが出ていました(注1)
その内容は、亀さんの母校の呉市立吉浦小学校(よし小)が考案した味噌汁『よし小元気汁』が好評で、保護者に作り方を紹介したところ、「忙しい朝も手早く調理できる」とみるみる普及し、児童の欠席や遅刻が減るという予想外の効果も見られ、市の給食メニューにも採用され、他の学校にも広がりだしたというものです。
県の食育推進会の副会長も「きちんと朝食をとることで脳の働きが高まり授業に集中できるし、生活のリズムもつく」と吉小の取り組みに注目しているようです。また、読売エージェンシーが事務局をつとめる「食育推進プロジェクト」にも取り上げられているようです(注2)。また、地方紙の中国新聞でも1月30日の記事で取り上げている(注3)

『よし小元気汁』のポイントは、「だしに呉市特産の「しらす干し」を使うこと。具として食べられるので、煮干のように取り出す手間が要らず、カルシウムも取れる。季節の野菜と一緒に水から煮るだけなので、前夜に用意すれば、朝は温めるだけで済む。」ということのようです。

なお、この記事の内容とは関係ないのですが、記事の中で、吉浦小学校の児童数が567人と書いてあり、これには多少ショックでした。亀さんたちの頃は、全校児童が1800人を超えていたのですから、当時の3分の1以下です。少子化はここまで進行しているんですね。(記入者:亀さん)

(注1)YOMIURI ONLINEの記事:http://osaka.yomiuri.co.jp/edu_news/20080211kk02.htm

(注2)教育ルネッサンス食育推進プロジェクトの記事:http://syokuiku.yomiuri.co.jp/pickup/080211.htm

(注3)中国新聞の記事:http://www.chugoku-np.co.jp/News/Tn200801300040.html、なお、上の写真も中国新聞の写真です。

2008年2月18日 (月)

すわ一大事!大規模テロ?

  ―駅前でテロ対策訓練が・・・。―080217011 080217088 080217077 080217044

昨日(17日)、亀さんがJRに乗るために駅前に行くと、多数の消防車、救急車、パトカーが集まり、多数の群集が集まっているほか、警官、消防士・救命救急士、医療関係者などが忙しく駆け回り、色々な指示の声が飛び交っています。

よく見ると、ブルーのシートに横たわっている人たちもいます。担架で運ばれる人もいます。また、救護所もあり、周辺には多くの怪我人らしき人がおり、「怪我の状況を判断して運ぶ人を判断しろ!」という声も聞こえます。

何か大事件が起こったのかと思って、きょろきょろと辺りをよく見ると、なんと大規模なテロ対策訓練でした。調べてみると、過去にもこのような訓練をしているようでした(注)

地下鉄サリン事件から13年が経ち、国際的にも無差別テロが多発している状況では、このような訓練も必要だと思いますが、同時に「これが実際に役立つような世の中にはなって欲しくないなあ」とも思いました。(記入者:亀さん)

(注)2006.11.27の川口駅周辺テロ対策実地訓練:http://www5a.biglobe.ne.jp/~FUDOU/keisatu/2006.11.27kawagutchitero/kawaguchi.htm

2008年2月17日 (日)

ASIMOの案内・飲み物デリバリサービス

~ASOMOのサービスの体験レポート~

ASIMOのサービスを青山のホンダ本社受付で経験したレポート(※1)がWebで報告されていた。写真や動画も多数あって、現状のASIMO機能の素晴らしさと限界が良く判るので紹介する。⇒ http://robot.watch.impress.co.jp/cda/column/2008/02/06/880.html

小生の感想は、ASIMOは二本足歩行機能が完成の域に近づいているが、一般的な知能や手足の機能は未だ先が長い感じが正直なところである。しかし、ロボットは人間の役にたてば良いのであって、人間と同じ機能を持つ必要は無い。用途を限定すれば、近い将来に実環境で使える状況になると思う。  (INO記す)

