☆ お知らせ事項 ☆
本ブログにアクセス頂いている皆様、大変有難うございます。1件、お知らせを致します。
本ブログは、団塊のオジサン3名(亀さん、阿部さん、INO)で書いております。相当に記事が蓄積しましたので、各筆者ごとに分類した記事が出せると便利な場合もあると考えました。カテゴリに3名の名前を設けましたので、カテゴリを指定頂くと、各筆者毎の記事が参照できます。ご活用下さい。
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本ブログは、団塊のオジサン3名(亀さん、阿部さん、INO)で書いております。相当に記事が蓄積しましたので、各筆者ごとに分類した記事が出せると便利な場合もあると考えました。カテゴリに3名の名前を設けましたので、カテゴリを指定頂くと、各筆者毎の記事が参照できます。ご活用下さい。
―鐘が鳴る丘、いつでも夢を・高校三年生、
グループサウンズ・フォークソング…―
文化庁が1月14日、「親子で歌いつごう 日本の歌百選」を発表(注1)。世代間の断絶や人間関係の希薄化などの風潮を心配した河合隼雄同庁長官が発案。選ばれたのは101曲(なぜ100曲ではないの?)。戦前からの文部省唱歌、童謡が多いが、戦後の曲も歌謡曲を含め38曲選ばれている(注2)。
まず、“役所が選んだ歌を親と一緒に歌わなくても、一緒にカラオケに行くことが出来ればいいのでは…”というのが亀さんの最初の感想。
次に、亀さんは、百選に選ばれた歌を見ながら、自分自身の歌の歴史を回顧した。
亀さんの生まれた年代は、ラジオ、蓄音機、映画で歌を聴く。特に、NHKラジオの「歌のおばさん」(安西愛子)はよく聴いた。百選には、唱歌で「朝はどこから」、「みかんの花咲く丘」(以上、昭21)、「花の街」(昭22)が、歌謡曲で並木路子の「リンゴの唄」(昭20年10月)が選ばれているが、亀さんは小さい頃は選外の「鐘の鳴る丘(とんがり帽子)」(昭22)や「青い山脈」(昭24)の方が好きだった。また、戦後NHKラジオが「みんなのうた」で放送した「ゆりかごの歌」(大10)は幼稚園の学芸会で独唱した(注3)。
中学・高校時代は、朝ラジオで吉永小百合・橋幸夫「いつでも夢を」(昭37)などを聴いて汽車通学をしたが、この頃からTVの普及でより多くの流行歌が作られ、TVで歌を覚えた。TVの「ロッテ歌のアルバム」や「ザ・ヒットパレード」はよく見た。昭和38年には、「こんにちは赤ちゃん」(梓みちよ)、「見上げてごらん夜の星を」(坂本九)が浩宮(現皇太子)殿下誕生、経済復興への希望という世相を反映して流行した。TVの宇宙中継(衛星中継)でケネディ暗殺のニュースを見る直前には「高校三年生」(舟木一夫)を歌っていたように記憶している。
大学時代は、グループサウンズとフォークソングの最盛期。アルバイトと勉強で歌どころでなかった?が、たまに、学園紛争の集会やデモに行ってフォーク・反戦歌を歌い、酒を飲むと「帰って来たヨッパライ」(フォーク・クルセイダーズ、昭43。百選選外)を叫んでいたかな?
社会人の新人の頃は、真面目さを売るために?、「四季の歌」(芹洋子、昭47)や「知床旅情」(森繁久弥、昭46。百選選外)を歌っていたかな?
