広島原爆の日に
昨日は、昭和20年(1945年)8月6日8時15分に広島に原爆が投下されてから62年目の「広島原爆の日」でした。亀さんのように広島で育った者にとっては特別の日です。
亀さんの祖母も伯母もその日路面電車に乗っていて被爆し、また、父も翌日軍務で広島市街地に入って被爆しました。(しかし、伯母が戦後数年間原爆症の影響で喀血等をしていた以外は3人とも原爆症らしい症状もなく、天命を全うしました。)
また、亀さんの身近には原爆症の症状やその不安で苦しんでいる人がいます。また、中学・高校の同期生の中には胎内被爆(お母さんが妊娠中に被爆)をして原爆手帳を持っている人もいます。
亀さんが小学校の頃は、殆どの学校は8月6日が登校日で、原爆慰霊式を各校でやっていたと思います。そして、亀さんはその式で歌っていた「原爆許すまじ」の歌(注)を歌うと今でも身が引き締まります。
必死に核廃絶を唱えても、現実の世界政治を見ると現実的でないことは感じますが、今の政治家の中には(民主党の中にも)日本の核武装を主張をする人がいることは残念です。広島県人の亀さんは、「人間の叡智」を信じ、世界の人が核の脅威をいずれは分かるであろうと信じたい思いがあります。
ただ、最近気付いたことですが、亀さんたちが小さい頃は、原爆の日は「平和を祈った」日であったと思いますが、いつの間にか「平和であることを記念する」日になっているのは不思議なことです。特に、広島の式典が「平和記念式典(広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式)」と、正式には「記念」、括弧書きで「祈念」となっているのはどういう意味なのでしょうか?
平和は「記念」するものではなく、「祈念」し、主張し、論争して獲得できるのではないかと思います。皆さんも一度広島の原爆資料館等を訪ねて原爆のこと、平和のことを考えてみてください。(記入者:亀さん)
(写真)上:毎日新聞より、下:原爆ドーム、原爆慰霊碑、平和公園、峠三吉の詩碑、原爆の子の像
(注)「原爆許すまじ」:http://www.fukuchan.ac/music/j-sengo1/genbaku.html
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コメント
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うちの田舎(倉橋)の小学校、中学校でも8月6日は昔から登校日になってます。原爆投下の8時15分には皆で黙祷をするようです。
投稿: IWATO | 2007年8月 8日 (水) 22:38
> IWATOさんへ
亀さんの出た小学校は登校日ではないようです。
本当に残念です。
ところで、今でも「原爆許すまじ」は式で歌っているんでしょうか?
亀さんの職場の人は「原爆許すまじ」を全く知らず、聞いたことも無いそうです。
8月6日の登校日、「原爆許すまじ」は、広島だけのことのようです。残念です。
投稿: 亀さん | 2007年8月 9日 (木) 00:14
TB有り難うございます。
原爆の使用は人類生存の敵。核を持つ奴らに絶対に使わせてはなりません。
投稿: 練馬のんべ | 2007年8月 9日 (木) 23:43
広島には友達がたくさんいるし、原爆の被害等について関心がある私にとっては特別な街です。小学校で「平和の授業」をすると聞きましたが、この歌のことは初めて知りました。今はもう学校でも教えていないのでしょうか…
長崎にも同じような歌があるかもしれませんね。
投稿: みっく | 2007年8月10日 (金) 13:09
> 練馬のんべさんへ
どうすれば世界のみんなに核の脅威を理解させることが出来るのか。単に、広島・長崎の悲惨な状況を見聞させるだけでは分かってくれそうに無いので、焦りを感じます。
投稿: 亀さん | 2007年8月11日 (土) 22:18
>みっく さんへ
広島でも8月6日を登校日とし、慰霊祭を行っている小学校が減っているようです。また、「原爆許すまじ」が歌えない人の方が多いようです。
調べてみると、この歌は第5福竜丸事件の頃、「うたごえ運動」の中で生れた歌のようなので、ある政党系の教員の多い学校で歌われていたものかもしれないと亀さんは考えています。
しかし、(その政党を支持していない)亀さんでもこの歌の意味する内容が今の時代に必要だと考えています。
投稿: 亀さん | 2007年8月11日 (土) 22:37