(※1)Webニュース「Robot Watch」の記事「ASIMOの案内・デリバリーサービスを体験してきました(2008.2.06)」より。下記の写真や動画も同記事より。 

(※2)小生のロボットに対する考察(ロボット考シリーズ) http://dankai-hiroba.cocolog-nifty.com/blog/cat20035286/index.html 

(※3)ASIMOのHP(技術的紹介) http://www.honda.co.jp/ASIMO/newmodel/

★ASIMO動画  「honda_p1330428.wmv」をダウンロード                                     

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2008年2月16日 (土)

冬の朝の見沼田んぼ

  ―朝陽、富士山、野鳥のさえずり―0802160108021602_2

今朝は、先日買ったNIKONの105mmマイクロレンズの威力を試すために、休みにもかかわらず、6時起きをして、見沼田んぼに写真を撮りに行きました。ここ数日の好天気で最低気温は氷点下でしたので、冬山登山のときのスタイルでの出陣でした。

見沼田んぼに着くと、西の空には富士山がくっきりとその姿を見せ、見沼田んぼの東の雑木林からは朝陽が出てきました。

ところが、野鳥の写真を撮るには少し早すぎたのかも知れず、野鳥の数は先日よりは少なく、動きも少ないようでした。

「少し待って野鳥を撮ろう」と時間が経つのを待っていると、巨大な望遠レンズを2本携えて写真を撮っていらっしゃる人が居られます。(亀さんのブログによくコメントをいただく方ではとは思ったのですが、名前を聞くのも失礼ですので、)「何を撮られるのですか?」と尋ねると、「野生の狸や狐がいるので、それを撮ろうと思って・・・」と答えられました。どうやら、見沼田んぼには、野鳥だけでなく、野生の狸や狐もいるようです。

結局、8時近くになって撮ったのが下の写真です。アオジ(注1)、シジュウカラ、ハクセキレイ、カルガモです。先日の写真よりはよく撮れていると思いますが、いかがでしょうか?

なお、先日、亀さんの故郷の方から、「都内から富士山がはっきり見えるってなかなか無いんじゃないでしょうか。」とのコメントがありましたが、亀さんが住む埼玉県川口市からも晴天の日(特に冬の朝)は、上の写真のように富士山がよく見えます。因みに、埼玉県の小学校の校歌で一番多い固有名詞は富士山なんですよ!!(注2)(記入者:亀さん)

(注1)亀さんは、「ツグミ」かと思っていましたが、「へいへい」のコメントで調べてみると、「アオジ」(ホオジロの仲間)のようです。

(注2)昔、このことについて、亀さんが調べてある雑誌にエッセイを書いたら、朝日新聞の「天声人語」にそれが紹介されました。(1985.5.22の朝日新聞「天声人語」「tenseijinngo.doc」をダウンロード0802160308021604 08021605 08021606

2008年2月15日 (金)

昨日はバレンタインデー!

        ―貰ったチョコは4個! 
                 もちろん、すべて義理チョコ!―
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昨日、職場に行くと、朝一番で黒ちゃんがバレインタインデーのチョコを持ってきました。“女性陣を代表して”の義理チョコです。亀さんの職場では、いつの間にか、このような習慣が定着したようですが、女性陣も全員の男性に贈るのですから大変でしょう。(もっとも、1ヵ月後のホワイトデーの男性陣も大変ですが・・・。)
午後から仕事で、町屋、東十条、十条の商店街に行ったのですが、商店街のお菓子屋さんでは、バレンタインデー向けのチョコレート販売の最後の追い込みの最中でした。

家に帰ると、長男坊の嫁さん、昔の仕事で交渉相手の代表で亀さんのファンだった女性陣から有名店のチョコレートが送られてきており、また、近所の奥さんからは亀さんの奥さんを通じて手作りチョコと有名店のチョコレートを貰いました。もちろん、いずれも義理チョコです。これで、義理チョコは4個となりました。
男というものは、義理チョコといえどもチョコレートを貰うことは嬉しいものですね!!