そんな青春もあった、団塊世代の亀さんです。
今は、ipodにAyuの曲が一杯の亀さん(注4)も当時は、「赤い風船」(昭48、もちろん、百選選外)を音痴で歌う淺田美代子がちょっとカワイイ!と思っていたかな?(記入者:亀さん)
(注2)亀さんの調査。戦後のものは、NHKのラジオ歌謡や「みんなのうた」の歌が多く採用されているが、歌謡曲・流行歌も18曲が選ばれ、坂本九の「上を向いて歩こう」(昭36)、中島みゆきの「時代」(昭50)、山口百恵の「秋桜」(昭52)、美空ひばりの「川の流れのように」(昭63)のほか、SMAPの「世界に一つだけの花」(平15)、森山良子や夏川りみ等の「涙そうそう」(平12)など最近の歌も選ばれている。これ以外に、NHKのみんなのうたで放送したものを流行歌手が歌ったものが4曲や戦前の歌であるが、「大きな古時計」、「ゆりかごのうた」のように、NHKの「みんなのうた」等にとりあげられ、戦後流行したものもある。
なお、坂本九の3曲、山口百恵、森山良子の2曲が目立つ。フォークグループ・赤い鳥の「翼をください」が選ばれているが、フォークソングとして選んだかどうかは疑問。
(注3) 「リンゴの唄」はGHQ検閲第1号で、戦後の解放感と不安にマッチして大流行した。「朝はどこから」、「花の街」のいずれも戦後復興を願って作られ、また、「鐘の鳴る丘」は戦争で親を亡くした浮浪者がたくましく成長する姿を歌ったもの。
(注4) http://dankai-hiroba.cocolog-nifty.com/blog/2007/01/post_cac9.html
(写真は、左が長野県安曇野市穂高にある鐘の鳴る丘のモデル、右が映画「青い山脈」(東宝等、昭24、出演:原節子、杉葉子等)の一場面)
我々が、日頃、水道や電気のように便利に使っているメール、WebやIP電話は、インターネットプロトコル(IP)技術の賜物であることはご、皆様承知の通りである。しかし、IP技術が我々の生活に直接に関わり始めたのは、近年になってからであり、その変化の早さには感慨を覚える。
実は、私は30数年前に通信&情報の某メーカに入社して以来、交換機開発を初めとしてネットワーク関係一筋だったが、仕事の経歴を振り返ると、IP技術が世の中に浸透してきたのが良く判る。IP製品がビジネスのなかで目立ち始めたのは20年前頃からであり、IP製品が従来技術の製品を凌ぎ始めたのは10年前頃からである。特に、交換機がアナログ交換機⇒IP交換機⇒SIPサーバー(所謂IP電話用)と変わったのは劇的であった。NTTも何年か前に従来型交換機の新規増設は止めてしまった。
インターネット白書2006年(http://www.iajapan.org/iwp/)によると、インターネット世帯普及率57.3%、ブロードバンド世帯普及率41.4%である。また総務省報道資料によるとブログ登録者数は868万人(平成18年3月末)である。我々は、この中の一員なわけである。
ところで、皆さんのブログは、ニフテイやヤフーなどのISP(インターネットサービスプロバイダ)提供のブログを使われていると思う。ISPが用意したブログ枠を選んで、コンテンツ(文章、写真など)を登録すれば自動的に美しいブログになって公開されている。実は、所謂ホームページ(HP)やブログの作成が、現在のように簡単になったのは最近2年くらいのことである。以前はHP作成はHTMLという専用言語で書く必要があり、専門家しか作成/更新が出来なかった。その結果、会社や諸機関のHPは一度作ったら何ヶ月も変わらない看板のようなものが多かったわけである。しかし、近年になって「HPの見栄えを決めるデータと、コンテンツのデータを分離する方式」が出来て、見栄えを決めるデータは専門会社が作り、コンテンツはワープロ感覚で素人でも更新できるようになった。これでブログのように毎日でも内容更新が可能になった。(注1)
さらに、ブログは次の特長により、個人による情報発信を可能とする、革命的なコミュニケーションツールとなっている。Web上では個人と企業が対等になってしまうのである。
1)ブログツールにより、容易に記事の作成/更新が出来る。またツールよって自動的に作成されたHPデータは、サーチエンジンから見て最良の構造となっており、SEO効果(検索結果の上位に出る)が高い。
2)コンテンツの管理機能があり、読者またはライタ本人にとって、最新記事や分類された記事へのアクセスが容易。
