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2007年2月

2007年2月28日 (水)

AyuのCD・DVDを買ったよ!

浜崎あゆみBEST2 -WHITE--BLACK-本日発売!!

きのう、亀さんの古い携帯は無残にもぶっこわれた!ラッキーかな? 新しい携帯に古い携帯になかったカメラがついている。

最初に撮ったのは、地下鉄の構内のAyuのCD・DVDの宣伝ポスター! 待受け画面用に、通勤のときにパチリ! 

それに、きょうは忙しい! Ayuの2枚の「CD+DVD+DVD」(BEST2-WHITE-と-BLACK-)が本日発売される。職場の近くのHMV数寄屋橋に行く。これからがいつも亀さんの悩み。CDだけにするか、CD+DVDのセットにするか、という。

亀さんは、Ayuの顔かたちでなく声が好きだというものの、店員が「初回発売の限定ですよ。」と言うと、また、セットで買ってしまう。今回は、1度で2セットだから、大枚1枚が飛んでいった!

今度の土日に、CDの曲をipodに入れて、DVDを見ながら、ブログを書こう!(記入者:亀さん)

亀さんのipodとAyu:http://dankai-hiroba.cocolog-nifty.com/blog/2007/01/post_cac9.html

(写真左は亀さんの携帯で撮ったAyuのCD・DVDの宣伝ポスター、右は亀さんが買った浜崎あゆみBEST2-WHITE-と-BLACK-)

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今日の一日(桜木町⇒大手町⇒汐留⇒新宿)

今日は、東京は、昼間は日は差していたけれど、コートがはためくほど風が強く、体感温度は寒かった。仕事の方は、午前中は横浜・桜木町の事務所で資料を作り、午後は東京・大手町のCIAJでOさん主催のWG、夕方は汐留の某社に行って商品関連打合せ、と移動が多かった。忙しかったけれど、推進中のプロジェクトへの成果が多かったのが嬉しい。

夜になって帰宅の途に着いたが、久し振りに新宿で途中下車して、ぶらりと街を歩くことにした。まずは晩飯ということで、新宿・伊勢丹の近くの天麩羅屋F橋に行ったが、カウンタ席はアベックばかりで、一人静かに飲みながら天麩羅を食す羽目になった。今度は、友人を引き連れて、大勢で行こうと思う。

折角近くまで行ったので、伊勢丹デパートに入った。地下の食品フロアの一角のお酒売り場に行ってみると、なんとワイン売り場が大拡張されて100㎡以上?になり、国別にワインが並んでいた。実は、私は日本酒を愛しているのであるが、日本酒コーナは縮小されている。まだ、辺りは改装中の様子であり、日本酒も日本の地域ごとに銘柄を並べた展示になることを祈っている。伊勢丹は、いま大改装の最中のようで、店が綺麗になるのが楽しみである。(なお、店内は営業しながら改装中)

                               INO記す

2007年2月27日 (火)

初春の日比谷公園の花々

    ―春の陽気につられて―

暖冬の続きでしたが、ここ二、三日寒い日が続きました。

しかし、今日は最高気温15℃と3月中旬の気候で、まるで春の陽気でした。その陽気につられて、亀さんは、職場の近くの日比谷公園に散策に行き、春の花々を写してきました。
暖冬の影響で、秋に咲くコスモスがまだ粘って咲いていたのに驚きましたが、梅はすでにほとんど散っていました。一方、菜の花や大寒桜、
寒緋桜が満開で、ハナモモの開花ももうすぐです。寒緋桜にはメジロ沢山遊び、花をついばんでいましたが、都心にもメジロがいるんですね。

写真は順に、日比谷公園の菜の花、満開の大寒桜、寒緋桜とメジロ、もうじき咲くハナモモ、ミツマタの花、満開のマンサクです。

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2007年2月26日 (月)

団塊世代の同期会

―舟木一夫・高校三年生、大学紛争、企業戦士、そして還暦―

亀さんは、S高校の同期卒業生のうち関東在住者の同期会の幹事をしており、毎年、この時期にその同期会を開きます。

約470~480名の同期卒業生のうち、100名余りが関東地方に在住し、勤務しており、今年も、約40名が出席の予定です。亀さんは、その同期会の連絡の都度、みんなの顔を思い浮かべながら、中学校、高校の頃のこと、大学時代のこと、社会人になってからのことを考えます。

中学校、高校は同じ学校で、一緒で舟木一夫の「高校三年生」を歌い、楽しい学校生活を過ごしましたが、ほとんどの生徒が大学に進学する受験校であったため、厳しい受験戦争も経験しました。

その後、大学も学部もバラバラで、また、大学紛争などを経験して思想的にもそれぞれが異なる考えを持つようになった。また、職業的にも、学者・研究者・教員、弁護士、医者、マスコミ、官僚、会社員(銀行員、商社マン、営業マン、エンジニアなど)、企業経営者、店舗経営者等々、多方面にわたり、それぞれが、高度経済成長の下、多くの団塊の世代の集団の中で、それぞれの生き様で生きてきた。この時代には、各人の違いが強く感じられていました。