なお、亀さんの奥さんは、いま、亀さんと一緒に、体重コントロールのために、甘いものは制限しているので、奥さんからの本命チョコ(義理チョコ??)はありませんでした。(でも、亀さんが貰ったチョコレートを美味しそうに食べていました。)(記入者:亀さん)
参考)昨年の2月14日のブログ:http://dankai-hiroba.cocolog-nifty.com/blog/2007/02/post_fcb7.html

2008年2月14日 (木)

立春も過ぎたというのに・・・

   ―東京の都心にも霜柱が・・・―08021302 08021301

立春も過ぎたというのに、昨日(13日)の朝はとても気温が低かったうえに、北風も相当強く、とても寒かった。

東京の都心はほとんど舗装してあるので、土が露出しているのを見ることはないので、こんな寒い日でも、通常、霜柱を見ることもありません。

ところが、朝、道を歩いていると、工事中のために土が露出している箇所があり、そこに霜柱が立っているのを見つけました。思わず、携帯のカメラで、パチリと写しました。

実を言うと、亀さんは、小さい頃、霜柱を見たことが殆どありませんでした。多分、温暖な瀬戸内海沿岸の地域で育ち、その地域の土が関東ローム層のような土でなかったためだろうと思います。そんなこともあって、霜柱を見ると、人一倍に感激するのです。

なお、こんな寒い朝は、空気が澄んでいて、亀さんの職場からは、雪を被った富士山がよく見えます。亀さんが写真を撮っていると、若い人たちも気が付いて一緒に写真を撮っていました。

昼間、天気がいいのに気温が上がらず、夕方になるとだんだん冷え込んできました。さっきの天気予報では、今日(14日)の朝はもっと冷え込むと報じています。(記入者:亀さん)

(14日夜の追記)天気予報の通り、今朝の冷え込みは凄く、亀さんちの庭の隅や近くの公園や青空駐車場にも見事な霜柱が出来ていました。(下は順にそれらの写真です。)08021401 08021402 08021403

2008年2月13日 (水)

ロボット考(3)「産業ロボットとサービスロボット」

ロボットという言葉は最近良く目にするが、これはロボットへのニーズが高まっているとともに、知能と機能を持ったロボットの実現が可能になりつつあることが背景と思う。トヨタ自動車もロボットを将来の中核事業にすると宣言した。ところで、ロボットは大きく分けて2種類のロボットがある。「産業ロボット」と「サービスロボット(非産業ロボット)」である。

産業ロボットは、昔から工場で活躍しているロボットで、主に自動車の溶接や塗装、あるいは液晶ガラス基板搬送などである。全世界のロボットの大半が日本にあるそうで、自動車産業などの競争力のバックボーンの一つであろう。このロボットは7000億円市場に育っている。

ちなみに、産業ロボットの効果であるが、先ずは工場で働く方々を3K的な仕事から解放した点がある。さらに熟練工が少ない発展途上国では、ロボットは安定した作業で一定品質のものを製造する役割も持っている(凄いことと思う)。

 また、サービスロボットは、少子高齢化の時代の介護作業支援、掃除などの家事手伝い、荷物搬送や案内、あるいは癒し系ロボットなど多彩なものが現れ始めている⇒事例(日本ロボット工業会HPより) http://www.jara.jp/x3_jirei/index.html

最近、話題になっているロボットは、大部分が、このサービスロボットに分類されるものである。しかし、商品としては機能やコスト低減が未だ不十分で、今後の発展が期待されているのが現状である。このサービスロボットを高機能かつ廉価に実現する「次世代ロボット開発技術」の進展が待たれるところである。ある予測では、家庭へのロボット導入が進むことを前提にして、サービスロボットは、2025年には7兆円市場に拡大すると考えられている。

(INO記す)

※ロボット考(n)記事のバックナンバーは、カテゴリー「ロボット」をクリック下さい⇒ http://dankai-hiroba.cocolog-nifty.com/blog/cat20035286/index.html