3)コメント、トラックバック機能で双方向の交流が可能。これにより、同好の志のネットワーク作りが容易。強力な口コミ効果があり、例えば亀さん(本ブログの共同ライタ)の「小説:散るぞ悲しき」と「映画:硫黄島」記事の爆発的トラヒック(従来のアクセスの5倍以上)の様子を見ると、ブログは映画や本などへの口コミに相当な影響力があると思える。
4)昨年からブログの特長を活かしてビジネスへの活用も増えてきた
以上のお話が皆様のご参考になれば幸いである。私も、今後ともインターネットとブログを楽しもうと思う。
INO記
ーーーーーー
(注1)この方式は、米国のシックス・アパート社が開発したMovableTypeというブログシステムが代表的。日本ではニフティのココログが草分けで最初に採用した。なお、この方式はビジネス用のブログでも使われており、Webマーケテイングのツールともなっている。
蛇足: 自慢の観光写真(ニース)です
ABEさんから「気まぐれ読書日記 200年1月」が届いた。ABEさんは、いまは民間会社に勤務しているけれど、新聞記者として活躍していた時代がある。気のせいか文章に作家的な雰囲気があって、気まぐれ読書日記も、読ませる力がある。
ABEさんは、昨年末の高校同期の忘年会で、ブログの共同ライターになる約束をしたが、相変わらずメールで日記のデータを送ってきただけである。とりあえず、今回は、代理として日記をUPすることにする。 代理 INO
【気まぐれ読書日記 2007年1月】 「ABE-NIKKI-2007-1.doc」をダウンロード
亀さんは、遅ればせながらも、今、リリー・フランキーの「東京タワー オカンとボクと、時々、オトン」を読んでいますが、東京タワー(1958年)は、東京オリンピック(1964年)、高速道路(注1)・新幹線(1964年)、霞ヶ関ビル(1968年)などとともに、戦後復興・日本経済発展のモニュメントであり、団塊世代の青春のモニュメントであったなあと感じます。
だが、ふと気がつくと、それらのモニュメントの存在が最近希薄化しています。
例えば、「霞ヶ関ビル」は、その建設が映画「超高層のあけぼの」(注2)のテーマになるなど、国民全体の誇りとまで言われ、つい最近までその存在感を周囲に誇っていました。しかし、隣接地の文部科学省・会計検査院ビルの再開発(写真手前の2棟のビル。その右側の棟の奥が霞ヶ関ビル。)やJTビルの建設で、影が薄くなっています。
また、「東京タワー」も、映画、ドラマ、小説、漫画、音楽等に取りあげられ、都内のどこからでも見える、東京のシンボルでした。新幹線等からそれが見えると、「東京に着いた!」と思うほどでした。それが今ではビルの谷間からかろうじて見える状態ですし、2011年には新東京タワー(すみだタワー)に取って代わられる予定です。最近も、冒頭のリリー・フランキー原作の映画・ドラマや映画「ALWAY 三丁目の夕日」も東京タワーを題材としていますが、過去の風物詩的な捉え方です。
さらに、スッと青い空に威容を誇った国会議事堂の背後には、高層ビルや現在建設中のTBSのビルがかぶさっており、存在感は薄れています。また、周辺の歩道は、団塊世代の青春時代の所業(注3)でつい最近までアスファルト舗装でしたが、石畳風のブロック舗装になり、団塊世代の青春の記念碑がまた一つ消えていきました。
それらのモニュメントの希薄化は時代の流れですので仕方ありませんが、団塊世代そのものがその存在感を希薄化させることは断固避けなければならないと感じる今日この頃です。(記入者:亀さん)
(注1)首都高速:1962から、名神高速:1963年から、東名高速:1968年から順次整備。(注2)1969年東映作品で、池部良、新珠三千代、松本幸四郎、丹波哲郎、小林稔侍、田村正和等が出演。この前後、黒四ダム建設をテーマにした「黒部の太陽」(1968年)、鹿島開発をテーマにした「甦る大地」(1971年)等の日本の経済発展を誇る映画が製作され、人気を博しました。(注3)都内の歩道の舗装は、石畳又はコンクリートブロックであったが、大学紛争等の際、投石用に使ったので、それを防止するために、アスファルト舗装になりました。
―団塊世代の学校給食の思い出―
自前のアルミの食器、コッペパン・脱脂粉乳・鯨肉・肝油ドロップ
「給食費滞納9万9000人」「原因の6割『親のモラル』」などと小中学校の学校給食費の滞納が問題化しているとの新聞記事(注1)を読んで、亀さんたち団塊世代の学校給食はどうだったか、記憶を呼び起こしてみました。
亀さんの住んでいた町では、学校給食は小学校だけで、中学校にはありませんでした。