しかし、その大半が還暦を迎え、今年3月末までに全員が還暦を迎える。そして、そのほとんどが現役の第一線から引退する。そして、再就職をする人、新しい道を進む人、趣味に生きる人等々、多士済々である。

ただ、今までと異なり、各人の違いよりはみんなの同時代性(「同期の桜」的意識)が強く感じられるようになってきている。

同期会幹事の亀さんとしては、今後は、同時代を生きた者としての共通性を大切にして、引退後の人生の過ごし方についての情報交換の場として、あるいは、生活環境の変化に対応した心の安定の維持・回復のための語らいの場として、この同期会が大いに活用されるよう、同期会を盛り上げて生きたいと考えている。(記入者:亀さん)

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2007年2月24日 (土)

「つくしんぼ通信」No.2

  ―木曜日にお伝えした「つくしんぼ」の詳報―

先日予告しておりましたように、本日、「つくしんぼ」の状態を詳しく見てきました。

「つくしんぼ」らしい土筆は2本、もうじき「つくしんぼ」になりそうなものが3本、その周辺に「つくしんぼ」の赤ちゃん(注)が沢山ありました。しかし、まだ季節的に早いのか、「つくしんぼ」はあまりスタイルが良くなく、傷ついているような感じでした。今後、「つくしんぼ」の成長・変化を時々「つくしんぼ通信」としてお伝えいたします。(写真はNIKON D70で撮りました。)(記入者:亀さん)

(注)「つくしんぼ」の赤ちゃんとは、写真で、地面から出ている茶色の小さなラグビーボール状のように見えるもので、成長すると、つくしんぼになります。

(写真:上左が「つくしんぼ」第1号、上右が「つくしんぼ」第2号、下左がもうじき「つくしんぼ」になりそうなもの、下右が沢山の「つくしんぼ」の赤ちゃん)

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2007年2月23日 (金)

宮崎県は頑張っています!

 ―宮崎県のアンテナショップ KONNEに行こう!―

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亀さんは、今晩友人たちに会うために、新宿サザンテラス入口にある広島県のアンテナショップ「広島ゆめてらす」に行きました。

その隣りには、亀さんが応援する宮崎県のアンテナショップ「新宿みやざき館 KONNE」があります。(『こんね』は『おいで』という意味です。)亀さんは、「広島ゆめてらす」に行く前に、つい、「新宿みやざき館 KONNE」に入りました。口には、そのまんま東(東国原宮崎県知事)のポスターが客を迎えており、中では、鳥インフルエンザ騒ぎの中で奮闘する各種の「宮崎地鶏」の製品が展示即売されていました。

宮崎県出身者を中心に「宮崎地鶏」の製品を買い求める沢山の客で店内は賑わっていました。「これがそのまんま東で有名な宮崎地鶏なのね。」と言って買って行く若者もいました。亀さんも、友人たちへの手土産にするため、地鶏の炭火焼を買いました。

皆さんも、奮闘する宮崎県、東国原知事を応援するためにでも、話のネタにするためでもいいので、宮崎県のアンテナショップ KONNEに行ってみませんか。

ついでに、隣りの広島県のアンテナショップにも寄ってください(広島県人としてはこれも言っておかないと、マズイ!)(記入者:亀さん)

(参考)「新宿みやざき館 KONNE」:http://www.konne.jp/

    「広島ゆめてらす」:http://www.pref.hiroshima.jp/tokyo/

私達の知らない歌をどうか教えてください

AFFETTUOSO☆鈴木より子さん&押田純子さんからのメッセージをお知らせします。我々団塊の世代の思い出の曲を歌いたいとの趣旨です。関心のある方は、下記のアドレスのHPを訪ねて見てください。  

AFFETTUOSO☆HP  http://purple.ap.teacup.com/applet/dankai/3/trackback

2007年2月22日 (木)

「つくしんぼ」第1号を発見!!

  ―春はそこまで(第1報)―

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亀さんは東京の都心に地下鉄で45分の郊外の住宅地に住んでいますが、亀さんがいつも乗るバス停の近くの駐車場の片隅には、毎年、春になると、沢山の「つくしんぼ」(土筆、つくし)が芽を出します。

しかし、通勤を急ぐ人や通学の小学生たちの関心を引くことも、また、おひたしや天ぷらの材料にされることもなく、寂しく萎れ、スギナの大群に、ついで、雑草の草むらに隠れます。

亀さんはバスに乗るときに、「去年の夏はスギナが雑草に負けそうだったけど、今年もつくしんぼは出るかな?」と心配して見ていました。そして、最近は、「いくら暖冬でも、2月に土筆が出ることはないだろうな。」と思いつつ、いつも注意深く観察をしていました。

そして、今朝(2月22日の朝)、ついに今年の「つくしんぼ」第1号を発見しましたよ!! よく見ないと、「つくしんぼ」かどうか分からないようだけど、確かに「つくしんぼ」第1号!! 自分では気がつかなかったのですが、写真を注意して見ると、近くに小さいながら第2号も第3号も続いているようですが、詳しくは土曜日以降にじっくり見てみます。今日は、第1報まで。(記入者:亀さん)

2007年2月21日 (水)

「繊維のダイヤモンド」の原料を発見!