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39歳の新人歌手・木山裕策のメジャーデビュー

  ―デビュー曲「home」を購入!―08021201homeKiyama000

去る2月9日(土)、何気なくテレビを見ていたら、日本テレビで「パパは歌うよ。39歳、子供4人・・・デビューへ密着400日」というドキュメント番組をしていました。
内容は、日本テレビで月曜日の深夜放映している「歌スタ」という新人歌手発掘番組で、一度は惜しくも落選した39歳の男性が、メジャーデビューするまでの苦闘と努力の記録でした。
その歌手は、木山裕策さんで、39歳。
奥さんと4人の子持ち(息子さん)で、しかも、2年半前に甲状腺腫瘍で左の甲状腺を全摘出するというハンディを克服して、「親子の愛の歌」「home」で「歌スタ」にチャレンジしました。
しかし、「家族の生活を背負って、プロの歌手として活動していくのは厳しいのでは・・・」「もっと長く聴きたかった」という理由で、“ごめんね札(不合格)”が出てしまいました
ところが、発掘ハンターでこの歌の作詞・作曲を手がけた
多胡邦夫氏は、木山の歌に対する思い・子供達の父に対する思い・自らの楽曲に対する思いから、その結果に諦めがつかず、最終プレゼンリベンジを木山へ提案しました。
その
最終プレゼンリベンジの結果、メジャーデビューが決定し、そして、この2月6日に、デビュー曲「home」のCD、DVDが発売されました。
この歌は、歌詞の全編に家族愛があふれているうえに、多湖氏自身が言うように、「不思議な事に君を愛しく思えば思うほど パパのパパやパパのママに本当に有り難うって言いたくなるんだ」というサビの部分は、「子を持って知るの親の愛情」という実感が良く出ています。因みに、CDのジャケット(上の写真)のイラストは昨年話題になった『東京タワー~オカンとボクと、時々、オトン~』の作者のリリー・フランキーさんのイラストです。

そこで、亀さんは、応援の意味を込めて、早速、浦和美園のHMVに買いに行きましたが、売り切れでした。どうも、亀さんと同じような人が多かったようです。)問い合わせて貰うと数寄屋橋のHMVにはあるというので、昨日、購入しました。このCDは数寄屋橋のHMVではシングルで売上げ5位でした(注)

この歌を聴きながら、いま世間で忘れかけられている本当の家族愛について考えさせられる亀さんでした。(記入者:亀さん)

(参考)木山裕策 official websitehttp://tearbridge.com/kiyama/index.html
(注)今日の日刊スポーツによると、18日付のオリコン・チャートではシングルで11位だそうです。

2008年2月12日 (火)

NIKONのマイクロレンズ!

 ―鳥の写真で望遠の購入を検討したが…―080211021052 080211011051

日曜日に見沼田んぼで、野鳥の写真を撮りましたが、率直に言うと、決していい写真ではありませんでした。
亀さんの持っているカメラ(NIKON D70)の標準レンズ(18mm-70mm)では、被写体の野鳥に近づいて撮らないといけません。近づけば野鳥が逃げるし、遠くから撮るとぼけた写真になってしまいます。

ところが、同じ日に、well-U さんが見沼田んぼで野鳥の写真を撮られていたことを同氏からのコメントで知りました。well-U さんの撮られた写真は、野鳥の姿がイキイキとはっきり映っていました(注1)明らかに、望遠レンズを使用されているのです。

そこで、亀さんは、思いきって浦和美園のイオンSCに行き、望遠レンズの購入を検討することにしました(注3)
行ってみると、何とハッピーなことに、そのSCの電機専門店は店舗改装のための在庫一掃・全品2割引セールをしていました。望遠レンズ等のレンズ類は、その店の通常の売値は秋葉原並の15~17%引きですが、さらに2割引ですから、定価の3分の2です。