食器は自前のアルミ製の皿1枚、椀2個と箸を「給食袋」に入れ、それをランドセルに吊して、ガチャガチャ鳴らしながら通学します。
給食時間になると、みんなから選ばれた給食係(白いエプロン・頭巾・マスクを着用)が調理室から教室へ大きな箱に入ったコッペパン、バケツに入った脱脂粉乳とおかずを運んでくる。他の人は机の上に自分の食器を並べて待っています。そして、給食係がみんなに配り、先生と一緒に食べます。
今でこそ、米飯給食もあるが、当時はパンが近代的ということで、ホットドックロールに似た「コッペパン」。塗るのはマーガリン(みんなは「バター」と言っていた)かジャム。スライス食パンは6年生の時からで週1回。
みんなに嫌われたのは、米国の援助物資の「脱脂粉乳」(注2。スキムミルク)。みんな、不味く臭くても、栄養があるからと言って鼻をつまんで飲んだ(注3)。亀さんは、ヤギの乳よりは美味しいと思って飲みました。
おかずは、魚介類や野菜・豆・芋類の煮物が主力で、肉はあまり出ず、時たまに出るのは当時安かった鯨の肉か魚肉ソーセージ。亀さんが「人間の食べ物でない」と駄々をこねたのは、「おから」。亀さんはウサギの餌にしていましたので。
デザートはなし。デザートにミカンやリンゴやヨーグルトが出るのは、亀さんたちが卒業してから。そうそう! 金が払った人にだけ、「肝油ゼリー(ドロップ)」が1個配られ、美味しそうにデザートとして食べました。
給食代は、月1回、袋に入れて先生に渡す。期日までに持って行かないと、みんなの面前で先生が注意するので、誰が滞納しているかがすぐ分かった。また、生活保護家庭等貧しい人は免除されていましたが、誰が免除されているのかもすぐ分かりました。
当時は、みんながおおらかで、肝油について差別的だという話もなく、みんなの面前で先生が給食費を督促しても個人情報漏洩などとは言われない時代でした。
(注1)「doc0701251503430001.pdf」をダウンロード
(注2)脱脂粉乳が援助物資に決定した経緯等は次の資料に詳しい。
http://homepage3.nifty.com/ksmansaku/site1/zatsuji_20011222.html
(注3)脱脂粉乳が牛乳に比べて不味いというのではない。だって、一般家庭では、牛乳など殆ど飲んだことはなく、かなり豊かな亀さんちですら、毎朝、近所の農家からヤギの乳を買って飲むのが贅沢だったくらいだ。
―ここにも暖冬の影響?―
<ヒント1>霜柱(シモバシラ)の花とも言います。シモバシラの花は年2回開花します。
まず、上の写真がシソ科の植物のシモバシラ(別名 ユキヨセソウ)の花で、東京近辺では9月頃咲きます。シソ科の花ですからシソの花に似ており(アタリマエ?!)、大したこともないありきたりの花です。
<ヒント2>2回目の開花は狂い咲きではありません。植物名から考えて下さい。
下の写真は、亀さんが一昨年12月に影信山で撮った霜柱の花です。
シモバシラは、冬になると枯れますが、冷え込む朝、枯れた茎から土中の水分が鱗状の氷の柱となって張りだし、まさしく植物名のとおり「霜柱の花」を咲かせます。夏の花と区別して「霜の花」ともいいます。(シモバシラ以外の植物でも「霜の花」が咲くこともあるようです。)
この「霜の花」が暖冬のこの冬は開花が遅れているようで、影信山の山頂にある「かげ信小屋」のご主人の話では、今日(1月24日)までのところ、開花(出現)していないそうです。(小さいものが出現したこともあるが)
こんなところにも暖冬の影響が出ているのですね。
仕事始めの乾杯の時、ツマミの包みを見ると「猪肉」とありました。亀さんが「今年は猪年で、猪の肉とは気が利くね。」と言うと、「それ、豚肉です。」と正月休みに上海旅行をした部下が言った。
そもそも「猪」の字は日本の「豚」を意味し、「豚」は太った猪(豚)を意味するそうです。
因みに、日本でいう「猪」は中国では「野猪」というそうです。
日本では今年は「猪(亥)年」であるが、中国や韓国では「豚年」のようです。なかでも、「丁亥(ひのとい)」の年で、(丁の字が火を意味するため、)「60年ぶりの赤い豚の年」と解釈され、また、巷では中国の陰陽五行思想に基づいて?「600年ぶりの“黄金の豚年”」とも言われているようです。
それにあやかって、中国や韓国(注)では「黄金豚の貯金箱(金豚貯)」のブームだそうです。かわいい金色の豚の胴体には、進・財・招・宝など縁起のよい字を組み合わせて宝船の形に見立てたものが赤く描かれています。