 070218043  ―長瀞アルプスで緑色060401120山繭」―

亀さんは、今度の山歩きで「山繭(やままゆ)」を見つけました。緑色の繭で、天蚕という野生の蚕がつくる繭です。あまりにも綺麗なので、一眼レフデジカメで写真に撮りました。

「山繭」は、低山歩きをしていると時々遭遇し、亀さんもこれで3回目になります。山歩きの仲間の中には集め、いずれは糸を紡いで織物にしようとしている人もいます。

蚕といえば桑の葉を食べて成長するカイコガの白い幼虫や白い繭玉が思い浮かび、亀さんもそう思っていたために、「桑の生えていない里山になぜ野生の蚕がいるのだろう?」と思っていました

ところが、天蚕という野生の蚕は、日本原種のヤママユガという、カイコガ(「天蚕」に対して「家蚕」という。)とは異なる蛾の幼虫で、アゲハチョウの幼虫に似た青虫です。飼料も桑の葉ではなく、クヌギ、コナラ、カシワ、シラカシなどの葉です。長瀞アルプスはコナラなどの雑木林でしたから、そこで「山繭」が見つかったのは当然だったようです。

家蚕は、数千年前から人の手で、しかも、家の中で飼育されるのに対して、天蚕は雨露・日光・気温の変化など過酷な自然環境に耐えて育つため、その繭も自然環境に耐えうる丈夫なものとなり、また、その繭は害虫から身を守るために木の葉と同じ保護色のエメラルド・グリーンをしています。

そのことから、その繭からとれる絹は、「繊維のダイヤモンド」とか「絹の女王」と呼ばれ、珍重されています。(記入者:亀さん)

(写真は、順に、長瀞アルプス、蛾ヶ岳で見た「山繭」です。)

2007年2月20日 (火)

奥秩父の里山は春の訪れ!2

-宝登山のロウバイ、マンサク、紅白の梅は満開-

長瀞アルプスの最後は宝登山(497.1)です。宝登山への最後の登りはかなりの急坂と長い階段で、これを一気に上ると汗が噴き出してきます。その山頂近くに、蝋梅(ロウバイ)園と梅百花園があります。

山麓から山頂近くまでロープウェイがあるので、一般の観光客も多く、1週間前の日曜日はロープウェイが3時間待ちだったそうですが、亀さんたちが行った日は小雨が降っていたので、それ程でもありませんでした。

黄色いロウバイは例年2月中下旬が満開ですが、今年は暖冬のせいで既に「満開直後」という状態でした。ロウバイは花の美しさよりは香を楽しむことが大切だと言われていますが、園内にいい香りが満ちていました。

ロウバイの後に咲く紅梅や白梅は満開直前で、木によっては満開の木もあり、これもいい香りを振りまいていました。

亀さんたちは山歩きが目的ですからロープウェイを使わず、歩いて下山しましたが、途中、マンサクやシナマンサクの黄色い花も満開でした。

それぞれの花々をNIKON D70で撮ってきましたが、いい香りが皆さんにお伝えできないのは残念です。(記入者:亀さん)

(写真は、順に、蝋梅園の風景、ロウバイ(接写)、白梅、紅梅、マンサク、シナマンサク)

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2007年2月19日 (月)

奥秩父の里山は春の訪れ!1

-紅色のウグイスカグラとその名の由来-

今週の日曜日も奥秩父の里山を歩きました。あいにく小雨でしたが、宝登山のロウバイがきれいだというので、長瀞アルプス→宝登山のコースを歩いてきました。

長瀞アルプスの入り口にある萬福寺の庭の梅の木は、暖冬の影響で、満開に近い状態でしたが、長瀞アルプスの里山は主としてコナラの雑木林で、ツツジや桜の木々も混じっているものの、この時期、ほとんど花らしい花はありませんでした。

しかし、所々でウグイスカグラ」が小さな紅色の花を咲かせていました。この可憐な花に春の訪れを感じて足を止め、一眼レフデジカメで写真を撮りました。

この時期の花の色は、キブシ、ロウバイ、マンサク、サンシュユなど黄色のものが多い中で、紅色の花は特徴的です。なお、6月頃には赤い小さな実がなります。

この花の名前の由来は、「早春、ウグイスが鳴き始める頃に花をつけるところから」という説、「早春、ウグイスがこの木の木陰に飛んできて、枝から枝へ飛び跳ねながら神楽を舞っていると見立てて」という説、「この実をウグイスがついばむ姿が神楽を踊っているように見えることから」という説等がありますが、春告げ鳥であるウグイスと関係していることは確かなようです。

こんな小さな花で色々なことに想いを巡らせるのもなかなか面白いものです。(記入者:亀さん)0702180121_20702180132_2

2007年2月18日 (日)