色々検討した結果、200mmとか300mmの望遠系のレンズを使いこなす自信がなかったので、結局断念しました。

しかし、“まずは、花や虫のいい写真を撮ろう!”ということで、方向転換をして、世代手ブレ補正機能のついた105mmマイクロレンズ(注2)を買うことにしました。若干、衝動買い気味でしたが、奥さんは直ぐ同意してくれました。
今後は、「きっともう少しはましな写真が撮れるぞ!」と、「捕らぬ狸・・・」になっている亀さんです。
(記入者:亀さん)

(注1)well-U さんのブログ:http://mbba2902.air-nifty.com/bmwbike/2008/02/post_d05e.html
(注2)http://www.nikon-image.com/jpn/products/lens/af/singlefocal/telephoto/af-s_vr_micro_ed_105mmf28g_if.htm
(注3)前から、もう少し光学倍率の高いレンズが欲しかったのですが、昔、子どもの自然な姿を撮りたくて、ニコンの望遠レンズを買い、全然使いこなせなかったことが「トラウマ」になっていて、買わないでいました。

2008年2月10日 (日)

雪の見沼田んぼの野鳥たち

    ―春を待つ野鳥のさえずり―080210052 080210073 08021009 080210171 080210164 08021027

昨夜の雪で雪景色がきれいではないかと思って、亀さんは、今朝、見沼田んぼに行ったのですが、積雪量が多くなかったため、雪景色は残念ながら余りきれいではありませんでした
その代わりと言っては変なんですが、雪の見沼田んぼの野鳥たちを撮ってきました。
暖かい陽射しの中で、見沼代用水ではカモがすいすいと泳ぎ、見沼田んぼの枯れた葦の原では野鳥たちが元気に飛び交い、可愛い声でさえずっていました。

セキレイやモズやヒバリやコサギなどは元気が良すぎて写真には撮れません。葦にとまるシジュウカラや用水の堤の桜の木にとまるキツツキの一種のコゲラなどを撮ってきました。
野鳥たちは雪に負けずに、元気に春を待っているようでした。
(記入者:亀さん)
(写真は順に)雪の見沼田んぼ、見沼代用水のカモ、モズ?、シジュウカラ、コゲラ(キツツキ科)、ツグミ。[亀さんは野鳥の名前がよく分からないのですが、Well-Uさんのコメントで再度調べると、誤りがありましたので、ヒガラ→シジュウカラ、ヒヨドリ→ツグミに訂正しました。]

2008年2月 9日 (土)

連休初日の東京はまた大雪です!

   ―今年はよく雪が降りますね!― 080209052_2 080209063_2

連休初日の9日、東京は昼過ぎから雪が降り出しました。3日の積雪以来今週3回目の雪です。今年の東京は、これで多分5回目の雪です。

その雪は、1時間くらい降って、一旦止んでいたのですが、夕方から雨が降り出し、それが午後8時頃には雨が雪に変わり、現在もしんしんと雪が降っており、亀さんちの前の道は雪が積もりだしています。今年の積雪は3回目になります。

この調子だと、明朝までには相当の積雪になるでしょう!明朝は、近くの見沼田んぼに行って、雪景色の見沼田んぼを写してみようと思います。(記入者:亀さん)

2008年2月 8日 (金)

友あり、遠方より来たる!

―「れもん屋」高田馬場店で広島風お好み焼を食らう!―080207011080207022_208020703308020704

昨日(7日)、高校生の時に同じ下宿で1年間一緒だった 同期生のN君が出張で広島から上京してきました。亀さんは早速同じ下宿の住人だった同期生など3人に声を掛けて5人のミニ同期会を開きました。

会場に選んだのは、広島風お好み焼の「れもん屋」高田馬場店(注)です。この店は、飯田橋の「れもん屋」と姉妹店で、東京の広島風お好み焼屋として有名ですが、経営者・店長の川本君(写真)も同窓生で亀さんたちより1年後輩です。この店は、メインのお好み焼以外にも、でびら(干したかれい)、イカ天、広島菜漬などの郷土の味が堪能できるので、亀さんは時々行きます。