亀さんは、毎年、広島カープの優勝を信じて、優勝記念の紅白饅頭の費用に充てるために、日々手にする五百円玉を使わず、貯金箱で入れて貯めていますが、今年は、この「黄金豚の貯金箱」を近くのSC内のアジア雑貨の販売店で見つけたので、今年の貯金箱は「黄金豚の貯金箱」にすることにしました。
ついでですが、「猪」のように、日本と中国で意味の異なる漢字は多いようです。亀さんは、昔、国語の教科書で、「鮎」という字は中国で「鯰(なまず)」を意味することを日本書紀(の神功皇后の逸話)との関連で習った記憶があります。その際、「鮭」という字は中国で「河豚(ふぐ)」を意味するとも習いました。
(注)どちらの国が発信源かは多説あり、不明。
(広島カープ初優勝時のパレードの写真は広島市立大・佐藤氏の提供)
(記入者:亀さん)
先日、梯久美子「散るぞ悲しき」について、読後感想を書いたら、何人かの方から、クリント・イーストウッド監督の「硫黄島からの手紙」を見るように勧められました。
そこで、先日書いたイオン浦和美園SCの中にあるシネマコンプレックスの「ワーナー・マイカル・シネマズ浦和美園」に見に行きました。ここは、11のスクリーン(座席数2087)で、同時に17本の映画を上映し、駐車料金も4時間無料という便利さです。しかも全席指定で、亀さんは60歳以上ということで、僅か1000円でした。
映画は、渡辺謙、二宮和也、伊原剛志、加瀬亮、中村獅童の好演もあって、いい映画であったが・・・というところですが、映画を見る前に亀さんが心配していた「散るぞ悲しき」で出来上がったイメージが壊れるということはありませんでした。(順番としては、映画を見てから、その後で「散るぞ悲しき」を読んだ方がいいでしょう。)
言い換えると、栗林中将の全人格的なものは「散るぞ悲しき」ほど描き切れていなかったと思います。むしろ、一般兵士・西郷役の二宮、元憲兵・清水役の加瀬、バロン西役の伊原が栗林中将を取り巻く人間として、味が出ていたと感じました。
既に公開・上映が終わっている「父親たちの星条旗」も見てみたいと思いました。(記入者:亀さん)
いま、日経新聞朝刊に江崎玲於奈さんの「私の履歴書」が連載されている。江崎さんは、皆さんご承知のようにエサキダイオードの「半導体のトンネル効果の発見」でノーベル賞を貰った研究者である。第二次世界大戦中に学生時代を過ごし色々と大変な状況があったが、東京大学理学部物理学科で勉強したのが研究者としてのスタートである。
江崎さんは1947年に神戸工業に入社。半導体の研究を開始しSONYよりも半年早くトランジスタラジオを作ったそうである。後に、半導体の本格的研究環境を求めてSONYに移り、ダイオードのPN結合の研究に没頭した。そして1957年にエサキダイオードの発見に至った。
ところで、江崎さんが神戸工業に入社した1947年は、世界スケールでは「アメリカのベル研究所で半導体トランジスタの誕生」、個人スケールでは、私INOさんが誕生した年である。なんと、トランジスタと私は、同い年60歳(団塊世代の仲間?)。
トランジスタと自分が同い歳と思うと、私の理科好きの人生も格別の味がしてくる。思えば、私が小学生のときに、親父が高価なSONYのトランジスタラジオを嬉しそうに家に持ち帰った日を覚えている。煙草のピースの箱を一回り大きくした形であった。裏蓋を開けるとビッシリと部品が詰まっていた。 そして、S高校の物理班のときに、エサキダイオードのことを聞きつけて、広島のSONY支店に出かけて買い求め、実験室で「負性抵抗(電圧を上げたのに電流が減ってしまう)」を測定して喜んだものである。 さらに、通信機と国産コンピュータが旗印の某社に就職してからは、製品は全て半導体の塊(IC,LSI)だった訳である。まさに、自分は半導体の進歩とともに歩んできた感じもする。
INO記す ◆付録:エサキダイオード発見の瞬間(日経新聞朝刊1月16日、私の履歴書より) 「57年7月の暑い夏であった。研究室の冷房はきかない。逆方向ダイオードを零下約80度の槽に入れ、順方向に流れるトンネル電流を見ていると、何と、かける電圧を上げるほど流れる電流が少なくなる、いわゆる「負性抵抗」を発見したのである。これがエサキダイオードの嚆矢である。」(江崎玲於奈氏記)
http://www.ne.jp/asahi/uchio/tokyo/radiokobo2/tr-radio1/sony.html
-2006年留学生文学賞の授賞式-
あなたは、「留学生文学賞」を知っていますか?
