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2007年2月 3日 (土)

私の想い出の曲(その1)1950年代

亀さんが「日本の百歌選」について、ブログに想い出を紹介しているのに刺激を受けて、INOさんも遥かな昔を思い出した。文化庁のリストは無視して、個人的に思い出すものを、子供時代から大学に入るまで辿って見たい。

まず、思い出すのは、幼稚園か小学校低学年の頃、応接間に鎮座していた手巻きぜんまい式の蓄音機。アンプは無くて、レコード針から管が伸びて、朝顔状のラッパに繋がっていた。レコードは、確かクラシック曲ばかりだったと思うが、曲名は判らない。父が若い頃に好きだったらしい。

その後に思い出すのは、小学校低学年頃の♪可愛い魚屋さん♪である。確か、雑誌などに挟み込む「ソノシート」というのが流行った時期で、ソノシートを小さなレコードプレーヤで聴いた記憶がある。これが、ハッキリ覚えている曲の最初である。

私が子供の頃は、テレビも無く、流行歌を家で聴く機会も少なくて、最も印象に残っているのは浪曲で、広澤寅蔵の♪清水の次郎長♪などである。歌ではないかもしれないが、いまのヒップポップよりもメロディアスだったと思う。学校の宿題を後回しにして聴いた記憶がある。

小学校低学年に爆発的に流行ったと記憶するのが春日八郎の♪お富さん♪。一人で風呂で口ずさんでいたくらいで、歌詞は「粋な黒塀見越しの松に、仇な姿の洗い髪、死んだ筈だよ お富さん、生きていたとは お釈迦様でも、知らぬ仏の お富さん、エーサオー 玄治店」。

一方、同じ頃に、10歳年上の兄貴が家に持ち帰ったレコードがあり、これは洋楽ばかりであった。覚えているのはポールアンカの♪you are my desteny♪やナットキングコール、ペレスプラードを次々に聞かせてくれた。小学校高学年以降は、次第に所謂ポピュラー音楽に傾いていった。

中学校は、亀さんと同じ広島県S中学校に進学し、広島に下宿した。その時からトランジスタラジオを愛用しており、ヒットソングは毎日のように聞いていたはずである。しかし、記憶の薄れた頭で覚えているのは、次の曲である。

広島の下宿から、土曜日曜は実家に帰っていたが、実家から下宿に出て来た日曜の夜は、中学生の身では寂しさを感じるときもあって、そんなときは歌謡曲がピッタリと来た。たとえば、フランク永井の♪赤い灯青い灯、灯る街角に~(曲名不詳)♪を呟いた。また、連続ラジオ小説の「人生劇場」の主題歌も好きだった。この曲は後に、会社に入ってから、私が飲み会で歌う定番になった。

---話が長くなりすぎたので、高校時代以降は、来週にします。

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