馬車道(横浜)の点景

ブログに「ブルーライトヨコハマ♪」をupしたら、福寿草さんから「わあ~懐かしい」とのコメントを頂いた。関内・桜木町あたりは、昔のデートコースだったらしい。そこで、ブルーライトヨコハマの記事では省略していた「馬車道の写真(昼飯で馬車道を歩いたときに携帯電話カメラで撮った)」を、取り急ぎ追加upします。 

☆馬車道案内 http://www.bashamichi.or.jp/home.html

                       (INO記す)                              

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アカシアの雨がやむとき

―外来生物法の「要注意外来生物リスト」とニセアカシア―

Robiniapseudoacacia先日(1月30日)、亀さんは、「日本の歌百選と団塊の世代の青春時代の歌」を書いたが(注1)、INOさんの歌に関する記事に触発されて考え直すと、どうも真面目ベースで書いていたきらいがあったと反省します。

1月14日(注2)の記事で書いたように、亀さんが小さい頃一番好きだった歌は西田佐知子の「アカシアの雨がやむとき」http://www.duarbo.jp/versoj/v-sengokayou/akasianoamegayamu.htm)です。小学校の校庭にあった(ニセ)アカシアの木を思い浮かべながら、何か悩みがあると歌っていたことを思い出します。

この歌の投げやりのムードは、第1次日米安保反対闘争で戦い疲れた学生の絶望的な心情にマッチしたと言われている。しかし、その頃中学生の亀さんがなぜこの歌が好きになったのかは分からない。多分、もともと内気で根暗であった性格に加えて、有名進学中学に入学した不安と家業の経営不振による家庭環境の変化を敏感に感じてのではないかと思う。

昨年6月、外来生物法が施行されたとき、この歌の「アカシア」は、アカシアではなく、同法の「要注意外来生物リスト」に記載されている「ハリエンジュ」(ニセアカシア)であり、自然保護上は問題のある植物であることを知り、びっくりしました。

確かに、登山に行く途中で、自然の河川を見ると、ニセアカシアの林が続き、日本古来の木々の林を絶滅の状態にまで追い込んでいる様子を時々目にします。しかし、このニセアカシアは災害防止のために植えられている場合もあり、駆除すれば良いというものでもないようです。(記入者:亀さん)

(注1)1月30日の記事:http://dankai-hiroba.cocolog-nifty.com/blog/2007/01/post_9107.html

(注2)1月14日の記事:http://dankai-hiroba.cocolog-nifty.com/blog/2007/01/post_cac9.html

2007年2月17日 (土)

ブルーライトヨコハマ♪♪

昭和44年に、石田あゆみさんが歌って大ヒットした「ブルーライトヨコハマ♪」は私も大好きである。歌詞は「♪街の灯りが とても綺麗ね ヨコハマ ブルーライトヨコハマ あなたと二人 幸せよ いつものように 愛の言葉を ヨコハマ ブルーライトヨコハマ 私にください あなたから」。歌詞とメロデイーをどうぞ・・・

http://momo-mid.com/mu_title/blue_light_yokohama.htm

実は、昨年から私はその歌の舞台と思われる「関内~みなとみらい」地区に勤務するようになった。自宅からは遠くて1時間半くらい掛かるが、昼も夜も、なかなかの風情で楽しい。関内は、明治大正時代の歴史ある建物が多く残っていて、昼飯を食べに馬車道を歩くと、旧横浜正金銀行本店などがさりげなく佇んでおり、古き良き時代が偲ばれる。桜木町のみなとみらい地区は、近代的な高層ビルと大型帆船、三菱造船所跡地、観覧車などが渾然となって独特の雰囲気である。いずれも、銀座・渋谷・新宿にはない素晴らしさがある

また、馬車道あたりから港に向かって真っ直ぐ行くと、神奈川県庁などがある「日本大通り」に達する。開港記念広場に面したMビルには十数年前に、一時期、私の部を置いた事があるが、眼下に港に突き出した大桟橋と山下公園が見えて、毎日、陽光に煌めく海を眺めるのが楽しみであった。

最近、想い出の場所めぐりで辺りを散歩して、携帯電話機カメラで、みなとみらい地区と開港記念広場付近を撮ったので御覧頂きたい。      

                            (INO記す)

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2007年2月15日 (木)

再び、東国原宮崎県知事

   ―県議会初日、好感触!

          頑張れ、宮崎!改革に前進!―

Chiji_photo_1東国原宮崎県知事については、2月4日に書いたが、今日の宮崎県議会2月定例会初日に、所信表明を行い、その直後の全員協議会では、入札改革の方針を打ち出した。内容的に、県政の改革に意欲的であり、真面目に県勢の発展に取り組む姿勢には好感が持てた。

宮崎県は、亀さんが住んでいた頃から県政界がまとまらず、常にバラバラの状態であったが、この際、県議会も県民も心を一つにして、頑張ってほしいものだ。

なお、副知事問題は、持永氏の起用については県民の抵抗感から断念し、総務省からの出向の河野総務部長を起用することにしたようだが、同氏には、前知事時代、筆頭部長の総務部長として前知事の不祥事を防止しえなかったことの反省の上に立って県政改革の筆頭に立ってほしいものだ。(記入者:亀さん)

2月4日の記事:http://dankai-hiroba.cocolog-nifty.com/blog/2007/02/post_a991.html

2007年2月14日 (水)

今日はバレンタインデー!