左は留学生文学賞のシリン・ネエザマフィさん、上は受賞者と選考委員
「留学生文学賞」は、外国人留学生のための日本語文学新人賞です(注1)。
亀さんやINOさんの高校の同期生であり、新宿・檸檬屋の主人である住枝君と日本語文学を学ぶアジアからの留学生との交流のなかで生まれ、ボランティアが支える特異な文学賞です。
このことは、一昨年、朝日新聞夕刊の「ニッポン人脈記」に「アジアの留学生と」と題して10回にわたり紹介されました(注2)。
亀さんは、この賞に関係する人や審査委員などの(進歩的な)思想について行けないところがあるのですが、同期のよしみで初期段階からささやかに応援しています。
昨日(1月19日)、その授賞式と記念パーティが神田神保町の学士会館であり、亀さんも参加しました。
今回は、13カ国・地域の留学生から78編の小説、詩、エッセイが応募され、留学生文学賞は神戸大学大学院で学んだイラン人女性が、各種の奨励作品賞はコートジボワール(アフリカ)、モンゴル、マレーシア、中国からの留学生が受賞しました。
そのため、会合は国際色豊かなものでした。また、栖原東京大学留学生センター教授、評論家の呉智英氏、作家の辻井喬(堤清二)氏、宮崎学氏等の著名人も多く出席されていました。
二次会は、受賞者、選考委員を交えて、新宿の檸檬屋で開かれたが、夜も遅くなりそうなので、亀さんは参加しませんでした。
このような活動を通じて、日本の文化がアジアを始め世界に理解され、世界の人たちの相互理解と世界平和につながることを祈っています。
(記入者:亀さん)
(注1) 留学生文学賞の詳細は、http://www.ryu-bun.org/
(注2) 朝日新聞の記事の詳細は、http://www.ryu-bun.org/scrap/asahi0509.html
(下の写真は会場風景)
-硫黄島総指揮官・栗林忠道-
太平洋戦争末期の硫黄島の戦いをめぐるクリント・イーストウッド監督の2部作、『父親たちの星条旗』・『硫黄島からの手紙』が話題になっていますが、この本は、硫黄島の戦いを指揮した栗林中将に関するノンフィクションで、昨年の大宅荘一ノンフィクション賞受賞作(注1)です。
亀さんは、戦争映画があまり好きではないので、前記の映画をまだ見ていませんが、先日、たまたま書店でこの本を見て、その冒頭写真(同中将の家族宛の手紙など)や本の帯(注2)から今までの戦争物ではないことを直感して、つい買ったのです。
この本を読んで、勝利の望めない戦いでの同中将の戦術・指揮、部下との接し方・家族への手紙等の人となりを通じて(注3)、リーダーシップ、組織論、家族・祖国愛等のあり方を考えさせられました。と同時に、中枢部門(大本営)と現場(硫黄島)との認識の差を通じ、現場を踏まえた中枢部門の判断の重要性を感じました。 また、この本を読んで、亀さんも『硫黄島からの手紙』を見ようかなと思い始めています。
なお、この本に出てくる同中将の次女たか子(故人)は、亀さんが住んでいる市を含む選挙区から選出されている新藤義孝衆院議員の母さんです。
(注1)この本の題名の「散るぞ悲しき」は、「戦局、最後の関頭に直面せり。敵来攻以来麾下将兵の敢闘は真に鬼神を哭かしむるものあり。」で始まる同中将の大本営宛の訣別電報の最後にある辞世の3首の一つ「国の為重きつとめを果し得で 矢弾尽き果て散るぞ悲しき」から採られている。
(注2)本の帯には、「娘よ!妻よ!絶海の孤島からの手紙が胸を打つ―死よりも、苦しい生を生きた烈々たる記録。」とある。
(注3)同中将は、戦術面では極めて冷静に合理的に判断して、2万人の弱小で殆ど「徒手空拳」の兵を率い、勝ち目のない出血持久戦を展開し、「バンザイ突撃」や自決で美しく果てることより最後まで戦い抜くことを命じ、自ら先頭に立って「甲斐ある死」を遂げている。一方で、砲撃の絶えない戦地から細やか過ぎるほどの愛情と優しさに満ちた手紙を家族に送り続けている。
(記入者:亀さん)
上の左は亀さんのipodですが、この中には828曲の音楽が入っています。ジャンル別では、クラシック302曲、ジャズ25曲、ロック34曲で、残りはポップスや日本の流行歌・演歌です。
実は、亀さんはクラシックは苦手で、市民オーケストラや合唱団に入っている友人たちとの付き合い上、知識として聴いているだけです(もちろん、ビゼーの「耳に残るは君の歌声」(オペラ『真珠採り』より)のように好きなクラシックもできましたが)。
白状すると、828曲中175曲は浜崎あゆみ(Ayu)の歌なんです。Ayuの投げやりでケダルイ歌い方がいい(注)のです。容姿・衣装にはあまり関心がありません。もっとも、亀さんのパソコン部屋の壁にはAyuの最新アルバム「Secret」のポスター(上中央の写真)が貼ってあります。
ただ、最近は、絢香(あやか)の歌も少し気になる亀さんです(上右の写真:絢香オフィシャルウェブサイトより)。
(注)そう言えば、中学生の頃は、西田佐知子の「アカシアの雨がやむとき」の物憂い歌声が大好きでした。
(記入者:亀さん)
―イオン浦和美園SCで感じたこと―
郊外型ショッピングセンター(SC)の立地ラッシュが続き、しかもその大型化と複合化は顕著です。最近でも、日産武蔵村山工場跡地に関東最大級の「ダイヤモンドシティ・ミュー」がオープンしましたが、亀さんちの近くに同規模(店舗面積約8.7万㎡)のイオン浦和美園SCという大ショッピングモールがあります。