全員が還暦オトコの同期生ですから、故郷・広島のことや自分の定年退職後の今の仕事から政治情勢まで、色々な話をしましたが、いつの間にか、話題の中心は、自分を含めた家族の病気や子供・孫の話になっていて、みんなで「年を取ると、どうしても病気と子供・孫の話になるというが、そうだね。」とみんなで苦笑いしました。
広島の味を味わいながら、とりとめない話をして、10時頃まで楽しいひとときを過ごしました。正に、孔子の『論語』にある「友あり遠方より来たる、亦た楽しからずや」といったところでした。(記入者:亀さん)
(注)昨年4月18日の記事「広島風お好み焼き」:http://dankai-hiroba.cocolog-nifty.com/blog/2007/04/post_583b.html

 

2008年2月 7日 (木)

中国製冷凍ギョウザと食の安全

  ―福寿草。さんと手作りの学校給食―08020601jt_2

昨日(2月6日)、亀さんはいつも行く病院の隣りのビルの前に沢山の報道関係の車両が止まっているのを見ました。

「何だろう?」と思い、考えてみると、そのビルは農薬中毒事件の中国製冷凍ギョウザの輸入元のJTフーズの親会社のJT(日本たばこ産業)の本社ビル(写真)でした。
お昼のTVニュースを見ると、「JT・日清、冷凍食品事業の統合を撤回」を報じており、今朝見た多くの報道車両はその関係だったことを知りました。

それにしても、今回の中国製冷凍ギョウザ問題で、亀さんは、日本の家庭の食事や外食産業が外国製の加工食品にここまで頼っていたのかを知らされて愕然としました。また、食の安全を標榜する生協までが、安さを追求するためにか、外国製加工食品にここまで安易に頼っていたのかと残念に思いました(注1)

これに関連して、亀さんがいつも愛読しているブログの主宰者の「福寿草。」さん(注2)を紹介します。彼女は、学校給食を料理している方で、(多分)安い給食費の範囲内で栄養を考えながら、また、献立に工夫を凝らしながら、沢山の児童の毎日の学校給食をいつも手作りで作られています。労力は大変なものだと思いますし、このような方々の努力で学校給食の安全が守られているんだと思います(注3)

多くの児童のお母さん方も、手作りの学校給食を参考にして、食の安全のために、安易に外国製の加工食品に頼らないようにして欲しいと思います。(記入者:亀さん)
(注1)亀さんの奥さんは、生協に外国製の加工食品が増えてきたことに気付いて、最近は多少高くても会員制の「らでぃしゅぼうや」なども活用しながら、国産の野菜や食品を購入するようにしているそうです。
(注2)福寿草。さんのブログ:http://myhome.cururu.jp/junko2813/blog

(注3)報道によると、問題の中国企業の冷凍食品を給食に使用していた学校も全国で500校以上あったようですが、福寿草。さんの学校では500食の給食を2、3人で手作りされているようです。

2008年2月 3日 (日)

節分の日の東京は大雪!

    ―明日は立春なのに・・・―08020301 080203041 080203343 080203354

今日(2月3日)は、節分でした。明日は「立春」で、暦の上ではもう春になります。

しかし、今日の東京など首都圏は大雪でした。

亀さんが今朝起きてみると、亀さんちの庭は白い雪に覆われ、近所の公園では子供たちが雪ダルマを作ったり、雪合戦をして遊んでいました。(上段の写真)

亀さんは、家にこもっていたかったのですが、用事があって新宿のデパートまで出かけなければなりませんでした。いつもは最寄の駅まで乗用車で出るのですが、今日はバスで出ることにしてしました。

新宿などの都心は歩道の除雪が万全であり、また、新宿までは地下鉄を乗り継いで行けるので、積雪による影響はないのですが、バス停までの足元が覚束ないので、亀さんは長靴を履いて家を出ました。

新宿まで出ると、予想通り、車道も歩道も雪がほとんどなく、誰も長靴を履いていません(下段の写真)。そこで、亀さんは長靴を用意してきた革靴に履き替えて用事をしました。