  ―オジサンもチョコを貰ったよ―

今日はバレンタインデー! 団塊世代・還暦オジサンの亀さんもいくつか貰ったよ!! もちろん、義理チョコだけど…(苦笑)。

先日もショッピングモールの専門店の前を通ったとき、高級ブランドのチョコレートを熱心に選んでいる若いギャルの姿を見て、ほほえましく、また、羨ましく感じました。(ただ、OLなどは本命チョコのほか多くの義理チョコを用意するために大変な出費となるようですね。)

女性がこの日に好きな男性へチョコレートを贈る日本特有の習慣(注1)は、昭和50年(1975年)頃に定着したようですが、今では小学生から若いOLにまで広まり、チョコレート年間売上げの20%はこの時期に売れるそうです。

                         亀さんが小さい頃のチョコレートは森永製菓や明治製菓の板チョコ(ミルクチョコレート)と駐留軍(注2)の売店から流れてくる調理用のチョコレートくらいで、しかも、「チョコレートを食べると鼻血が出る」と言って、年に数回しか食べさせてもらえませんでした。

高校生の時(昭和39年)に「ロッテ・ガーナ(ミルク)チョコレート」が発売され、爆発的な売上げを記録しました(注3)。さらに、大学生の頃(昭和44年)には、「グリコ・アーモンドチョコレート」が発売され、人気を博しました。このような過程を経て、一般でもチョコレートをよく食べられるようになったのです(注4)

                           しかし、亀さんが20代の頃までは、バレンタインデーにチョコレートを贈る習慣は定着しておらず、亀さんは本命チョコを貰わないままに結婚し、その後も妻以外の女性から本命チョコを貰うことはなく、この日のチョコレートは専ら義理チョコです。

(注1)昭和34年にメリーチョコレートが新宿伊勢丹で「バレンタインデーフェア」を行ったことがこの習慣の始まりのようである。

(注2)亀さんの住んでいた町には駐留軍の基地があり、その売店等から物資・食料品が市中に流通することがあり、その中に、チョコレートやチューインガム等もあった。

(注3)「ロッテ・ガーナチョコレート」は、その後、CMに当時人気TV番組「コメットさん」の九重佑三子が起用されて、人気沸騰となった。

(注4)ゴディバ、モロゾフ等の高級ブランド・チョコレートが一般に消費されるようになるのは、亀さんが社会人になってからのことである。(勿論、土産として貰うことがあったとは思うが…)

(記入者:亀さん)0702140107021402_1 07021403

2007年2月13日 (火)

亀さんちの庭の花

 ―暖冬のせいか、元気に咲いているよ!―

暖冬のせいで、亀さんちの庭の芝生には早くも雑草が元気に生えてきました。いつもは、日曜日毎に草取りをしていたのですが、最近は、日曜日はハイキングや山歩きに出かけ、草取りをさぼっていました。一昨日見ると、かなりの雑草が生えていましたので、慌てて草取りをしました。

草取りをしながら庭の草木を見ると、元気に花をつけていました。そこで、デジカメ(NIKON D70)で、写真を撮ってみました。

左上から、山茶花、黒椿、クリスマスローズ、馬酔木、アザレア(西洋ツツジ)です。このほか、門のそばの大きな植木鉢には寄せ植えパンジーが花を咲かせています。(記入者:亀さん)

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2007年2月12日 (月)

久しぶりに山歩きをしてきました

  ―四阿屋山の福寿草とロウバイ

四阿屋山(あずまやさん)の福寿草が満開だというので、久しぶりに、夫婦で山歩きをしました。奥秩父の四阿屋山は、百名山の四阿山(あずまやさん)と違って、772mの低い山ですが、頂上直下には鎖場もあり、面白い山です

当日は、天気が良く、途中のバスの中からは富士山もクッキリと見えましたし、登山中も周囲の奥秩父の山々が良く見えました。登山口と頂上の中間に福寿草の園地やロウバイの林があり、観光客も一杯でした。

福寿草は近年イノシシに荒らされ、高圧電線の柵内で保護されていましたが、黄色い花が満開でした。ロウバイも、暖冬の影響で、例年より早く満開になったようです。

この時季の花は黄色のものが多いのですが、時期的に少ない数の昆虫に目立ちやすいように昆虫の見やすい黄色になっているようです。(記入者:亀さん)

(写真は、左上から満開のロウバイの林、ロウバイの接写、満開の福寿草、四阿屋山から見た百名山の両神山、バスから見た富士山)

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2007年2月11日 (日)

私の想い出の曲(その2)1960年代

想い出の曲(その2)として、高校から大学入学当初までの1960年代前半です。

中学高校時代は、田舎から広島県H市に出てきて下宿生活をした。高校生になってからは、時代も豊かになってきて、私はSONYの高級トランジスタラジオを愛用していた。ラジオのリクエスト番組やヒットパレードなどで、毎日のように音楽を聴いていたはずであるが、記憶には数曲しか浮かばないので、インターネットで「1960年代、歌」で検索してみたら、既に60年代、:他の音楽を懐古したブログやHPが沢山あり、いろいろと思い出した。http://www.furano.ne.jp/saladhouse/html/song.html (伏田良の私的ヒットパレード)