このような大規模な郊外型ショッピングセンターの立地は既存商店街や中心市街地の衰退を招いていると言われています。
そこで、亀さんがイオン浦和美園SCに行って、SCの魅力と既存商店街の課題を分析しました。
1.このSCは、武蔵村山のようにデパートは入っていませんが、ジャスコと3層のモールからなり、モールには170以上の 多種多様なテナント(注1)が出店し、消費者の大体のニーズ を1箇所で満たしてくれます。
1つの店舗施設と言うよりも、大商店街と言うべきでしょう。消費者は、買う・食べる・遊ぶなどといった楽しみを感じつつ、このSCで長時間を過ごします。逆に言えば、このSCの経営・企画者は、それを狙って自信を持ってこのような開発をしたのでしょう。その表れが「駐車料金3時間無料」(注2)という形に出ているのだと感じました(注3)。
2.一方、既存商店街はどうかというと、SCのような統一した運営意図やコンセプトがなく、また、商品知識も少ない店舗が多く、無料駐車場も少ないようです。これでは、消費者に見捨てられてしまいます。頑張ってほしいものです。
(注1)モール部分は、家電量販店、大規模書店、ファッション・雑貨等の専門店、レストラン、シネマコンプレックス、フィットネス、アミューズメントのほか、眼科、歯科、動物病院、美容室、カルチャー教室など170以上のテナントが出店。
(注2)買い物をすれば2時間増、シネマ利用だとさらに1時間増
(注3)ただ、このようなSCも永久に立地し続けるわけではなく、消費者ニーズの変化で撤退する場合もあるので、既存商店街との併存が必要でしょう。
(記入者:亀さん)
―木曽呂の富士塚―
亀さんは、昨年8月、標高3776mの富士山に登りました(本ブログの昨年9月4日にご来光の写真を投稿)が、誰でも簡単に登れる富士山を紹介します。
それは、一昨日に紹介した「見沼通船堀」の傍にある川口「木曽呂の富士塚」です。
富士塚は、富士浅間信仰に基づき、老若男女が誰でも富士登山ができるように、富士山を模して造られた人工の山や塚で、江戸時代から明治・大正期にかけて、関東地方を中心に盛んに造られ、東京だけでも100以上、全国では200~300あるといわれています。
なかでも、「木曽呂の富士塚」は、寛永12年(1800年)の築造で、国から重要有形民俗文化財に指定されている全国で4箇所の富士塚(江古田、豊島長崎、下谷坂本、木曽呂)の中でも最古のものであるうえに、「見沼通船堀」の関連遺産として国指定史跡としても指定されています。
昨年、皇太子殿下が見沼通船堀をご視察(行啓)された際には、この木曽呂の富士塚もご視察されました。
なお、富士塚の多くは、神社の境内にあるのですが(1月2日の本ブログで紹介したT神社にも小さな富士塚がある)、木曽呂の富士塚は、築造した人(蓮見知重)の子孫が個人所有しており、隣接地にはその縁者の経営の美味しいそば処「はすみ」があります。
見沼通船堀など見沼代用水の散策の足を休め、美味しい蕎麦を味わい、「木曽呂の富士塚」に登って見沼通船堀などの景色を楽しむのもいいかと思います。
(記入者:亀さん)
―国指定史跡・見沼通船堀の風景―
亀さんの見沼代用水散策の第4弾として、亀さんの住まいの近くにある見沼通船堀を紹介します。
見沼通船堀は江戸時代中期に造られた日本最古の閘門式運河(パナマ運河と同じ様式)で、その詳細や原理は下の説明板の写真に詳しい。
わが国の技術の歴史を知る上で一見の価値があり、見沼代用水の自然散策をする際には必見の個所となっている。
なお、昨年2月、皇太子殿下は、第4回世界水フォーラム(昨年3月にメキシコで開催)での基調講演(「江戸と水運」)に先立って、この見沼通船堀を視察(行啓)されました。
ところで、この見沼通船堀の写真を撮りに行く際にふと空を見上げると、飛行船が浮かんでいました。「船」つながりで不思議な気持ちでした。
(記入者:亀さん)
(見沼通船堀、皇太子殿下の行啓に関して参考となるHPは、次の通り)
http://bungakubu.kokushikan.ac.jp/Chiri/Photo/2005Sept/05Sept.htm
http://www.kawamail.river.or.jp/kawamail225.htm
塩野七生氏の「ローマ人の物語」が全15巻で最近完結した。
私も文庫本で好きな巻を10冊くらい拾い買いしているが、
その面白さもさることながら、ローマ人の知恵、制度、文化の
素晴らしさに驚嘆した。現代の政治家達にも是非勉強して貰い
たい。感心した内容の一部を思い出すままに羅列してみる。
1)戦争で負かした相手部族は、捕虜にするわけではなく、
ローマ市民の権利を与え、族長はローマ貴族に加えた。
これによりローマは次第に強大な国家に成長。
また、宗教や文化は各部族固有のものを認めた。
(ローマ人の多神教ゆえの寛容さかもしれない)
→現在の紛争国に勉強して欲しい。
2)石畳の道路、上下水道、浴場、劇場などを整備。
遠隔の植民地の基地でも同様な環境を作った。現在の
ヨーロッパの都市の多くは、古代ローマの基地である。
土木工事は、平時の兵士達が担当した。
3)戦闘にあたっては、大型の攻城機械、要塞や橋などを
短時間に作って機甲部隊で敵を攻めた。
4)遠征のための缶詰の発明
5)子供を作らない夫婦には税金を掛ける
→日本でも検討したらどうか!