夕方帰る頃には、雪はほとんど止んでいましたが、亀さんちの近くの路地には雪が解けずに残っていました。多分、明朝は、路面が凍って滑りやすくなっているでしょうから、出勤の時は長靴を履くことになりそうです。

そうそう、デパートの地下食品売り場では、節分に食べる恵方巻き(注)が売っていたので、亀さんの小さい頃の広島ではこのような習慣はありませんでしたが、それを買い、家で食べて、1年の幸運を願いました。(記入者:亀さん)

(注)恵方巻きとは:http://www.mizkan.co.jp/company/newsrelease/2006news/060113.html

「品格」本の著者の「品格」

   ―「品格」本の大流行―08020201

亀さんは、最近、3冊の「品格」本を読みました。

正確に言うと、まず最初に、同世代の官僚であった坂東眞理子の「女性の品格」や「親の品格」が話題になっていますが、(男性である亀さんが)「女性の品格」を読むわけにもいかず、「親の品格」(PHP新書)を読みました。

まず、坂東眞理子の「親の品格」については、表紙裏に「少子化、核家族化、共働きでむずかしくなった親子関係のあり方を、六六の例をあげて具体的に語る。・・・・著者の経験をもとに、いまの時代にふさわしい新しい考え方、振舞い方を提案する。」と内容を紹介しているが、内容は極めて常識的な建前を自分の自慢を交えて書きなぐったもので、なんの思想性も哲学性も感じられないものでした。

そもそも、ベストセラーになった藤原正彦の「国家の品格」の題名を真似て、その本の提起するテーマとは全然無関係の処世術について、「女性の品格」や「親の人格」という題名の本を物知り顔に書いて、出版する著者の「品格」に疑問すら感じました。(もちろん、内容的には、団塊世代の親たちが忘れてしまった「親のあるべき姿」の提示はあることは否定しないが、「品格」というものではないのでは・・・と感じました。)

余りにも、「親の品格」の読後感が悪かったので、亀さんは、それと似た事柄を扱っていると思われる阿川弘之の「大人の見識」(新潮新書)を読み、さらに、昨年読んだ藤原正彦の「国家の品格」(新潮新書)を読み直しました。

これらの2冊には、「親の品格」とは異なり、それぞれの世界を極めた各著者が、一般の常識とは違う自身の見解・思想・哲学を歴史や名著や文化等を例示しながら述べつつ、現在の日本人や日本の状況を分析し、警鐘を鳴らしているもので、著者の「品格」が感じられました。(記入者:亀さん)

2008年2月 2日 (土)

「ゆりかもめ」からの東京湾岸の眺め

木曜日に東京国際展示場の展示会&セミナー(ITpro EXPO 2008)に行くために、久しぶりに新橋から「ゆりかもめ」に乗った。「ゆりかもめ」は東京湾沿岸を展望できる旋回ルートやレインボウブリッジ上を走るルートなどがあり、眺めが素晴らしい。既に何十回も利用しているが、いつも乗るのを楽しみにしている。今回は、朝早く乗ったせいもあって、列車の先頭正面の席(無人運転で、運転席が無い)に座ることが出来たので、携帯電話カメラで沢山写真を撮った。  (INO記す)

<以下は写真説明>

1)潮留駅の付近、2)旋回ルート、3)レインボウブリッジ遠景、4)レインボウブリッジの入口からお台場方面を望む、5)東京湾の対岸、6)東京国際展示場の会議棟(愛称:ビッグサイト。昔、小生も国際展示場のある部分を担当した)、7)ITpro EXPO 2008(メインテーマはIT)でのRuby開発者のまつもと氏とロボット開発者のロボガレージ高橋氏の対談。

※ゆりかもめのルート http://www.yurikamome.co.jp/route/rou.php

※ゆりかもめの動画 http://vision.ameba.jp/watch.do?movie=83488

※ロボガレージ高橋氏インタヴュー http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/Interview/20080124/291926/?P=1&ST=itproexpo

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