60年代は団塊の人たちにとって宝物のような時期なのだと、あらためて気付いた。うろ覚えの曲名を並べても意味が無いので、私が個人的に想い出深い曲に絞って書くことをお許し頂きたい。

まず、高校に進級した頃の、コニーフランシスの「大人になりたい♪、可愛いベイビー♪」やへレンシャピロの「子供じゃないの♪」等など、歯切れの良いパンチのある声が強く印象に残っている。そのような歌い方は、生まれて初めて聴いた気がする。 また、その頃は「悲しき片思い♪、悲しき街角♪、悲しき雨音♪」など無闇にタイトルに雨や悲しいが入った曲が多かった。シャンソンにも目覚めて、「愛の賛歌♪(後年、結婚式で歌って貰った)、サン・トワ・マミー♪」など、従来の歌に慣れた耳にはカルチャーショックであった。

もう一つ思い出すのは、映画音楽である。そのころは、大画面で音楽も素晴らしい外国映画が日本に入ってきた時代である。「南太平洋のバリハイ♪、ウェストサイド物語のトゥナイト♪(自分でも50歳を過ぎて某合唱団で歌った)、アラビアのロレンス♪、西部劇アラモ砦♪」など目白押しである。

そして、革命的だったのが「ビートルズ」である。初めて聴いたのは「抱きしめたい(I want to hold your hands) ♪」で、高校3年ころに、木元教子さん(今も中年おばさんとしてTVで見かける)がラジオのディスクジョッキーをしていた番組で聴いた。革命的と思ったのは和音で、一見不協和音風だが、実はイギリス民謡などをベースにしていたらしく、なんとなく心地良くなるメロデイであった。  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%93%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%AB%E3%82%BA  (wikipedia)。http://www.delta.ro/beatles/beatles.html  (曲が聴けるオンラインショップ) 。

東京に出て来てから大学2年の春に、最早歴史になってしまった「ビートルズ東京公演(武道館)」があった。同級生N君の妹(高校生)が学校の規制で公演に行けなくなり、その切符を買わされて生のビートルズを武道館で聴いた。席の周りは女子高生と機動隊の渦であった。http://doraku.asahi.com/special/beatles/060801.html  (朝日新聞ドラク)

記憶の底から探して書けたのは、当時のほんの一部。60年代の音楽は、青春の思い出と絡んだ宝石のようである。

                                             INO記す

もうじき、ひな祭りですね!

  ―亀さんちは現在雛人形だらけ!―

亀さんちは、一人娘が既にお嫁に行き、たった一人の孫も男子で、ひな祭りを祝うべき人は誰もいない(はず…)! 待てよ。亀さんの細君は、「女の子」の幸せを願う、ひな祭りの対象かな?

いずれにせよ、雛人形を飾るこの時期になると、亀さんちでは、玄関、居間、和室の床の間、出窓、トイレなど、色々なところに色々な雛人形が飾ってあります。

その主なものをご覧ください!!

(なお、雄雛・雌雛の並べ方は、関東と亀さんの育った地方では異なっています。http://www.tenhodo.co.jp/momo/trivia.html

(記入者:亀さん)0702102033_1 070210204_1070210211

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2007年2月10日 (土)

『団塊フリーター計画』を読んで

  ―いわゆる団塊本の読後感想・第2弾―

070210011先日のブログに書いた、『定年オヤジのしつけ方』を購入する際に、勢い余って購入した本の島内晴美著『団塊フリーター計画』(NHK出版)を読んだので、予告どおり、その感想を書きます。この本を書いたのは、われら還暦オトコ3人組より3、4歳若いライター・編集者である。

この本の表紙裏には、「組織の中で燃焼しつくした団塊世代のセカンドステージに向けた応援本。60歳になったからこそ『夢あるフリーター生活をはじめよう』と提案する。組織人間の垢を落として、楽しいフリーランス生活を送るための手助け本となろう。」とある。

同世代の団塊オトコへの次世代からのバッシングに同情しつつ、この本の「おわりに」に書いてあるように、「群れることをやめ、一匹狼となって、自分の足で立つ、団塊世代の大群が、野に放たれることを想像するだけでわくわくする」としている。そして、団塊世代の自立を促し、具体的提案として、団塊世代の(会社勤めからの)早々の退陣、フリーランス的生き方の推奨、若年フリーターと団塊フリーターのポジションチェンジ等を提案している。

思えば、我々、団塊世代(特に、その前期)の多くは、学生時代は大学紛争等を通じて戦後の経済成長の中で生じた社会的矛盾を是正しようと強く意識し、何らかの行動をした。しかし、その思いが脆くも崩れ去ったとき、「我々が矛盾に満ちた社会の中に入り、仕事を通じて矛盾と対峙していけば、いずれこの矛盾は消し去ることができるはずだ。」と言いつつ、社会に入っていった。