などなど・・・ (INO 記す)
<塩野七生氏が「ローマ人の物語」を15巻完結>
―亀さんから「団塊の広場」らしい一文―
「米国大統領は14年間も団塊の世代(注)!だ」ということを
知っていましたか?
(写真は、フリー百科事典『ウィキペディア』より)
ビル・クリントンは1946年(昭和21年)8月16日、ジョージ・W・ブッシュは同年7月6日生まれ。
つまり、クリントンが46歳のときからブッシュが60歳である
現在まで、ずっと、1946年(昭和21年)生まれが米国の
大統領なのです。
日本の総理大臣は、昭和17年生まれの小泉さんから同
29年生まれの安倍さんになり、団塊の世代は飛ばされま
した。(また、与党の中で将来の総理大臣候補と巷で言われて
いる人は、現在のところ、団塊の世代には存在しません。)
また、特に今年になって、テレビや新聞で、「今年は団塊の世代
の大量定年が発生し、企業にとっても、社会にとっても大変で
ある」と言っている。
政治も団塊の世代の出番がなく、会社が定年になったと
いっても終わりではないよ。
定年によって、政治に限らず、団塊の世代が主導権を
握って何かをするべき時がきた。それが、趣味であれ、
ボランティア活動であれ、それは構わないと考えますが、
皆さん、どう思いますか?
(注)一般には、「団塊の世代」とは、昭和22~24年の3年間に生まれた
世代であるとされていますが、亀さんは、昭和20年8月の第二次世界大戦
終戦後に受胎し、同21年に生まれた者も含むべきだと考える。(大学受験や
就職は22年生まれと一緒であった人が相当いるので。)
実を言うと、亀さんもクリントンと同じ同21年8月生まれです。
(記入者:亀さん)
昨年末から家族で国内旅行をしておりました。新年のご挨拶
が遅れて申し訳けありません。今年は共同執筆者も参加して、
ブログは賑やかに充実すると思いますので、ご期待下さい。
さて、景気が上向いているとの説がある一方で、サラリーマン
の給料は全体的には数年来縮小傾向と言われております。
今年は我々の懐も含めて景気回復を祈りたいと思います。
ところで、亀さんから、年末の餅つき大会、そして初詣について
写真つきで楽しい記事をUP頂き大変有難うございました。
ご近所で餅つき大会とは羨ましいですね。また、紅白歌合戦の
後に、近所の神社に初詣をされたそうですが、深夜の初詣に
若者が多かったのは、若者の元気を示すもので喜ばしいこと
と思います。 (INO記)
亀さんとしては、INOさんを差し置き、今年最初の記入を
することに全く抵抗感がないわけではなかったのですが、
思い切って、近所のT神社への初詣の写真を貼ります。
T神社は厳島、浅間、八幡、御嶽、稲荷神社等のように
有名な名称ではなく、また、氷川神社、久伊豆神社の
ように関東地方に多い名称でもなく、いくつかの昔の村社が
合祀された「村の鎮守様」です。境内には、富士信仰の
象徴の「富士塚」があります。
紅白歌合戦が終わってすぐ行ったのですが、既に多くの人が
行列し、参拝するまでに約1時間並んでいました。
最も驚いたのは、団塊の世代や高齢者がほとんど
おらず、並んでいるのは20歳から30歳前半の
若者がほとんどでした。
フリーターやニートが多く、将来をあまり考えていないと
思われる年齢層ですが、やはり将来への不安を感じて
いるのでしょうか?(記入者:亀さん)
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