しかし、そのような若者も、その多くが最前線の企業戦士として、いつしか会社、組織の既存のルールの中で行動するようになり、そして、定年を迎えている。

我々団塊世代の多くが当時感じた社会的矛盾は現在解消しているのか?と問われれば、「YES!」とは言えないであろう。

そのような意味から、団塊の世代は、著者の言うように、「群れることをやめ、一匹狼となって、自分の足で立」って、この社会の矛盾に再チャレンジしなければならないのかも知れない。

しかし、かく言う私達、3人組は、定年後も再就職するなどしているので、現実にはなかなか実行は難しいが、「会社人から社会人へ」への転換=フリーランス的生き方の実行には努力したいと思う。

(記入者:亀さん)

2007年2月 9日 (金)

インターネットカフェにて

帰宅途中の某駅にあるインターネットカフェに寄って、コーヒーを飲みながらブログを書いている。先程まで「私の思い出の曲達(その2)」を書いていて2/3くらい出来たところで、イキナリのタイムアウトで全て消えてしまった。30分100円であるが、怪しからぬ事に切れる前に警告も出ないらしい。再開する気力が出ないので一旦撤退して、自宅で再開することにする。皆さんも、インターネットカフェでブログなどに挑戦されるときは、お気をつけ下さい。                          (INO記す)

2007年2月 6日 (火)

『定年オヤジのしつけ方』を読んで

 ―いわゆる団塊本の読後感想・第1弾―

070205041 朝日新聞1月30日の夕刊に、実に刺激的というか、挑発的というか、『定年オヤジのしつけ方』というタイトルの本の広告が出ていた。小川有里さんという、我らと同じ学年(1946年生まれ)のエッセイストの書いた本である。

亀さんは、「己を知り、敵を知るものは百戦危うからず」という孫子の兵法を実践するため、さっそく書店にいってみた。

すると、その本の帯には、またまた刺激的な次の文字群。ああ、うっとうしい!毎日、家にいる夫。『定年迷子』をかかえた妻たちよ。今、立ち上がれ!家庭内2007年問題を解決する爆笑、痛快、実用エッセイ。」と。これは面白い!と即座に購入。

内容は、定年オヤジの特徴を分析して、著者が実践した対策(自立夫育て)を15か条にわたって具体的に記載してあり、実に亀さんをうならせるものがあった。著者の自立夫育ての根底に離婚しないつもりなら、なるべくいい関係で暮らしたほうが楽しいに決まっている。」というものがあり、飽くなき工夫の積み重ねをしたことがこの本の説得力を生んだのだと思う。ただ、著者の「しつけ方」を中心に書かれているが、現実には、著者の夫の「しつけられ方」も重要であったのではと思う。(なお、著者が夫のことをニックネームで『オジサン』というが、亀さんだったら、ユルサナイゾ!)

このブログを共同運営する3人は、ある者は定年後(再雇用ではなく)再就職し、毎日、会社生活を継続しており、ある者は元来仕事人間というより趣味人間であるため、いずれもが、この本の「オジサン」とは環境が異なる。

しかし、亀さんも子供たちが自立して、わが細君と2人だけの生活となった現在、二人の時間の過ごし方や接し方に少しずつ改善しつつあり、また、亀さんがこの本の『オジサン』と同じ環境になれば、わが細君もこのような「しつけ方」をしたくなるのであろうと確信する。

そこで、亀さんとしては、それを前提に、むやみに無駄な抵抗をすることもせず、かといって全面降伏をすることもなく、適切に対応できるように、また、「しつけ」の必要がないように、この本を参考にして、今のうちから徐々に細君や地域の人たちとの接し方を改善していこうと思っている。

この本を買うときに、勢い余って、近くにあった『団塊フリーター計画』(島内晴美著)も買ったが、この本の読後感想は、後刻…。

(記入者:亀さん)

2007年2月 4日 (日)

東国原英夫知事の挨拶状

  ―頑張れ、宮崎県!―

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先日、宮崎県の入札談合事件による前知事の辞職に伴う宮崎県知事選で、「そのまんま東」氏が当選し、東国原英夫知事が誕生した。

当選直後から同氏のインタビューを聞き、同氏のマニフェストを読み返し、就任後県政の課題に奔走する姿を見て、「ただのタレント知事ではないのでは…」と感じる今日この頃です。アメリカでは、俳優の経歴をもつロナルド・レーガン氏が第40代大統領に、また、アーノルド・シュワルツェネッガー氏がカリフォルニア州知事に選ばれていることや日本でも(元)タレントが国会議員に選出される例は与野党ともにあり、「(元)タレント」であることだけで、知事としての適性を議論することはナンセンスである。

その東国原英夫知事から亀さんに知事就任の挨拶状が届きました。(亀さんが若い頃4年間宮崎県で働いていた縁で挨拶状を頂いたのだと思います。)

いま、「宮崎県」というブランドは、地域格差問題に加えて、前知事の不祥事で地に落ち、そして今回は鳥インフルエンザの多発で絶体絶命のピンチです。今は、済んでしまった知事選の際の立場にこだわっている時ではありません。東国原知事が先頭に立って、県庁、県議会、県民が心を一つにこの難局を乗り切ることこそが大切です。

亀さんは、若い頃過ごした宮崎県がフェニックスのように飛躍することを心から祈り、精一杯の応援の声を張り上げたい。

なお、知事選での対立候補の官僚OBを副知事に起用することには、色々な意見があるが、県政界の対立解消や県民の一体化のためには大変いいことではないかと思う。(安倍内閣でも総裁選の対立候補の麻生氏が外務大臣で入閣しており、国政レベルでは対立候補の起用自体は珍しいことではない。)

(記入者:亀さん)

2007年2月 3日 (土)

私の想い出の曲(その1)1950年代

亀さんが「日本の百歌選」について、ブログに想い出を紹介しているのに刺激を受けて、INOさんも遥かな昔を思い出した。文化庁のリストは無視して、個人的に思い出すものを、子供時代から大学に入るまで辿って見たい。

まず、思い出すのは、幼稚園か小学校低学年の頃、応接間に鎮座していた手巻きぜんまい式の蓄音機。アンプは無くて、レコード針から管が伸びて、朝顔状のラッパに繋がっていた。レコードは、確かクラシック曲ばかりだったと思うが、曲名は判らない。父が若い頃に好きだったらしい。

その後に思い出すのは、小学校低学年頃の♪可愛い魚屋さん♪である。確か、雑誌などに挟み込む「ソノシート」というのが流行った時期で、ソノシートを小さなレコードプレーヤで聴いた記憶がある。これが、ハッキリ覚えている曲の最初である。

私が子供の頃は、テレビも無く、流行歌を家で聴く機会も少なくて、最も印象に残っているのは浪曲で、広澤寅蔵の♪清水の次郎長♪などである。歌ではないかもしれないが、いまのヒップポップよりもメロディアスだったと思う。学校の宿題を後回しにして聴いた記憶がある。

小学校低学年に爆発的に流行ったと記憶するのが春日八郎の♪お富さん♪。一人で風呂で口ずさんでいたくらいで、歌詞は「粋な黒塀見越しの松に、仇な姿の洗い髪、死んだ筈だよ お富さん、生きていたとは お釈迦様でも、知らぬ仏の お富さん、エーサオー 玄治店」。

一方、同じ頃に、10歳年上の兄貴が家に持ち帰ったレコードがあり、これは洋楽ばかりであった。覚えているのはポールアンカの♪you are my desteny♪やナットキングコール、ペレスプラードを次々に聞かせてくれた。小学校高学年以降は、次第に所謂ポピュラー音楽に傾いていった。

中学校は、亀さんと同じ広島県S中学校に進学し、広島に下宿した。その時からトランジスタラジオを愛用しており、ヒットソングは毎日のように聞いていたはずである。しかし、記憶の薄れた頭で覚えているのは、次の曲である。

広島の下宿から、土曜日曜は実家に帰っていたが、実家から下宿に出て来た日曜の夜は、中学生の身では寂しさを感じるときもあって、そんなときは歌謡曲がピッタリと来た。たとえば、フランク永井の♪赤い灯青い灯、灯る街角に~(曲名不詳)♪を呟いた。また、連続ラジオ小説の「人生劇場」の主題歌も好きだった。この曲は後に、会社に入ってから、私が飲み会で歌う定番になった。

---話が長くなりすぎたので、高校時代以降は、来週にします。

                                   INO記す

冬の青空に

   ―青空にラジコン・ヘリコプター―

女房から「見沼代用水のところから富士山がよく見えるよ」と言われて、Nikon D70を持って写真を撮りに行きましたが、既に靄が出ていて綺麗には撮れませんでした。

しかし、近くで、ラジコン・ヘリコプターを飛ばす団塊世代の人たちに会い、青く澄んだ空を飛び回るラジコン・ヘリコプターを写してきました。操縦用無線のための充電、飛行用燃料(アルコール系)の注入後、自分自身で綿密に整備点検をして飛ばすのですが、微妙な調整が必要だと言うことでした。とくに、風のある日は神経を使うようですが、この日は風は殆どありませんでした。なお、費用的には、1機50万円程度掛かるそうで、いい道楽のようです。

ラジコンを操縦する人たちが 快く撮影に協力して してくれ、離陸直後や着陸直前はスピードが落ちていることもあり撮りやすいのですが、上空で高速飛行中や曲芸中はなかなかピントが合わせにくく、苦労しました。その中で、4枚めの曲芸中の写真は我ながらよく撮れたと思っています。(記入者:亀さん)

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2007年2月 2日 (金)

愛宕山の梅

     ―暖冬で、早くも満開―

昨日(2月1日)のNHKテレビのニュースで、暖冬の影響により、早くも都心の愛宕山(港区)の梅が満開になったと報道していたので、Nikon D70で写して来ました。

ビルの谷間に紅白の梅がまるで春を迎えたかのように咲き誇っていました。(記入者:亀さん)

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